言語考察5
📅25/09/03https://scrapbox.io/files/68f830210ec8195a8c21a7c4.jpg
📅25/10/03
時間の前後関係を表す表現は、自動形なら過去が前、未来が後ろ、他動形なら未来が前、過去が後ろでよくないか? 家に主要部がなくいろんなパーツ同士の関係性に過ぎないのと同じ 📅25/10/10
たぶん具体語頭は比喩などによって本来の意味から平気で逸脱するし、必ずしもその語の主要部を表すわけでもない 漢字の部首やバントゥー諸語の接頭辞に似ているかもしれない
📅25/10/11
「私は自分が何のために生まれてきたかを最初から知っている」の「何」を「自分がこれから認識するもの」って表しても意味は通るんだろうか?
「認識してなかった」状態なんか一瞬もなかったはずなのに
「自分」って話し手と主体(この場合は兼任してるけど)以外を表してもいいんだっけ?
いや、「再認識」と解釈しとけば問題ないのか
📅251012
一応命題にも背面はあるかもしれないが、それはその命題を構成するどの概念の背面とも重なっていないともいえる? 📅251013
具体語頭の意味は対応する抽象語頭が担保しているので、どれだけ逸脱しても本来の意味が分からなくなることはない 古代語で複数の語が並んだ時に後ろの語頭子音が短子音になるか長子音になるかも語順とかを表すのに使えそうだな 📅251014
関数が持てるならオブジェクト指向的じゃなくなるから動詞があってもいいような気がするけどな… 集合世界の自他は、「~であるもの/~でないもの」ではなく「~である自分/~である他者」を表すのでは? 前者は本来内外で表すべきものであり、「~など」や「~か何か」もやはり内外で表すしかないだろう 背面形で言うなら「~な自分に似ている」(自動 外部)や「~な他者そのものである」(他動 内部)とかって使い道あるか? 前者は「あたかも~になったみたいだ」とかに使えるかも
後者は「~の役割を演じる/~の代わりをする」みたいな意味で使えるかもしれない
後者は性質と宿主の関係に(も?)使えるのか
そもそも個体単位では、性質ではなく構成員の一致率を表すのでは? 構成員が一致してなかったとしても、構成員同士がほかにどれだけ同じ所属先を持っているか(=結局は類似度?)を表す? だから類似度じゃなくてあくまで所属先の一致度なんだよ 何が違うんだ?
クローンは極端な例だから置いとくとして、ふつう構成員は少しずつ違ってるものなので、それぞれ別の所属先を持っている 2集団の構成員どうしが少しでも所属先を共有していれば互いの外部と重なることができ、その重なり度合いで集団同士の親疎を表すことができる
形態論上、自分か相手どちらかの面しか表せないので、一方の内部/外部との関係だけを考えればいい クローンだって作られた日時や置かれた場所が少しずつ違ってるはずなので、所属先も少しずつ違っているはず 要するに集合 個体の背面 外部は「どれだけ似ているか」というより「どれだけ似ているものがあるか」なんだよな 1.自他:一方が他方にとって、自身/自身と他者/他者、のいずれか 2.前後:一方が他方にとって、主格(同一物)/斜格(関連物)/対格(対象物)、のいずれか 3.因果:以上の状態を、持つもの/持ち合うもの/持たれるもの、のいずれか 4.内外:以上の状態に、一致/肉迫/類似、のいずれか あんまり使い道がなさそうな集合世界の自他をその関係に充てれば便利そうなんだが… 宿主と性質の関係って「~という存在を知っている」と「~がどういうものかを知っている」に対応してそうだから、両立形があれば「~という存在およびそれがどういうものかを知っている」とか表現できて、使いどころがないわけでもないんじゃない? もういっそほかの世界でも自他じゃなくて宿主か性質かを切り替えられるようにしたほうがいいんじゃないか? そもそも集合世界じゃなくて条件世界の関係のような気もするし 存在注目か現象注目かを切り替えられるようにしたほうがいいかな? 「~に(容姿などが)似ている」と「~の(立場などを)代わろうとしている」も区別できるようになりそうだし
集合世界において、前面(対格)と後面(主格)の両立形を前後面(主格と対格)ではなく側面(斜格)ととらえられるなら、自動(~であるもの)と他動(~であること)の両立形も自他動(~であるものと~であること)ではなく連動(~に関連するもの)とかととらえればいいのでは? 「ウナギそのもの」でも「ウナギであること」でもなく、例えば「ウナギを頼む僕」とか
なんか変じゃない?
でも宿主と性質って表と裏みたいな感じだから、イメージには合ってそうな気もする
他動が直接的・定義的な構成要素、連動が間接的・非定義的な構成要素を表すのかもしれない 他動は多分「色」や「温度」などの属性だけじゃなくて部位や部品なども表せるんじゃないか? 「ウナギ」に前面がない以上、側面も定義できないはずだから、ウナギ文を前後で表すことは難しいはずで、その代わり自他が役に立つのでは? 多分「ウナギの色」は他動だし、「ウナギを頼む僕」は連動だろう 逆のような気もする…
「色」のような定義的要素はより内側に思えるし、「僕」のような非定義的要素はより外側に思えるもんな
「ドイツ語について書かれた本」の「ドイツ語」は「本」のより内側にある気がするし、「ドイツ語で書かれた本」ではより外側にある気がするよな
そうか?
でも確かに「本」にはぎりぎり前面があるような気もするし、あるとしたら使用言語よりは内容だろうな 角度としてとらえるか範囲としてとらえるかでも違ってくるよな 📅251015
やっぱり定義要素が自他動、非定義要素が他動のほうがしっくりくるな でもどっちが宿主でどっちが要素かを示せるの?
「ある色を持つウナギ」とかどう言えばいいんだ?
結局どちら側から見ても自他 両立で表さざるを得なくないか? {A}{I}{U}{E}{O}→{A}{I}{U}{Y}になったっていうストーリーも仮定できそうだし
📅251016
📅251017
定義的要素(性質や部位)は宿主と前面や側面を共有しているが、非定義的要素(ウナギ文の主語など)はしてなさそうなので、後面ではなく側面か前面にしかならない気がする 一致物や類似物以外で、真に後面に来れるのは定義要素だけなんだろう ということは、集合 後面では自動を「~(そのもの)」、他動を「~の構成要素(性質や部位)」、自他 両立を「~とその構成要素」という意味に使うしかなさそうだ 残念ながら、宿主と要素を質的には区別できないが…
代替者も構成要素といえなくもないかもしれないが
「~の片腕となる」とかまさにそれだもんな
仮に「見ること」が「見るもの」の構成要素(一部)なんだとすれば、質的にではないが量的に性質と宿主を区別できることになる
確かに「青さ」は「青いもの」に宿ってるのかもしれない
「宿る」ことと「代わりをする」ことは全然違う気もするけどな…
「代わりをする」はどちらかというと「宿す」だな
ていうか「代わりをする」は文字通り「入れ替わる」ことなんじゃないか?
それこそ「宿す」のニュアンスに近い気がする
完全に「~である」というには部分:個体を使わなきゃいけないんだろうな 条件世界は集合世界との対応を考えても、前面が原因、後面が結果のほうがしっくりきそう 「持ってる」(所有)も「背負ってる」というよりは「抱きかかえてる」イメージのほうがしっくりくるだろう 無生物に所有の概念がなさそうなのが気になる…
「存在するだけで他者(の少なくとも一部)の原因になる」ってことが想像できなさ過ぎて…
所有物がそれかと思ってたが、無生物に適用できない気がするしな 普通に「素材」とかなんじゃない?
でも素材って他者か?
「部位」が他者なんだから「素材」も他者だよ
いわゆる「(人間による)所有」を表したいときは意志世界を使えばいいだろう 例えば「オタマジャクシがカエルになる」は個体:個体(もしくは部分:部分?)のはずだし 「辛いものであって初めてカレーといえる」みたいなときに使うんじゃない?
確かに
ていうか必須でない要素も性質といえるものは全部そうじゃん そもそも他者類似は部分単位じゃなくて個体単位で表せばいいのか でも「全体的に似ている」と「部分的に似ている」を区別したいときもあるもんな
そもそも自他を区別するのが集合世界なので、自己と他者の重なりを区別できないほうが論理的とすら言えるのかもしれない さすがに類似物を構成要素とみなすのは厳しそうだしな でも「宿す」という意味では構成要素ともいえるのか
さらに言えば「~であるもの」(宿主)と「~であること」(性質)も前面や側面を共有するという意味では類似物といえなくもないのかもしれない 性質と宿主を分離して、性質だけが前面や側面を持てるようにするっていうのが一番素直なんだろうけど、なんか抵抗ある… 命名に役立ちそうな自他の区別の使いどころがほとんどなくなってしまうからかも 名詞と動詞を区別しなきゃいけなくなるし、動詞しか項をとれないっていうのもなんかつまらない気がするし でも実際は命名でもそんなに使いどころがないのか
だから、その空きを性質と宿主の関係を表すのに使える でも性質と宿主を本質的に区別できないのは何か引っかかるな
もちろん「~であること」を個体:個体で表すのは便宜的な手段であって、厳密には宿主のほうが性質より範囲は広いはず 条件世界ではどっちが原因でどっちが結果なんだろう? 具体概念の命名では、自動を「身内」、他動を「よそ者」の意味で使うことのほうが多そう 古代・中世の語頭母音も格ではなく宿主と性質の区別を表したほうがいい気がする 📅251018
ほかの世界ではやっぱり自分の持ち物を自他 両立、他者および他者の持ち物を他動で表したほうがしっくりくるよな… 逆に自他 両立で「自分と他者」を表すことはできなくなるのか まあそんなに言う機会なさそうだし
でもそっちの意味も表せるようにしてもいいのかもな
「~など」を表す時に便利そうだし
ざっくりと「~関係」を表すのに使えそう
よく考えたら内外は主語が目的語にどれだけ重なるか、自他は目的語が主語にどれだけ重なるかを表してるのか じゃあ「~など」を表せるのは内外しかないんだ
そもそも自他 両立は、個体単位だと「自分と他者」、部分単位だと「自分の持ち物」を表す? というかスロット全般的に、主語側と目的語側それぞれの内外と前後を表せばいいのでは? そのほうがシンメトリーできれいだよね
まあその空きを空間の左右に充ててもいいかもしれないが 外部:外部の関係も表せるようになるから、量詞なしで「近くない、似てない」も言えるようになるのか 中立形を除けば実質3×3=9個の関係しか表せないよね? そんなんで足りるのか?
