思考の結節点2022-03-11
2022-03-11
2022-03-12
2022-03-13
この切り口は「老害」概念を切り分ける
今まで漠然と「認知能力が衰えることによっておかしな振る舞いが増える」と考えていた
これが二種類にわかれる
「定型発達者の認知能力が衰えることによっておかしな振る舞いが増える」
「定型発達者のエミュレーションをしていたアスペルガー者が、本来の振る舞いに戻っていく」
事例を収集することによって理解を深めようと考えていたが、世の中の事例の大部分は前者の定型発達者のものなので、後者の役に立たない
以下未整理のごちゃごちゃ
老害的行動の収集
限られた時点しか観察していないのに「ずっとそうだった」と考える
「自分が過去に経験したXを相手は今回初めて経験している」と思い込む
狭い範囲だけ観測してそこで得られたことを全部だと思い込んでいる老害
狭い観測範囲をすべてだと思う
目新しいものをなんでも肯定する
動き回って余計なことをする老害もいれば、何もしないで変化をさせない老害もいる
物事をこうやってどれも同じだとまとめてしまう老害もいれば、複雑なものだとしてすべて個別化してしまう老害もいる
ツールを使いこなせない人がツールが悪いことにする
なにか自分が気に入らない行動をする人に「あの人はXXだから」とレッテル貼りをして貶める行動
べき論を押し付ける
水島 宏太
一通り読んだ後の個人的な見解なのですが、ある程度以上加齢していくと人は自然と「べき論」が増えていくような気がしてます(社会で生きていく上での規範と言い換えてもいいのかも)。
また、同時に社会の中で「べき論」を押し付けられるだけの権力を獲得していく傾向もあるようにも見えます。
で、世の中に対して「Aすべき、Bすべき、Cすべき……」と「べき」を言いたがる権力者(あるいは権威者)に対して若年層が鬱陶しくなってくるのが、「この人は老害だ」「あの老害は」みたいな感想の由来じゃないのかなと。
安全のために停滞的な振る舞いをする
久池井 淳
老害フォビアだな
Nishio Hirokazu
僕は老害フォビアだよ。老害化を避ける方法はとても興味がある分野の一つ。なので老害事例を収集分析する。
久池井 淳
しかも自分が老いていることから逃れるために積極的に若者とのコミュニケーション量を増やして、俺は大丈夫ってやるタイプの
フォビアというのは得手してミイラ取りがミイラになる
同一化に恐れを抱いている、自分と似た属性の対象の反対の対象に迎合して、自分と似た属性のものを攻撃する種類の人
ミイラフォビアがミイラになるのかなと少し考えたがミイラがミイラフォビアになる気がした
何かにつけて気に入らない反応を老害というふうにみなすバイアスがあるのではないかと推察している
バイアス
正しい認知からズレている、という考え
「正しい老害の集合があり、その集合に含まれないものを老害に含める過ちをしている」と考えている
正しい老害の集合はなく、老害に関係がありそうなものを集めてそこから構造を見出そう、というアプローチ
一つの現象を表と裏から観察してより良く理解する
久池井 淳
老害という箱に入れるのが間違っているとおもうという話をしている
Nishio Hirokazu
集めて一つの箱に入れてから分類するか、最初から分類するかの比較なら、まず集めてそれから分類すべきだと思う
久池井 淳
僕はそのどちらでもないと思っている
何か3つくらいの要素の掛け算でしかないと考えている
Nishio Hirokazu
それは興味深い話だね
久池井 淳
x、y、zの掛け算とした時に、zに年齢が入ると老害といわれ、女性が入るとクソフェミと言われるように考えている
重要なのは前のパラメータだ
Nishio Hirokazu
そのモデルが正しい可能性はあるが、それが単なる独断的な思い込みである可能性もある
久池井 淳
経験からものを語るのは老害の類型と言われるから、経験からものを語ることはいけないな
Nishio Hirokazu
それは少し解像度が低い感じがあるな
経験からものを語ることはどういう時に悪いのか?
経験が古いときかな
新しい情報があるにも関わらず、それを判断に取り入れずに、古い経験だけをもとに判断をすることはよくなさそうだ
「新しい情報があるかもしれない」と考えるのではなく、無意識に「新しい情報はないに違いない」と考える、これは老と相関がありそうなので老害
あー、そうか、情報が入ってくるかどうかが大事なわけだ
久池井 淳
経験で語る場合に、新しい情報は常に古い情報 と比較して自分が持つ情報の中における比率が低い
Nishio Hirokazu
天然状態の人間はそうなりがちだから、意識して新しい情報の重みを大きくすべき、という話が巷でいう「unlearn」だとかでしょ
若い人は「自分の知らないことが世の中にある」ということを自然に受け止めている、なのでなにか違和感があったときに「この違和感の原因は自分の知らないことがあるせいでは?」と自然に考える。
一方で老いた人はしばしばそれを忘れて「なんでも知っている」ような気になってしまう。この状態に入ると、ポジティブフィードバックが掛かってしまう。
それは「なんでも知ってるつもりの老人」が知らないことを若い人が知っていたとしても、それを老人に対して指摘しようとしない、ということに起因している
二人とも今話題になってることは高齢者に限った話ではないと考えている
N: 老と老害は区別されているので、年齢が高いだけでは攻撃はしない
K: 例えば経験マウンティングは若くても発生するが、老害と言われる
この「経験マウンティング」の具体例を挙げたが、適切ではなかった
N: たとえば具体的事例として「後輩に『Arduinoなんか使うの?PICを使え』と言う高校生」は老害
ここに後でもっといい例を書く
その後もこういうやりとりがあった
N: 「なんでも知ってるつもりの老人」が知らないことを若い人が知っていたとしても、それを老人に対して指摘しようとしない
K: それを老人だけの現象だと捉えているのが間違っている
二人とも「Xではない」と考えていて、それを認識して「認識してますよ」と伝えたつもりだったが、それが伝わっていない
その結果「『Xだ』と捉えているのは間違いだ」という見当違いな指摘が発生している
「盛り上がりがあったなら運営としてそこに誘導すべきだった」という意見をスルーしたことで「盛り上がりはなかった」という誤った信念が強化されているかもしれない
この質問と
>「プロジェクトの目的達成確率」軸Xと「メンバーが仲良くなる」軸Yにはトレードオフがあり、Xについて最適化すると「老害」と呼ばれる可能性が高まり、それを避けようとするとXについては最適ではなくなる、ということか。
ゲゼルシャフトとゲマインシャフト。 これが導き出されたので質問するが、このトレードオフ関係にあるFooBarの禁止は人類の発展にとって有益か?
僕が少し違和感を感じてたこの発言に関連があるように思う
この事例を老害認定して制限するということは、参加者の人格を否定し、多産多死の高サイクル運動に制限をかけるということだ。
つまり君は「XはFooBarである」という主張は「Xを禁止しろ」という主張だと解釈しているように見える。
一方で僕は「XがFooBarであるのかどうか、歳をとると判断できなくなるように見えるから、今のうちにFooBarの事例を集めて自分が歳をとった時に判断の材料にできるようにしたい」というモチベーションなので、他人がFooBarしようがしまいがどちらでもいい。
Aさんがある行動がFooBarであることを理解して、それによるデメリットを引き受ける覚悟でその行動をするならそれはAさんの自由。
理解しないでFooBarしてるならAさんが単なる愚か者。
あ、もちろんその他人の行動が自分に影響しない場合の話ね。
こう整理した上で質問の「トレードオフ関係にあるFooBarの禁止は人類の発展にとって有益か?」に答えると「有害だろ」になる。