レヴィ=ストロース
禁止(「~してはならぬ」という否定的命令)一般が見方を変えれば規定(「~せよ」という肯定的な命令)でもある
インセスト禁忌も近親以外との性的結合や特定の範疇の親族を結婚相手として指定する体型を伴っている。 > 人間の元にある普遍的なもの(文化)はなんであれ自然の次元にあり、自然発生を特徴とする。
①ある要素が他の要素との関係によって定まるような要素の集合
言語の体型において言語の意味は同じ言語集合の元同士の差異によって決定する
②変換を通じて別の体型となっても変わらない、体形の潜在的な特性
数学的及び形態学的な”変換”概念を背景にもつ
射影幾何学において射影変換を行うと台形は四角形になり、楕円は円になる 不変な性質を持つ”変換群”に属す
だが位相幾何学における位相変換では変形が可能で不変な閉曲線という性質を持つ 変換により図形が多様に変化する際に不変の性質として現れるものを構造と呼ぶ
この数学的発想を導入するとソシュール的な体形論とは異なる ①は相対的に決定し、②は不変で絶対的な潜在の特性が見つかるため
③自然から文化への移行を駆動する主体にとって無意識的な次元を成す
音素は①の要素間の関係によって決まるし、同型性の観点から②的な「変換」可能性がある 音韻論において言語は意味作用を持つ文法的単位の水準と意味作用を持たない弁別特性の束からなる音素の水準に分節される。
差異の体型を単語のレベルで唱えたソシュールに対して、ヤコブソンらは意味作用を持たない音素の構造にそれを見出した
音素は自然の多様な音素材の二項対立を見出すことによって構造化され、意味作用を持つ文法的単位を形成する手段になる!!!
つまり音素の無意識的な構造は物理的な音(自然)の領域と意味(文化)の領域の中間にある。この音素に相当する無意識的な精神の構造を解明する探究こそがレヴィ=ストロース的構造概念 https://scrapbox.io/files/6436db45347ec4001ca3dbf8.png
サルトル批判
レヴィ=ストロースは最終章にて「サルトルの著作におけるこの対立の表現法は、メラネシアの野蛮人のやり方と大差はなく、また実践的惰性態の分析は、アニミズムの言語をそのまま復活させただけのものである」とした上で、その注釈にて次のように評する。
これはつまりサルトル流の実存主義を「現代の神話」として一蹴するのだ。レヴィ=ストロースは次のようにも言う。即ち彼にとってのサルトル的現象学は民族研究と同様の手法をもってして、現代の神話(としての当為或いは実践)を言語化しているに過ぎず、それを理論的なものとしてはならないということである。雑に言い換えるなら、サルトルが行ったのは歴史研究ではなく現代人の心理研究なのである。
では本書にていかなる理由をもって、この実存主義と構造主義の議論の火蓋をあげたか、それを明らかにしたい。サルトルの主張はデカルトからサルトルまでの主体論を批判する。
これこそ構造主義の主たる言明である。彼によればデカルトとフッサールによって人間は孤立(独我論)し、サルトルによって社会は「エスノセントリズム」となるのだ。そして次に批判するのはサルトルの「ほとんど神秘的と言ってよい歴史観」である。 サルトルの体系では、歴史がまさに神話の役割を果たしている。