自他 両立で持ち物、他動で他者を表すんだったら、前後 両立で対格(対象物)、前面で斜格(関係物)を表したほうが整合性は取れそうだけどな 原因を前、結果を後ろとすると、「~を目指す」も後ろになってしまうのが感覚に合わない
「自分でも他者でもあるものの関連物」だから、自然と「~」そのものも含むことになる 主語側にとっての自他か目的語側にとっての自他かは、少なくとも古代語の時点ではもう区別してなかったってことだろう https://scrapbox.io/files/68f830462eefc07f53a19b62.jpg
残念ながら関連“度”は量詞を使っても表すことはできないかもしれない 代替手段はあるんだろうか?
確かに
性質と宿主の関係は条件世界の自他で表すが、どちら側の自他かは区別できないので、性質と宿主も区別できないということだろう 📅251019
語順を表すようにすれば、前の要素との主従関係だけを考えればいいので、句だろうが複合語だろうが要素同士の関係が変わることはない 主要形と従属形というか、要するに正置形と倒置形なので、基本語順(おそらくはSVO)を守っていれば正置形、守っていなければ倒置形を使うことになるだろう 自他ではなく宿主と要素の関係を区別したほうが便利な気がする 主語が目的語に対して、宿主/関連物/要素のどれなのかを示せるようにしたほうがいいだろう 複雑概念は宿主(~であるもの)、単純概念は要素(~であること)をデフォルトで表すようにする 要素は性質だけでなく部分や所有物も表せるようにすれば集合世界以外での使い道も増えるだろう 動詞が文の中心になりそうなので、基本語順もVSOかVOSになるかもしれない ほんとか?
ひょっとして主語と目的語の関係は宿主:宿主で表されるんじゃないか?(関連物ではなく、こっちこそが両立形?) いや、例えば「殴ること」は「殴られること」も含むのではなく「殴る」という一方的な現象だけを表したほうが便利だろうから、主語と目的語は非対称になると思う 宿主と要素(=上下?)の両立形は、関連物というよりは並列事象を表すんだろう(「リンゴとミカンは甘い」の「リンゴ」と「ミカン」や「太郎は美しいし賢い」の「美しい」と「賢い」みたいな」) それを“上下”って呼ぶんだったら、今“因果”って呼んでる関係も“表裏”とかって呼んだほうがいい気がしてきた(因果関係というよりボイス(態)を表すものだし) 上下の関係はそれぞれ上位/等位/下位とか呼んだほうがよさそうだな
空間世界ならそのまま物理的な「上下」、条件世界なら「善悪」にでも対応させればいいのかもしれないけど、時間世界は? なんかしっくりこない気がするから、上下は常に宿主と要素の関係だけを表すようにして、名前も“主従”とかに改名したほうがいいかもしれない もはや関数型言語だからね
宿主と要素の関係こそきれいに表せるようになったが、類似や関連の表し方も大してきれいになってないし、今すぐ自他に戻してもそんなに問題ない気がする… 命名ならむしろ自他のほうが断然役に立つ気がするしな 「構成要素およびそれになりそうなもの」みたいな
自他(両立)なら上か下かを気にせずに「関連物」を表せるから、そっちのほうがスマートなんじゃない? よく考えたら命名に使う自他は「味方」と「敵」とか「私たち(人間)」と「彼ら(人外)」とかを表してもいいのか 集合世界には主格、斜格、対格の関係しかなくて、それ以外の関係を表したかったら条件世界を使うしかないのかもしれない 自他が表すものが、各世界で異なるということもありうる 例えば条件 部分の自動は「自分を構成するもの」つまり、性質、部分、所有物を表せるのかもしれない というか、例えば「私は花などを見た」の「花など」は、「花」と「私に見られることを花と共有するもの」なんだから、立場が部分的に一致もしくは類似しているということで、これこそ集合 部分で表されるべきものなんじゃないか 逆に「花とその類似物」という意味での「花など」は、「花」と「花に全体的に似ているもの」を指しているので、集合個体で表されるべきものだろう つまり、何において似ているもしくは一致しているかを明示しない限り、集合 部分が表すのはむしろ「特に関連も類似もしてないかもしれないが同列のもの」なんじゃないだろうか たぶん部分単位では、別個体である限りどれだけ立場や性質が「同じ」であるといえても、互いに重なることはできないはずなので、同列物は基本的には外部同士の関係になるはずだ 逆に宿主と要素は、別個体どうしであっても「完全に同じ」立場を一部共有することができるので、内部同士の関係になれる とはいえ、別個体どうしが「部分的に同じ」であると言いたいこともあるだろうから、そういう場合は内外:内外、つまり部分的に重なり合う関係として表せる 📅251020
やっぱり一方が消えてもう一方が表れる(因果関係がある)のが代替で、そうじゃないのが類似だろう 「~というもの」って全部「~が属するもの」で表せない?
「PCが属するものを知ってる?」「PCが属するものを知ってる。」「PCが属するものは~だ。」
確かに
でも「PCというものを持ってる?」は「PCが属するものを持ってる?」ではなくない?
機械なら何でもいいみたいなことになっちゃいそうだもんな
やっぱり「~“に”属するもの」でよくない?
でも「PCというものを知ってる?」は属する個体というより条件を知ってるかを聞いてるんだけどな
集合 部分 自動で「~を要素として(最低限)含むもの」って表したほうがよくない? 確かにそうすれば個体ではなく性質に注目してるっていうのもわかるのか
現代語の語頭末子音は直後の子音によって変化せず、具体語頭なら常に-d、縮約抽象語頭ならそれ以外の各子音のままでいい気がする -dの直後の阻害音は(歯茎音であっても)摩擦音で発音さることが多く、-dはその摩擦音に同化することがある、みたいな感じでいいんじゃないだろうか
歴史的経緯を想定すると次のような感じ↓
①中世語では、例えばp-, b-の前の-bは-dに変化していたが-vは変化せず、同様に、f-, v-の前の-b、k-, g-の前の-q、x-, q-の前の-gも変化しなかった
②そのため、破裂音と摩擦音の区別がなくなると同種子音どうしが普通に隣接するようになり、先行子音が-dに変化するというルールも崩壊した
③一方、もともと長阻害音だったものは長摩擦音で発音されるようになり、さらに長摩擦音の前半が-dに異化したため、見た目上、-dとそれ以外の子音の立場が逆転した
みたいな感じでよさそう
両立形は「正極と負極の両方」みたいな意味になるべきで、「正極と負極の中間の性質をもったもの」みたいな意味にはしないほうがいいと思う 📅251021
どうせ具体語頭をつければ自立語であることは表せるんだし、語幹末の-dはむしろ量詞であることを表すのに使ったほうがいい気がしてきた 条件世界との対応を考えると、目的語と動詞はそれぞれの後面と前面が重なり合っているので原因と結果のような関係だとわかるが、主語と動詞を後面同士が重なり合ってる関係だとみなすと、それぞれが結果を共有してるみたいになってよくわからなくなる むしろ主語と動詞こそ前面と後面を共有していると考えれば、条件世界で言えば原因でも結果でもあるもの、つまり代替物みたいなものということになってイメージにもあってる気がする 逆に後面だけを共有しているのは同じ主語の異なる動詞どうしではないか? さすがに主語と動詞の関係も後面同士だと思うけど、でもこういう風に考えてみるとやっぱり主語と目的語双方の前後を表したほうがいいような気がしてくるな 自分の後面が重なってるとそういう意味になって、前面が重なってると、相手を直接目的語としても間接目的語としてもとるみたいなイメージになるのかもしれない 前者は交互態や再帰態で、後者は相手を入れ替えたりくっつけたりする場合に使うのかも 前後 両立同士で重なる場合は「~と交換し合う」とかを表すのか? 「交換」は前面同士で表せるから、「互い(の仲間同士)を入れ替えあう・くっつけあう」みたいな意味になるんじゃない? でもやっぱり一方的な授受だろうと交換だろうと前面同士の関係になる気がするから、双方の前後だけで表すのは無理があるのかもな… これまで通り、一方の他方に対する直接関係と間接関係を表すしかない気がする
とはいえ一応「側面」というわけのわからないものはなくなりそうだ 少なくとも主動詞と意味が重複して冗長にならずには済みそうだな
📅251022
そうすればほかの世界にも応用できるし
小範囲が自分、中範囲が仲間、大範囲がよそ者みたいに
📅251025
自他ではなく宿主と要素を区別する場合、動詞を目的語にとるときは、その動詞の主語が明示されていれば主動詞の主語と異なることがわかるし、されていなければ主動詞の主語と同じことがわかる(英語と同じように) そう考えると、動詞ではなく名詞でも、目的語としてあれば他動詞、なければ自動詞でいいんじゃないか? これも英語と似ている
ただ自動詞と他動詞を区別しないのは命名で不便な気がする
まあ、自動詞と再帰動詞は区別しないでよさそうなことは分かった
📅251026
あと、「死ぬ」と「自殺する」の区別もできなくなるけどいいのか?
