サルトルが自分の属する文化についてやっていることは、民族学者が異なる文化に対して行おうとすることと同じである。すなわち、そこに生きている人びとの立場に身を置き、その人たちの意図をその原理とリズムの中で理解し、一つの時代ないし文化を一つの「意味する総体」と見るのである。この点についてわれわれがサルトルから教えられることは多々ある。しかしそれは実践的性質の教えであって、理論的なものではない