スタール夫人
Georges Gusdorf
自由主義のイデオロギーとロマン主義のイデオロギーの仲介役
Le romantisme I(1993)
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第二版序文
今世紀のほとんどすべてのフランスの詩人は、英国の詩人の影響を受けている
北の文学と南の文学
明確に区別することができる二つの文学が存在すると、私には思われる。『ホメロス』を源流とする南の文学と、『オシアン』を祖とする北の文学である。ギリシャ、ラテン、イタリア、スペインそしてルイ 14 世時代のフランスの人々のそれは、私のいうところの南の文学である。イギリス、ドイツ、またいくつかのデンマークやスウェーデンの著作は、北の文学と分類できるだろう スタール夫人が「北の文学」の源流であるとする『オシアン』は、スコットランドの作家マクファーソンが、古代の詩人によるゲール語の英雄譚を採集した作品で、1760 年に刊行が始まった。これは、その語り手である英雄の名をとって『オシアン』と呼ばれている。 また、スタール夫人は注において「ヘブライの詩は、北の詩に見出されるメランコリーとは全く違う特徴をもっている」と説明されているように、スタール夫人は「東洋の文学」を「北の文学」と対立するものとして、「南の文学」と同列にして扱っている。そして、東洋の文学及び南の文学には「哲学的」で「陰鬱」、そして「魂の苦悩」「虚無」「夢想」を特徴とする「メランコリー」が欠けており、それこそ北の文学に象徴的な価値だと謳うのだ。
メランコリー、この多くの天才の作品を生み出す感情は、ほぼ例外なく、北の風土にのみ属するように思われる。(...) 東洋における宗教的思想は、マホメットのものであれ、ユダヤ人のものであれ、魂を支え、導くポジティブな感情である。それは、魂に、より哲学的でより陰鬱な印象をもたらす甚だしい感情の波ではない。東洋の国々のメランコリーは、あらゆる喜びを享受している幸福な人々のそれである。彼らは、栄華を誇るものの急速な移り変わりや人生の短さについて、哀惜の念をもって、思いめぐらせるのみである。北の人々のメランコリーは、魂の苦悩や、感受性が存在の中に見出させる虚無や、生の消耗から死という未知なるものへと、想念を絶えず歩ませる夢想によって呼び起こされる。
そして北の文学はメランコリーに誘われ哲学的思弁へと向かう。この分水嶺を示しているのが、まさに17世紀のフランス文学にあるように思える。デカルトやパスカルなど、メランコリーに溢れ哲学的思弁へと耽る者たちと、それらを批判し、絶望に抗う快楽を全面化するサン=テヴルモンやショーリューの対比はまさに北と南の対照関係にあると言えるだろう。 世紀中葉のリベルティナージュはまさにこうして、「秩序だった考えを排除し」、18世紀の放蕩文化へと矮小化されていく。こうしてエピクロスに基づき、フランスから失われたメランコリーに復興を投げかけるのがまさにロマン主義であり、スタール夫人のテーゼなのだろう。ゆえに、スタール夫人と共にメランコリーの復興を手がけたシャトーブリアンがパスカルを称揚するも、必然の理と言えるだろう。 メランコリックな詩は、哲学に最もよく調和する。悲しみは人間がもつ、いかなる他の感情よりも、その人となりや宿命に、より深く浸透するものなのだ。(...)北の詩には、ほとんどアレゴリーが見られない。北の詩は、その効果において、想像力を刺激するための局所的な思い込み(des superstitions locales)を必要としない。深い思索によって精神が純粋に高まり、魂の高揚を覚えることができる。それは、真に詩的な霊感の源であり、その感情はすべての人々の心の中にある。しかし、それを表現することは、天才のなせる業である。天才の手にかかると、北の詩がもつ霊感は、天上の夢想を持続させ、田園と孤独を愛する気持ちを促す。そしてしばしば、心を宗教的な想念へと運び、選ばれし者たちの心の中で、美徳への献身と、崇高な想念の霊感を掻き立てることとなるのだ 世紀の転換期にこうして生じたメランコリーの概念はより悲劇的な様相を呈するに至り、病理学的な特質を残しつつも、後にロマン主義世代には「世紀病」として思想的・実存的な次元を帯びた根源的な主題となるのである。