まあ、後者は明示的に「自分を殺す」って言えばいいだけだが
両立形は「殺しあう」なのか、「自他を殺す」なのか? 前者のほうが頻度は高そう
じゃあやっぱり「因果」はボイスではなく、もう一方の前後を表したほうがよさそうだな 「持つ」の自動詞が「ある」なんだろうな
いや、「ある」の他動詞は「与える/生み出す」だろう(要するに「あらせる」ってことだ)
「ある」の他動詞版が「~を与える」、「持つ」の他動詞版が「~に与える」か
「持つ」は他動詞とはみなされないのか?
それを言ったら「ある」も他動詞だからな
あくまで「自動形」とか「他動形」とか言ったほうがいいかもしれない
「(お互いを)見合う」とかは表現できるの?(「見せあう」ならできそうだけど)
でも主従だと集合世界以外での使い道がよくわからないので、大小とか、もっと普遍性のあるものを表す必要があると思う 大小なら、「入る」「くっつく」「包み込む」などの違いも表せる 📅251027
自他とは別に因果があると、意志的行為と非意志的行為を区別できて、命名にも便利じゃない? https://scrapbox.io/files/6923f5a57a0903836aad9c80.jpg
📅251028
代名詞の、「認識されたもの」で平叙、「認識されかけているもの」で疑問、「認識されていないもの」で命令を表せそう 📅251029
自他と因果を区別すれば、「積極的に自分を見せる」と、「不本意にも見られてしまう」も言い分けられて便利じゃない? 📅251101
質ではなく量で表すのがペニギリ世界観の基本なんだから、宿主と性質の違いも量で表せばいいのかもしれない 📅251124
自治体と省庁の違いを単位で表そうとするから、こういう変なことが起きてしまう そもそも一方の内外しか表さない以上、自分のどの範囲(内部なのか外部なのか、両方なのか)が相手の外部に重なるかも意識されない(表さなくて済む)ので、クローン問題なんて疑似問題なんじゃないだろうか? 確かにそうかも
でもAIだと厳密にせざるを得なくないか?
「〜と関係がある」は、「〜にとって何かである」って表せるわけだ
集合 個体 外部は、「似ている構成員がいる」ぐらいのニュアンスなのかな? つまり、対象物ではなく関連物を表してる点では部分単位、性質ではなく構成員を表してる点では個体単位 📅251129
古代語の段階でどうなってたのかという疑問は残るが
📅251219
動詞と接置詞の連動を示せないのって、動詞を「~すること」ではなく「~するもの」と表してるせいでは? 例えば「試験合格を目指す読書家」では必ずしも試験合格を目指して読書しているとは限らないが、「試験合格を目指す読書」なら必ず目指していることになるだろう
「目指す」って条件世界で自分の一部が近接してるってことだから、空間世界における「向く」とか「指す」とパラレルだよな じゃあやっぱり結果が前面のほうがしっくりくるのか? いや、条件世界では自動でも他動でも目指すものが前のほうがしっくりくるから違うだろ 📅251220
連動を示すのって「Aの(ときの)B」の意味を区別するのに使う因果関係(の①)でいいのでは?(①「試験合格を目指すからこその読書家」?) でもなんかそれじゃあ間接的すぎない?
オブジェクト指向の弊害だな…
まあ集合-他動を使えば「『試験合格のための読書』をするもの」みたいに言えなくもないけどね じゃあやっぱり自他より主従を表したほうがいいのかな? 条件世界を使わないでも集合世界で所有を簡単に表せるようになるし 主従は機能語で表せないならあんまり意味ない気がするけどな 現代語や中世語で表せなくても、古代語やペニギリ世界観にとっては大事な要素かもしれない 単位によっても意味が変わるかもしれないが
「持つ/持たれる」にも似てる気がするからちゃんと宿主と要素に対応してそうだし
やっぱりどの世界でも「一時的に/再び」を表したほうが便利なのでは? 「太郎」と「太郎であること」ってどっちが範囲が大きいの?
そしてどっちが前提になってるの?
そんな気がしてきた
📅251224
📅251225
「何」と「どれ」ってなんで多くの言語で使い分けがあるんだろうか?
「A(のとき)のB」の意味の区別って前後関係でも因果関係でもなく相関関係なのでは? 「回る」を表すのにも使えそう
「帰る」は個体単位、「通る」は部分単位な気がしないか? 主従って内容語でしか表せないくらいでちょうどいいのでは? 宿主(太郎)より性質(太郎であること)のほうが範囲が広い可能性もあるのか?
📅251227
https://scrapbox.io/files/697af3612d0774006e1bbad4.jpg
📅260111
みたいになってるのかな
📅260115
「回る」は「自分に帰る」だな
📅260118
「指す」とか「目指す」って「一部分が近接する」じゃなくて「一部分の前面に持つ」なのでは? 📅260207
中世ごと現代語の、主要部を明示する方法を考えなきゃいけない 数量を表す(語頭の)ものは接続詞として使うべきだろう 📅260208
主要部って要するに修飾先だから、統語構造を明示するときと同じように代名詞を使えばいいのかもしれない 句の主要部というのは、修飾先ではあるが、修飾語を持たない状態といえるのではないか? そんなことないか
📅260212
余裕がないときとっさに出てくる最初の言葉が、文の主要部だと思う(少なくとも日本語では) 📅260215
📅260218
「行く」「来る」も「離れる」「近づく」でいいよね?
📅260219
単位は、それ全体が原因/結果となるかで区別されるんだろう 📅260309
📅260315
📅260316
「空が青い」は「空」と「青いもの」が重なってもそれぞれのままだが、「5個のものが6個ある」は「5個のもの」と「6個のもの」が重なった結果、どちらでもなくなってしまう(「30個のもの」になる)んだよね…
この違いって何なんだろう?
数値のほうはベクトル演算なのか?
そして、「1個のもの」だけはほかの数と重なっても相手を変えないことをどう説明するんだろうね?
数値とそれ以外の概念が重なった時の振る舞いはどう説明するのか?
数値以外の概念で、(重なると)どちらでもなくなってしまうことってあるか?
べき乗できるのも数値だけな気がするしな…
数値の掛け算は、「クジラ」と「こうもり」から「哺乳類」を導き出すみたいな、共通点を抽出する操作に対応するのでは?
じゃあ「1」は「すべてのもの」とか「何かしらのもの」に対応してるのかね?(相手との積集合をとっても相手を変えないから)
掛け算の時重なるのは、後面ではなく前面同士なのでは? それとも掛け算は集合 部分よりさらに細かい単位なのか? もしくは、数量はやっぱり特別なのか?
「30」にとって「5」や「6」は、後面ではないにしても要素ではあるのでは?
「自分に5個あられ、かつ自分に6個あられる(もの)」が「30個の(もの)」ってこと?
📅260317
「5」と「6」は「30」の原因ではあるが結果ではないのに対して「青いもの」と「空」は「青い空」の原因でも結果でもあるんじゃないか?
ほんとに因果関係なのか?
時間差がないような気がするけど
「5個の飴が6個ある」は「30個の飴がある」と「飴」であること自体は変わらないので自他の違いではないと思う 「5×6=30」は「小麦粉と卵がパスタになる」とかと一緒だと思う
因果関係って時間差があるとは限らないんだね
約数とかも原因なんだ
📅260318
掛け算と割り算の違いなどはおそらく条件世界の話で、「ないものはない」の解釈の違いなどはおそらく集合世界の話なので、やっぱり「ここにないものはここにない」と「ここにないものはどこにもない」で合ってるみたいだ 算術演算と論理演算の違いでもあるのかな?
「何でもある」の解釈の場合、2個目の「ない」の目的語は空っぽ(論理学でいう「可能世界」?)なのかもしれない 論理学を勉強しよう…
でも、目的語があるかないか、もしくは現実世界か可能世界か(?)だけで、これほど正反対の意味の違いが生まれるだろうか? なんか構造的な違いがありそうな気がする
可能世界みたいな絶対性を想定することが、人間の認知や言語と食い合わせが悪い気がするんだよな
「現実世界に6個あるものが可能世界に6個ある」でも、2通りの解釈の仕方があり得る気がするんだよな
スケールを縮めて、「ここに6個あるものがこの世に6個ある」にするとより分かりやすいが、「この世に全部で6個しかないものがすべてここにある」っていう解釈と、「ここに6個ずつあるものがこの世に6種類ある」みたいな解釈がいける気がする
「ないものはない」の例の違いもこれに対応してる気がする
要するに、「ここにないものはどこにもない」も2通りに解釈できて、数式でいうカッコの付き方で違いが生まれる気がするんだよね(?)
いや、この場合は1通りの解釈しかないか…
0だから特殊な気がする
「ここに6個あるものがここに6個ある」も2通りある気がするし
「ないものはない」の両解釈もそもそも単位が違うんだよな
「0個のものが0個」と「0個のものが0種類」
「個」は万能だけど、「0台の車が0台」と「0台の車が0車種」だったらわかりやすいかな?
ある場所の単位というより、あるものの単位の違いなのだ
📅260324
空間の前後は、いわゆる「背面/正面」ではなく、移動の出発点側と到達点側を表したほうがいいのでは? やっぱり原因が後ろ、結果が前のほうがしっくりくるのか
空間の前後って使い道なさそうな気がしてたけど、ちゃんとあるんだね でもそれだと、集合世界では主語が原因で、目的語が結果(に対応する)ってことにならない? あんまりしっくりこない…
まあ、「~にとって(の)…」って表す場合は目的語のほうが影響を受けてるっぽいからいいか 「猫はネズミに対して捕食者として影響してる」みたいなね
この場合あからさまに影響者だからしっくりくるだけでは?
単位で包含関係を表せるんだとしたら、大小の存在意義って何なの? あと、自他も結局往復で表せそうじゃない?(「再帰」っていうぐらいだから) 主語を原因、目的語を結果に近いものとみなしたほうが、条件世界との対応を考えたときに、haveっぽい「~を持つ」と「~される」、ofっぽい「~に属する」と「~に対する」をそれぞれパラレルにできるのでいい気がする 論理世界の前後は、思考と結論の順序にでも使えそうだが、感情や意志は? 意志って未来限定な気がするから、順序なんかなさそうだし でも、倫理や道徳もあらわすのが意志世界だから、過去の出来事について「~するべきだった/するべきじゃなかった」ともいえるだろ 感情世界だと「不安」と「後悔」の違いとかもあらわせるのかな? 前後って結局どの世界でも時間的前後関係を表すっぽいもんな 空間は次元数も加味しなきゃいけないから複雑だろうけど、それ以外の世界の動詞は割と簡単な構造してそう https://scrapbox.io/files/69c51c629ea0767ac855caaf.jpg
📅260325
空間なら次元の違いとかを表せばいいかもしれないけど 質感とか複雑すぎて無理そうだけど…
📅260326
そもそも生物や人工物にしか(おそらく)空間的な正面や背面がないということに気づかなかった 📅260328
形容詞の内外は「深さ」と「近さ」の区別とかに使えばいいんだよな 📅260329
確かにどうか…
ひょっとして、「~(であるもの)」は主語の後面、「~であること」は主語の前面にあるのか? やっぱり集合世界の前後は、「~という立場を~に譲る」とかを表すのに使うべきなのかな? やっぱり名詞と動詞がはっきり区別されることになってしまったな… 「~するもの」と「~すること」って自他の違いじゃないのか… そもそも集合世界に自他の区別があること自体おかしい気はしてたが 集合世界だけ前後に時間経過がない気がするのも気になるけど 📅260402
集合世界でも前後は、空間や条件とパラレルに、主語、直接目的語、間接目的語の関係を表すのが無難だと思う 例えば、「数学の先生」と「私の先生」の「の」はどちらも集合世界で表せるべきだと思う 多分主語と動詞は前後 両立(横にいるような関係)だと思う 移動元(教師)、移動物(教科)、移動先(生徒)いずれも主語になることができて、残りの2者のうち、移動の始点側にいるほうが後面、終点側にいるほうが前面になる? 「私はあなたに数学を教える」はMe teacher from math to youみたいに言うってことだよね?
なんか変だな…
「たたく」は移動があるから目的語を前面で表せそうだが、移動のない動詞(「右にいる」など)の目的語は主語と区別できるのか? あと、「授業」(レッスン)のように主語が不明(?)な現象でも役割を表し分けれるのか?
「移動元:移動物:移動先」は部分:個体:部分の関係なので、集合世界でそれに相当するのは、「私は教科を通してあなたに関係する」とかだと思う(「…数学を通して…」なら部分:部分:部分?) その場合、前後 両立は「~と(一緒に)」を表すんじゃない? 📅260405
📅260410
「私はあなたを通して教科に関係している」とも言えそうな気がするけど、それも表せるのかな?
そんなことないか
条件世界なら1個の動詞でつなげるし、そうじゃなかったとしても、どんな間接的な関係であれ、部分 前面にはなれるはずだから 「教科」はニュートラルだけど、「教えられるもの」と「学ばれるもの」を言い分けられるなら、前面側(主語)と後面側(間接目的語)で役割が違うことになるので、「関係する」というあいまいな表現にならずに済みそうだ ほんとか?
「教えられるもの」の前面にあるのは「学ぶ者」ではなく「教える者」のはずだろ
そもそも、Me teacher of math to youのtoは、mathではなくteacherにかかってるんだよな
つまり3項動詞というものはないと思っていい?
やっぱり「私“の”先生」と「数学“の”先生」の区別は、目的語の前面と重なるか後面と重なるかで表せばよさそう ひょっとして掛け算や足し算って集合世界の話なんじゃない? 確かに、個体単位を足し算、部分単位を掛け算の世界と考えたら、世界線をあらわすはずの条件 個体を足し算に使うのはおかしいよな 移動を伴うかどうかは、往復と包含の区別にも使えそう 要するに時間要素があるかどうかだ
「~になる」も世界線というより集合の移動だよな
条件の個体 前面:部分 後面は、ただの異物混入ではなくれっきとした素材であることを明示するのに使えそうだけど、それって集合世界では表せないのかな? 集合世界って各世界の和集合(中立形)としてとらえられないかな? 身体部位など、機能に焦点があるときは集合世界、所有物など、持ってることに焦点がある場合は条件世界で表すのかな? 「サルが棒を持ってる」は集合、「サルがバナナを持ってる」は条件だと思う
無生物では区別しにくくない?
条件 個体は「世界線」ぐらいの広い意味で、条件 部分は「環境」ぐらいの狭い意味なんじゃないか? 後者は「(異物同士であっても)同じ時間・空間によく共存する」とかに使うんじゃない?
ずいぶん定義があいまいだな
集合は生得的、条件は偶有的な所有に使えばいいんじゃない? 無生物なら本来的(必須要素)か、外来的(付加要素)かの区別に使えばいいと思う
そもそも「機能」というもの自体が生物や人工物に特有の現象のような気もするし
無生物だったらそれでいい気がする
📅260411
無生物時代には、条件や集合の部分 後面には動詞や形容詞的なもの(=現象)しかなれなかったが、生物が出てきてから存在もなれるようになったってことなのかな? 美しくはないよな…
無生物の存在でも、条件の部分 後面はただ外からやってくるだけじゃなく、そのものの性質を変えてしまうようなものに(も)使えるのかもしれない やっぱり外来物だけに使うのが、集合 後面との一番の違いだよね 集合 部分 後面には外来物でもなれると思うが、使い方が分かり切ってるようなものにしか使えないんだと思う(剣など) 使い方にかかわらず、とにかく“持ってる”ことをあらわしたいときは条件を使うんだろう(棒とか?) 存在に焦点があるか、機能に焦点があるかってことだ
やっぱり無生物だと両者の区別はあいまいな気がするが、存在/現象にこだわらなければ一応どちらにも使い道はあるからいいか 「互い」って「異なりあうもの」か
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📅260412
「異なりあう」みたいな内外の相互態ってあらわせるんだっけ? たぶん無理だろ
「一致しあうもの」は「各自」とか「それぞれ」って意味になるの?
後者の区別は原始語と古代語にしかないと思うけど
中世語と現代語では、後者の区別がないというより、前者の区別と融合したんじゃないだろうか
「一致しあうもの」が「それぞれ」っておかしくない?
というか、集合世界の自他は、宿主と要素の違いをあらわすんじゃなく、内外より小さい単位の内外をあらわしたほうがよくない? 「外部の自分」が「互い」?
「自分」や「他者」が部分単位で、「各自」や「互い」が個体単位? 逆な気がしなくもない
どうすればeachのニュアンスが出るんだろう?
📅260413
「5個のもの」や「6個のもの」にとっての「30個のもの」は「外部の自分」って言えるのか 部分単位ならそうだし、個体単位なら「11個のもの」が「外部の自分」だろう 確かに、そうじゃないと、部分単位の外部 自動って使い道ないよな でも「5個のもの」と「6個のもの」だって十分似てるのに、部分単位だと似てないことになってしまわない? 「5+(1以下)」という共通の性質を持ってると考えれば似てるのかもしれないが
「それぞれ」とかって分配性の問題だから、やっぱり分数(縮約語頭)で表すしかないのかね? これこそ「互い」なのかもしれない
それともやっぱり英語のeach otherみたいに、2語で表すしかないのかな?
ちょっと不便な気がする
📅260414
主語が集団だからと言って、必ずしも全員を主語とみなす必要はないよな? その中の一人(一人)に焦点が当たってる解釈でもいい
そうすると外部は、その集団の中の他者もさせるわけだ 単位(分配性)はそもそもあいまいにできたほうがいい場面もあるだろうし てことは、「それぞれ」とか「一緒に」は独立の語で表したほうが便利ってことか?
でも「それぞれの他者」だと他集団の他者かもしれないんだよな
「互い」は特殊だと思う
動詞の相互態で「互い」の意味を表現できるんだから、無理に「互い」って言葉を作らなくてよくない? これらを駆使すれば、「互い」なんか簡単に表現できそうなんだよな
人称をあらわすにしても、第三者を含めた「私たち」や「あなたたち」があらわせないし
「互い」は、「個体単位で自集団に属するもの」と「部分単位で他個体に属するもの」を並べて表せばいいのでは? 厳密性にこだわらない場合はどっちかだけ言えばいいと思う
自他の存在意義って何?
やっぱり宿主と要素の違いをあらわすだけ?
逆のほうがよさそうな気もする
Me liker(自) of(他) you(私があなただったらよかったのに)みたいなね
📅260415
ていうか「~になる」って条件世界じゃなくて時間世界でも表せるよな 大小が、部分単位だと包含、個体単位だと往復をあらわすなら、移動の始点や終点を部分単位、移動物を個体単位で表しちゃダメじゃない? どちらも個体単位であって、大小で区別されるべきではないか? 大小はあくまで量的な違いだが、単位は質的な違いな気がする 集合なら部分単位は格や態だが、個体単位は立場の譲渡や代替かもしれない 往復と包含の違いはやっぱり時間要素があるかどうかじゃない? その場合、時間要素のない空間や条件の前後はどういう意味になるんだ? 空間は正面/背面でいいかもしれないけど、条件は集合と統一して格や態をあらわすようにするくらいしか思いつかないな 格や態を移動と考えると、出発点と到達点が同じになってしまうという問題もある
集合の時間要素ありバージョンは普通に「~になる」(変化)だろ 確かに
空間だったら「向く」、条件だったら「従う」とかになりそうな気がしなくもないけど(要するに指向性) じゃあ、それでいいだろ
まあ、磁石とかにはたぶんあるだろうし
自他のスロットいらなそうだから、時間要素の有無をあらわすのに使う? 「~を待つ」って「~より後になろうとする」とも言えそうだから、時間世界にも指向性があるんじゃないか? 指向性って所有関係をあらわすのとも相性よさそうだよな 「前後」スロットが指向性、「因果」スロットが時間的前後関係をあらわすべきな気がする でも強弱って、移動元から消える/移動先に現れる/その両方 のどれに焦点があるか(得失)をあらわすんじゃなかった? もう、自他を廃止してそっちをあらわせるようにしようかな? 📅260416
結局、得失も内外に近いものではあるので、自他から変えたところでそんなに違和感はないと思う それもあんまり美しくないな…
そもそも代名詞と内容語の区別があること自体が美しくない気もするけど 接置詞で有無をあらわせなくても別にいい気がするけど、(おそらく移動元/移動物/移動先の区別に使う)大小はあらわせないとまずいんじゃないか? 単位の区別は質的違いだから、多分同じ移動(現象)の中で異なる単位は共存できないと思う 自分と他者(の所有)のどっちに焦点があるかって話だよね?
「A」と「Aであること」は後面同士で重なり合うことができなくなったってこと? いや、個体単位では無理かもしれないけど、部分単位ならいけるんじゃない? そもそも集合 個体の前後をどういうときに使うのか全く分からない おそらく格や態をあらわすんだろうけど、部分単位と何が違うんだろう? そもそも条件の前後が何をあらわすのかもはっきりしてないし…
単位は移動や変化をあらわすときにしか気にしなくていいのかな? (今まで通りの)自他があらわせないだけで、こんなに不便になるとは… もう「A」と「Aであること」の関係は、条件世界で表せばよくない? 「Aであること」全部が「A」を作ってるんだと思う
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接置詞の自他は今まで通りの意味をあらわすことにしない? 接置詞や代名詞でまで「与える」と「失う」の違いとか(つまり、新しい意味の自他)をあらわせなくていいでしょ まあ、確かに
でも、「A」と「Aであること」の関係を接置詞でしか表せないことにならない? 一応「個体単位で他者」、「部分単位で自分」であることを示す代名詞などを補えばあらわせないこともないと思うけど 「A」と「Aであること」って、やっぱり同範囲とみなしたほうがしっくりきそうだよね 実用的にはそれで問題ないんだろうけど、やっぱり「Aであることであること」はどうあらわすんだとか思っちゃうよね…
だから、一応形式的には宿主に性質を包含させといて、「宿主を構成する“すべての”性質」であることを強調したいときは接続詞や形容詞で「すべて」であることをあらわすしかないと思う 実際、空間でもパンパンに詰まってるときはそう表現することになるだろうし まあ、日常会話では同範囲(大小 両立)で大丈夫だと思うけど というか、条件と集合はやっぱり統一したほうがきれいな気がしてきたな ほぼ目的語と一緒じゃない?
未来だったら「目指す」でよさそうだけど
それも「従う」「いう通りになる」みたいなことだよね
無生物にも応用できるのかな?
「そっちに向かう(潜在的)エネルギーがある」?
「従う」となんか違くない?
やっぱり物理法則とかなのかな?
目的だったら往復で表せそうだしな
ほとんどの場合、主体なら同個体、客体なら別個体だし 「私/あなた」とか「自分/相手」も、内外や自他より前後や主客のほうがしっくりくる気がするし でも集合世界だと本来の前後と役割がかぶっちゃうよね? 本来の前後は「~(の関係物)になることを目指す」なんじゃないか? 空間も「~のほうを向いている」というより「~に向かおうとしている」なのかもしれない 指向性(=好悪?)ってどの世界でも示したいほど有用か? 「向いている」より「向かおうとしている」のほうが頻度高いと思うよ
そうか?
これらも品詞によって使い分ければいいんじゃない?
もしくは各スロットの意味をもっとあいまいにしておくか ペニギリ語も時代とともにスロットの意味が変わってきたってことにしてもいいと思うけど そもそも主客は動詞的な意味を持つ目的語にしか使えない時点でどうなの? 一応客体は関係物全般をあらわせるから動詞的じゃなくても使えるだろ 「~する/されるもの」ではなく「~する/されること」を目的語に取った時に、主語との関係が明示できて便利なこと以外は自他とほぼ一緒だな 条件の指向性って「私にとってあなたはヒーローだ」みたいな、目的語ってわけじゃないけど、ある意味役割(影響関係)を持つ時の基準となるものをあらわすのでは? まあ、集合の前面同士でも表せそうだけど、接置詞1個では一方の前後しか表せないから便利かもしれない 基準って法律なら意志世界、認識なら論理世界とかでも表せそうだけど、そういうのをぼかしたいときにも便利なのかな 条件の前面同士や後面同士がどういう意味になるのかよくわからないが 時間の指向性もどういう意味なのかさっぱり分からないし 基準的なものなんだろうけど
「~以降にやらなければならない」(待機)や「~までにやらなければならない」(期限)をあらわすんだろうか?
📅260418
授受や移動において動いてるほう(移動物)と止まってるほう(地点)を区別しなきゃいけないのって、空間と感覚系だけのような気がするから、これらの前後(指向性)だけ移動の始点側と終点側を表すようにすれば、単位や大小をその区別に使わなくてもいいってことじゃない? これで、人工ではない無生物に空間的な正面/背面があるのかを考えなくてよくなるし、「かぶせる/くっつける/入れる」などの違いも大小で表せるようになる どの世界でも、移動元が「始端」、移動先が「終端」、移動物が「始終両立」でよくない? 📅260419
動く側/動かない側は単位で区別したほうがスマートな気もするけどね 📅260420
前後って始終と意味的に独立してなきゃいけないのかね? 条件の指向性も所有者と所有物の区別に使えるんだから、ある意味動く側と動かない側を表してるよな 使いどころがわからない
「眺める/見る/覗く」とかの区別にでも使うのか?
そうかも
集合世界の動く側/動かない側は大小で表せるだろうし しかも、単位を変えれば比喩を逆にもできる(個体単位なら「“空”が“青いもの”という集合に移動する」、部分単位なら「“青いもの”という性質が“空”に移動する」みたいな比喩になる)
(所有者:所有物 の関係を 前面:後面 とすれば)共有を表せる? まあ、どっちかが共存ならどっちかは共有になりそうだよな
「待つ」とか、接置詞で表すには意味が複雑すぎる気がするし そもそも自由に移動ができない世界だからな
時間と空間の前後(指向性)は条件世界と一緒で、動く側(出来事や物)と動かない側(時点や地点)を表せばいいんじゃないか? そうかも
じゃあ「前後」って名前がふさわしくない気がするな
「主従」や「主客」のほうがいいかも
じゃあ「待つ」ってどう表せばいいんだろう?
シンメトリーっぽさはなくなってきたが…
「自他」スロットの使い方もまだぎこちない気がするし 色、味、触感とかは態とか相を表せなくても(つまり活用できなくても)問題ない気がするから複雑概念でいいか 📅260421
「あなたの財布を盗む」を「財布においてあなたを盗む」のように言うには、「財布」によって「あなた」(という主要部)を上書きする必要があって、そのためには例の「Aの(ときの)B」の意味の違いを作る区別(言語考察4 25/04/23~)もしくはそれに類似したものを接置詞などに持たせる必要があるんじゃないか? 今「自他」に使ってるスロットはむしろこれに使ったほうがいいんじゃないか? それともむしろ、接置詞の前にある語と後にある語の、どちらの内外・主客・大小を表すかを切り替えるのに使うべきか? そっちのほうがよさそう
自他を区別できなくても、英語や中国語のように、動詞や形容詞を目的語にとるときはその主語を明示しなければ自動、明示すれば他動とデフォルトで解釈されるようにすればいいか そっちのほうがスマートっぽい
自他を区別してるのは結局何世界なんだという疑問も出てきそうだし たしかに、個体を識別するはずの個体単位で別個体同士が重なり合えちゃうもんな でも、現代ペニギリ語では条件世界と集合世界は合流してしまうかもしれないので、そうなっても「自分」と「他者」を定義する方法は持っとかないといけないはず そうすると自他スロットはあってもらったほうがありがたくないか? 自他は同個体か別個体かというより、主語側と目的語側のどちらを話題にしてるかを表すんじゃないか? これなら動詞での自他の役割(=得失)とも表してるものが近くなる気がする おそらく古代語までの前置詞/後置詞の区別と中世語で合流してしまうので話がさらにややこしくなってしまうが (touch) John on the headと(touch) John's headの区別がなくなるってことね
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でもちゃんと(代名詞での)人称の区別にも流用できそうなんだよね できるか?
でも同じくらい人称も表したい
そもそも代名詞というカテゴリが要るのかわからないけど それとこれとは別じゃないか?
John have headとJohn on headは何が違うのかって話なんだよな
やっぱり前者は主語(John)、後者は目的語(head)を舞台にしてるよね? あとは片方が決まればもう片方も自動的に決まるよね
まあ、どちら側の内外 両立かが示せないのはかなり問題な気もするが… いちおう接続詞(や形容詞)では態の区別がおそらくできるので、それで補って示せばいいだけなんだが でもどちら側の主客か区別できないとしたら確かに大問題かもしれない それぞれの主客があらわせないと困るのは主体同士と客体同士の場合だけだが、それらは始終 両立で示せるから大丈夫なんじゃないか? とりあえず代名詞では態を表せなくてもそんなに問題なさそうなので、人称を表すことにしよう 態で区別される「主語(側)/目的語(側)」も、結局「自分(側)/相手(側)」だもんね どちら側の内外 両立かも大小で区別できそうじゃない?(大きい側は小さい側をすべて含んでも内外 両立のままなので、小さい側の内外だけ表せばいい) 確かに
「主体同士」「客体同士」を使う機会もそんなになさそうだよな 条件世界(もしくは意志世界)の主体同士(「共有」)と客体同士(「共存」)って分配性の問題だから「持つ」「ある」でいい気がするし 統一しない場合、意志世界ではなく条件世界で所有関係を表すこともできそうだが、「作る」(条件世界の始点?)と「与える」(意志世界の始点?)も正直全然違う気がするんだよな まあとにかく、相補分布のおかげで何とか「自他」のスロットを確保することができた 無理やり自分好みの方向に持ってった感もあるが…
例えば「僕はウナギだ」は、「僕はウナギにとって何かだ」って言える
どうしても意志世界で所有関係を表すのに違和感があるので、条件世界を集合世界から切り離したくなってしまう 条件や集合の個体単位と部分単位は、範囲の対応関係が逆になるだけで質的には同じな気がする つまり、部分単位で関係物があらわせるなら、個体単位でも表せなければおかしいのでは? 例えば、10人中5人がウナギを注文するときに、「僕たちの半分はウナギだ」と個体単位を使って言えたほうが便利なのではないか?(部分単位でも表せそうだけど) 中世・現代語で、接置詞のどちら側が主要部かを示す方法はまた別に考えなきゃいけないってことだよな どうせ接置詞で「与える」と「失う」とか、「得る」と「奪う」の違いを表せないんだったら、これらの語は常に動詞で表すようにすればよくない? 確かに
文が長くなりすぎないか?
条件で主客と大小の両方の区別があるのって過剰な気がするんだけどどうなんだろう? 「与える」と「作る」の違いとかを表すのにも使えるのか?
主客は「従う側/従わせる側のどちらか」、大小は「何割ずつが従う/従わせるか」を表すから全然違うだろ 「作る」はどっちも動かないから、主客 両立な気がしなくもない 動かないからというより、どっちがどっちに従うわけでもないからでは?
そうかも
📅260422
「その椅子」ではなく「あなたが座っている椅子」とかいうようにすればいい
そうすると、接置詞でも動詞と同じように、自他ではなく得失を区別したほうがいいのかもしれないな 接置詞で自他が区別できない場合、名詞と動詞を明確に区別した方が便利そうだが(例えばI liker of myself runnerではなくI like runningみたいに簡単にいえるようになる)、別に名詞だからと言って目的語をとれないわけでもないので(eater of fishとか普通に言える)、名詞と動詞のパラレル感はなくならないからいいんじゃないか? つまり単純概念は宿主「~するもの/~であるもの」ではなく状態「~すること/~であること」をデフォルトで表す 例えば「それ」をthing near youみたいに言わなきゃいけないってことでしょ
代名詞も建前上は絶対語ではない(「私」「あなた」などではなく「自分」「相手」などを表す)し、やっぱりあったほうが便利なのかもしれない 「自分」も「相手」も代名詞っていうのが、日本語の感覚的にはあんまりしっくりこないかもしれないけど でも移動物にとっては内外じゃなくない?
まあ「与/奪/得/失 される(もの)」っていえばいいだけだから区別はできると思うけど
じゃあ「得失」って命名はよくないな
「部分自他」(もしくは「間接自他」?)とか呼ぶようにしようか 接置詞の自他も部分自他(間接自他)を表す可能性があることにすれば、例えばI liker of(自) runnerは、「走る自分が好きだ」だけではなく「自分が走ることが好きだ」という解釈も可能になる まあ「自分」や「他者」を厳密に定義できなくなるから諸刃の剣ではあるんだが
「頭においてジョンを触る」も「コーヒーにおいて1杯を飲む」も同じことだよな
今のペニギリ語は寒いところでしゃべるとめちゃめちゃ寒く感じるので、発音も改善の余地があるかもしれない 形態スロットを増やして、子音を強化したりした方がいいかも https://scrapbox.io/files/69e8dfbcfc4464f697c19adf.png
📅260424
「向く」をどう表せばいいのか分からなくなってきたな
主語と動詞は、例えば「食べ物である」という主体的経験も「食べられる」という客体的経験も共有しているのだから 「機能世界」とでもいうべきものがないとあらわせないのかな? 原始語では両世界の区別があったが、古代語で合流したのかもしれない 集合世界の移動(変化や対象物の譲渡)ってそんなに使いどころないと思うよ よく考えたら、「私」と「自分」の違いって「彼は私のことが嫌いだ」と「彼は自分のことが嫌いだ」みたいに、引用文や補文がなくても発生しうるんだな
じゃあ「引用階層」っていうネーミングはやめたほうがいいかもしれないな
統語的厳密性の3大要素(これら以外あるのかは知らない)である、 2.限定範囲(「私にはかわいい子供が2人いる」など)、 3.指示階層(「彼は彼女に私があなたを愛しているといった」など) を正確に表す方法と、逆に言いたくないときにはぼかす方法をちゃんと考えないといけない
そうかも
そうかもしれない
📅260425
やっぱり古代語に[w](ワ行)があって[j](ヤ行)がないのって不自然な気がするな
例えば、「私はあなたが何を食べたかを知っている」の「何」も、それに対して相手が言い返す「何(だと思うの)?」も、「私やあなたの言葉によって私が再認識するかもしれないもの」という意味で「私がまだ認識していないもの」って言ってるんだとしたら意味が通るな
ただし1つ目の場合、「私ってあなたが“何を食べたと”知ってるんだっけ?」という意味にもとられかねない(さすがに意味不明すぎて取られないと思うが)
なので、多くの言語(ギリシャ語や朝鮮語?)と同じように、アクセントを置くと「何(?)」、おかないと「何か」という意味になるようにするか、補文の中では「私がすでに認識したもの」や「あなたがまだ認識していないもの」と言い換えて疑問詞でないことを明示するしかないだろう 補文にせずに「私はあなたが食べたものを知っている」みたいにいってもいいが、実は上記の文も「私は何かを食べたあなたを知っている」とか言ってるのであって形式的には補文ではない
動詞は前後の言葉にペタペタくっついてしまって扱いづらい 複雑概念を感性的に命名するのもそうだし、単純概念を「~する/である(こと)」ではなく「~する/であるもの」とあらわすのもそうだが、とにかく地に足がついた独立性や具体性を好む 質の違い(階層など)は自分で好きなだけ作れてしまうが、量の違い(数直線)はプラス/マイナスぐらいしか質的な区切りがない(?)ので、これ以上増やせないのもいい 接置詞の前後どちらの語が主要部かを明示しなければ(つまり、前置詞と後置詞を区別しなければ)、例えばMe eater of you eater of whatを、「私は何かを食べるあなたを食べる」だけでなく「私はあなたが食べる何かを食べる」とも解釈できて、より自由が利くようになるのでは? スロット数が減った中世・現代語では必然的にそうなるだろう じゃあそれらの時代でも主要部を明示するにはどうしたらいいのか? 📅260426
I have a book to readとかからもわかるとおり、条件世界っぽい所有(所有者:所有物の関係)と機能世界っぽい所有(直接目的語:動詞の関係)ってシームレスなんだよな でもそれだとシームレスにならなくない?
そうかも
まさか条件世界で格や態をあらわせるとは思わなかった 主客ではなく、やっぱり(時間差のない)前後を区別したほうがいいような気がする 所有物や動詞が影響を与える側(前面)、所有者や目的語が影響を受ける側(後面) こっちのほうがしっくりくるかもな
あらわせるか?
主客が主語と目的語ではなく移動物と移動先の関係を常にあらわすようにすれば、直接/間接目的語の区別だけでなく両者と主語の関係も簡単に表せそう いや、移動物と移動先というより、得失側の主客を常にあらわすべきだと思う それで、やっぱり始終ではなく因果(与奪側か得失側か)を区別したほうがよさそう で、自他のスロットは近づくか遠ざかるかをあらわすべきだと思う じゃあ「自他」より「集散」とかにしたほうがしっくりくるのかな? ネーミングはさておき、意味的にはなかなかシンメトリーになってるな 「構成物を共有してる者同士」?
いや、たぶん格や態の表し方は今までの集合世界でのやり方と同じでいい 主客 両立は両方動くことをあらわし、空間なら「くっつけあう」とかに使う まあ、それが無難かな…
いや、不便だろ
「私はあなたに数学を教える」や「太郎は(理想の)リンゴを持っている」を例にすると、
・内外は「数学(直接目的語)にとっての私(主語)」や「太郎(所有者)にとってのリンゴ(所有物)」など、 主客は得失側の関係だけをあらわせばよくなったので、空間の「向く側:向かれる側」は客体:主体で表せるかもな 📅260427
主客を入れ替えれば、「一時的に泳ぐもの」(宿主にとって状態が選択的)と「水泳選手」(状態にとって宿主が選択的)の違いも表せる 所有関係は所有物が所有者に特徴づけられるから内外 両立、意味関係はそうじゃないから外部なのかもしれない もはや所有者の一部だから、ともとらえられるかもしれないが
📅260501
どうやら集合と条件の役割が今まで考えてたのと逆だったらしい 例えば、
1.「数学の教師」は「教師」である条件を完全に「数学」に依存してるし、
2.「あなたの教師」は(生徒としての)「あなた」の依存先である「数学」(など)にさらに別の側面から依存しているし、 3.「あなたにとっての(理想の)教師」は「(理想の)教師」として、何らかの側面(判断されるなど)が「あなた」に依存している と考えられるから
やっぱり条件世界は身体部位など役割がはっきりしたものの所有(だけ)、集合世界は貰い物など役割がはっきりしないものの所有を(も)表すのがよさそうだな 条件の主客 両立は(接置詞だと?)「たがいにとって~である」みたいな交互態の意味じゃなく、「~と同等の立場である」みたいな意味をあらわすのか 📅260502
そこまで品詞によってスロットの意味がばらばらでいいんだったら、代名詞の自他 両立も「たがい」の意味に使ったりすればよくない? でも「たがい」って「相手」でいい場合が多そうだよね
「作る」というのは大体「別のものから変化させる」ことではあるんだが…
例えば「ソクラテスは天才だ」は「(私は)ソクラテスの一部を認識し、天才の全部を認識する」なんじゃないか?
おそらく論理か感覚系の接続詞を使って表すことになると思う 対格と与奪格の違いも、例えば「太郎は花子にリンゴをあげる」だったら、「太郎は花子の所有物を作り、リンゴの所有者を作る」のようにあらわすので、主述関係の表し方と似てていいと思う 主述関係は「私に認識されるもの」なので接続詞というより(それから作られた)代名詞か 論理や感覚系の主客は「認識する側/される側」をあらわすから違うだろ 条件と集合の所有は、他動では違いがはっきりしてるかもしれないが、自動だとどう使い分けるのかよくわからないので、やっぱり条件の主客 両立を主語と動詞の関係に使うのはまずいんじゃないか? 機能のはっきりした所有とはっきりしてない所有の違いなどは、集合世界の自他 両立と他動で表しわければよさそうだし、別に条件世界で主格や機能的所有をあらわせなくてもいいんじゃないか? たしかに
じゃあ、「~する/であること」みたいな状態や性質も、宿主にとっては自他 両立になるのか? そうなりそうだよね
でも無生物だとやっぱり自他 両立と他動の区別がしにくくない? まあ、例えば素材は別に機能じゃないから他動になったりするんじゃない? おそらく、無生物には「個体」という概念がない(?)から集合世界や自他の使い方が難しいんだと思う 無生物は集合 自他なら自分の構成物や状態、集合 他動なら構成物ではないけど、自分の状態を変えてしまうようなものに使うんじゃない? 例えば、食品にとって材料は自他だけど、カビなどは他動だと思う まあ、本来の自分のものと呼べるかどうかで使い分けるってことだよな
そうすると、自他 両立にもある程度使い道が出てくることになる でも他動は機能不明のはずなのに、カビだとはっきりしてないか? 自他 両立は大雑把に「自分(の一部)とも呼べそうだけど他者とも呼べそうなもの」を表せばいいんだと思うよ そうすれば「たがい」という意味にもなりうる
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なんか「相互」であることを表せるものが多すぎる気がするんだが…
まあ自他 両立は「自分(たち)の中の他者」くらいの意味なので必ずしも双方向とは限らないけど、主客 両立は必ず双方向という違いはあるかもしれない 思った以上に質より量っぽいし、複雑そうなものでも「~したくなる(感じ)」とかで結構表せそうだもんな 「ありがたい」と「申し訳ない」はなんか対称的になってそうだよな
📅260503
動詞と接置詞は、どっちかの主客だけ「たがいの財布を盗みあう」みたいな間接相互態も表せるようにすれば役割分担ができるんじゃないか? 接置詞はもっと主語側と目的語側それぞれの状態を分けて表すようにしたほうが融通が利く気がするな そうすれば「私は財布においてあなたを盗んだ」とか(間接関係)も言いやすくなりそう この例だと因果 両立でも表せそうだけど、例えば「たがいの財布を見合う」とかだと間接相互態があったほうがあらわしやすくなりそう この場合、主語は「見る」主体ではあるが、「見る」対象ではないんだよな… でも「見合う」と表現したい(※追記:「互い」という言葉が出てくるまで相互関係であることを知らせられないのは不便な気がするので)
あと、内容語も含めた「主客」スロットが、「動く側/動かない側」ではなく、「始点側/終点側」をあらわすようにすれば、そもそも「相互態」的なものがなくなる(?)ので、この問題は考えなくて済む つまり「見合う」ではなく常に「たがいを見る」のように言うようにする
英語とかだと多分そうなってるし
「たがい(のペット)を見合う」と「たがい(のペット)にみられあう」とかを区別できるなら交互態があってもいいと思うけどね 「因果」スロットをやめて、前みたいに、移動の始点/終点をあらわす「始終」スロットに戻せば、少なくとも「見せる」側か「見る」側かは区別できるはず だが、それでも「たがいのペットを見合う」と「たがいのペットにみられあう」の区別は難しそうだな…
結局、「見合う」と「見られあう」とかの違いをあらわすために内容語(動詞)の主客と接置詞の主客が別々に必要なんじゃないか? そうかも
そういう役割も担えるんだろう
に戻したほうが安定してる気がするな
ネーミング的にもいい感じだし
やっぱり条件世界の主客(ないし前後)も、対象物の引き渡しみたいな移動における動く側と動かない側(ないし出発点側と到達点側)をあらわすのでは? これならやはり条件 接置詞では交互態をあらわせないことになって、動詞と役割がかぶることもなくなるかもしれない 主に主語と目的語(ないし先行語と後続語)のどっちが変化してその関係になったかをあらわすってことだろうな 正直、そんな不便なものがあってほしくない
📅260504
そもそも接置詞1個では主語と目的語の関係しか表せないので、例えば「AがBをCに変える」と「AがBをCに与える」が区別できない(目的語どうし(BとC)の自他は表せないため) 代名詞を使う場合、上の2文は、「Aは、《自分にもたれる》Bを作り、《自分を持つ》Cを作る」と「Aは、《他者にもたれる》Bを作り、《他者を持つ》Cを作る」のように区別される(《》で囲った部分が代名詞) 「太郎は財布において花子を盗む」とかは、「太郎は、《他者を持つ》花子を、そして《他者にもたれる》財布を盗む」みたいに言えばいいと思う
この場合、花子そのものを盗むわけじゃないけど、たぶん中世以降のペニギリ語では主要部を示す手段がない、もしくはあっても普段は使わないので、「他者を持つ花子」は同時に「花子にもたれる他者」をも意味しうる 逆に古代語までは両者を区別できてたかもしれない
もちろん目的語同士の関係は厳密に表したければ表せばいいだけの話で、表示が義務的なわけではない 普通に「太郎は花子《が持つ》財布を盗む」(《》は後置詞)みたいに言ってもいいんだけどね なるべく階層を作りたがらないペニギリ語ならではの表現 始終は前後の、強弱は大小のより外側バージョンっていうだけで本質的には同じものな気がするので(自他と内外も?)、接置詞はボイスというより、内側の意味と外側の意味のどちらをあらわすかを切り替えればいいと思う いや、それは並び順で区別できるか
やっぱり主語側と目的語側というより、先行語側と後続語側どちらの状態をあらわすかを切り替えたほうがよさそう だいぶ融通が利くようになってきたと思う
接置詞を2個使う方式なら、代名詞を使う方式と比べて、主要部が上書きされたことが分かりやすい(「《他者を持つ》花子」ではなく「花子《にもたれる他者》」のように) いや、(少なくとも中世語以降は)主要部が上書きされるとも限らないか… じゃあ結局、代名詞方式と大して変わらない気がするな… むしろ目的語に隣接してなくても使える代名詞のほうが便利なのでは? 接置詞のほうが階層が好きなだけ作れて融通が利きそうではあるけどね それにしても代名詞でもボイス(仮称)スロットを使えば、前後どちらにある語句の状態をあらわしてるかを区別できるのはすごいな (少なくとも中世後以降は)接置詞は自らが主要部であることを表示できない(「~にとって~な~」という意味しか持たない)ので、置く場所によっては関係ない言葉とくっついてしまうかもしれず、その点では代名詞のほうが便利(そもそも古代語までは接置詞と代名詞の区別があいまいだと思う) じゃあ、その時々で便利なほうを使えばいいんじゃない?
前後の言葉から独立してるはずの代名詞が前後どちらの言葉の状態をあらわすかを示すのは変な気がするので、ボイスではなく、主語(先行語)と目的語(後続語)のどちらが主要部かをあらわしたほうがいいのでは? 主要部が明示できると、接置詞が関係ない言葉に必ずしもくっつかなくなるので、内側の関係をあらわすのに代名詞は使わなくてもよくなるな このスロットで「財布《を持つ》花子」と区別されるのは、「花子《にもたれる》財布」ではなく「財布《という持ち物における》花子」なのだ(あくまでも語感の差であり、両者の論理的意味は全く変わらない) でも動詞の意味と合わせるなら、やっぱり「因果」のままでいいか… 結局最初の名称に戻ってきたな
やっぱり代名詞にはこの区別(どちら側を主要部とみなすか)いらなそうだから、こっちは動詞の因果と同じ意味で使おうかな そうかも
結局、例えば「《自分の》りんご」と代名詞を使って言ったときこの「自分」がだれを指すのか(発話者なのか、文の主語なのか…)を明示しようとする際、「リンゴ」ではなく「自分」のほうが主要部であってくれたほうが便利で、「リンゴ」が主要部だと断定されてると困るんだよね いや、それも「自分にもたれるリンゴ《を持つもの》」みたいに、後置詞を使って無理やり主要部を「自分」に持ってくればいいだけだろ 確かに
そして、時間世界と空間世界が正極と負極(順不同)として分かれ、時間も空間も一致する(つまり同個体である)ことをあらわす集合世界が両極的な存在となる なので、立場に縛られない関係である目的語:動詞が条件世界で、立場を同じくする関係である主語:動詞(および所有者:所有物)が集合世界で表されるのは理にかなっていると思う お互いにどれくらいずつ重なってるかはわからないが、少なくとも重なり合ってることをあらわす方法がなくない?
やっぱり統語的主従関係をあらわそうとすると面倒くさいことが起きてしまうな 相互にどれくらいずつ重なることが分かっている/いないかを明確に表そうとするなら、(接置詞があらわすのが)先行語と後続語どちら側の内外なのかを表示しないといけない そして、古代語までは語頭と語腹の両明暗が協力し合って、主要部をあらわすスロットを構成していたが、中世語では語頭の明暗だけになり、現代語ではそれもなくなったということだろう まだ接置詞と代名詞の区別ははっきりしてなかったかもしれないけど やはり代名詞でも内容語でも、正/負/両/中がそれぞれ、前接形(先行語に対する別格)/後接形(後続語に対する別格)/独立形(述語、同格)/遊離形(副詞的なもの)をあらわしてたんじゃないだろうか 遊離形の使い道あるか?
それでいいか
古代語は[ɻ](ァラ行)を[j](ヤ行)に置き換えてもいい気がする
📅260505
たぶん、互いに全部重なり合う(=同範囲)、互いに一部ずつ重なり合う、互いに全く重ならない(の3状態)は、1個の接置詞の因果 両立でも表せると思う 一応、色、味、感情のような量だけで表せなさそうなものも、縮約語頭を使えば大まかな種類は区別できるかもしれない 機能語を含まないことが複合語であることのしるしになってるので、句と複合語をシームレスにするためには、内容語と機能語の区別をなくすしかなさそうだが、そんなことできるのか? 内容語と機能語の区別をなくしても、語形変化で前後の語句との主従関係を示せれば、統語論的には大丈夫なんだろうけど 固有名詞を語形変化させるのは難しそうだが、補助的なもの(例えば代名詞や「~であるもの」をあらわす接置詞)を使えば主従関係をあらわせないこともないかもしれない そういえば古代語や中世語での固有名詞の扱いってどうなるんだろうね?
確かに
でも接置詞を抱合できるようになると、膠着語化していきそうでなんかいやだな… さすがに現代語で主要部が示せないのって不便すぎる気がするんだよな 語順を固定して、常に先頭の語を主要部とみなすとかするしかないのかね? 「太郎は財布において花子を盗む」は、「太郎は花子を盗む。もし彼女が自身の財布であるならば。(実際には違うけど。)」みたいなシュールな言い方をするしかないんじゃないか?
でも「太郎にとってのおやつ(一般的にはおやつじゃない)」とか「3つ集まった時の1(=1/3)」とかって普通にそういうことだよね?
つまり、代名詞などを使って「太郎は《(実在しない)》《自分である》財布を持つ花子を盗む」みたいに言えばいい 結局、「Aの(ときの)B」の意味の違いって条件 接置詞の前後スロットで区別することになりそうだから、「太郎にとってのおやつ(一般的にはおやつじゃないが、太郎にとってはそう)」はsnack (条)from Taro、「太郎にとってのおやつ(一般的にはおやつだが、太郎にとっては違う)」はsnack (条)to Taroのように言うことになりそう なので、上の例文も、Taro thief of Hanako have wallet (条)to(自) herself(太郎は、彼女自身であるときの財布を持つ花子の泥棒だ)のように言えばいい
現代語はSVO NA語順(主要部が先頭)に固定されるってことだよね? 逆に主要部が末尾でもいいんだけど、多くの孤立語がSVO NAっぽいからね たしかに
じゃあ「3つ集まると1になる数(=1/3)」がone (条)in three、「3つ集まった1(=3)」がone (条)out threeか
どっちかっていうと掛け算がin、割り算がoutっぽいのにな
1/3は「3を(内側から)外側に失った1」、1×3は「3を(外側から)内側に得た1」ってあらわしたほうがしっくりくるよね
「太郎じゃないとおやつじゃなくなるもの」はsnack lose Taro、「太郎だとおやつじゃなくなるもの」はsnack get Taroなのか
なんか単語ベクトルの計算みたい
でも「太郎」は「おやつ」を得ようが失おうが「太郎」のままなので、「太郎」と「おやつ」は非対称な関係ということだ
ということは、前後(ないし主客)とは別に因果(ないし始終)も区別しなきゃいけないってこと? でも移動と違って、時間経過はないよね?
でも、時間差はないかもしれないけど、なんか前後っぽさはあるよね? 本来はどこにあったか(≒現実にはどこにあるか)、そして、今はどこにあるか(≒話題にしている世界線ではどこにあるか)の両方をあらわしてる気がするから
実際には(今のところ)世界線間の移動は技術的に(?)できないので、条件 個体の前後スロットが過去と未来ではなく、現実と仮定をあらわしてても何の問題もないはず いや、因果関係はたぶん条件 部分があらわすことになると思う だって、主体の一部(行動など)が移動・変化して対象物(結果)を作るんでしょ?
「与える」と「作る」はシームレスってことだよね
条件 個体において、「太郎じゃないとおやつじゃなくなるもの」はすべての世界線で「太郎」の内部にあって、逆に「太郎だとおやつじゃなくなるもの」はすべての世界線で「太郎」の外部にあるので、「おやつ」側からしてみれば「失う」「得る」というより「出る」「入る」といったほうが近い ていうか時間経過がなかったとしても、ペニギリ語では変化後の状態として表す(例えばhaveもgetという)し、スロット数的にも変化前の状態なんか1個の接置詞では表せないので、過去や現実がどうだろうと話題にしてる時点や世界線の状態だけをあらわすしかない https://scrapbox.io/files/69fdb0bd4a47cec3dce69ddb.jpg
📅260506
つまり、Taro thief of Hanako have wallet if(自) herself(太郎は《彼女自身》《であるときの》財布を持つ花子の泥棒だ)のif(であるときの)を省いてしまって、herself(彼女自身)をwallet(財布)の同格語として前置すれば(Taro thief of Hanako have herself wallet)、あたかもherselfが倒置マーカーになったように見える 「自分」(self)が後ろの言葉もさせるんだったら、例えばApple in Californiaを、California self(=Apple) in self(=California) Apple、さらには後ろのselfも省略してしまってCalifornia self in Appleのように言えるようになって、真の倒置マーカーとして使えるようになりそう まあ、そもそもself(自分)は一人称「私」としても使うはずなので、倒置マーカーにするのはさすがに厳しいと思うけどね でも、指示階層においてより内側である「自分」っていう意味のほうが優先されるでしょ(「私」っていう意味が一番外側) もういっそ、「私」って言いたいときは、内容語で「話す者」って言ったほうが確実だと思うよ 結局そうなるのか…
もしくは代名詞で、一人称は「相手に話す者」、二人称は「自分から聞く者」ってあらわしてもいいし それが一番よさそうだな
しかも内外スロット(の外部)を使えば、独り言の主体でも「相手に話すかもしれない者」、話を聞いてくれない人でも「自分から聞くかもしれない者」と表せる 独り言の一人称は「自分に話すもの」って言ってもいいし
代名詞では直接目的語と間接目的語の区別ができないので、「相手(のこと)を話す者」「自分(のこと)を聞く者」という意味にもなりかねないのが難点だが wallet if(自) herselfのif(自)を省略するのではなく、逆にherselfのほうを省略してif(自)を代名詞に変化させたほうがいいのでは? そしてやはり、同格語としてwalletに前置すれば、iffer(自) wallet(《自分であるときのもの》である財布)という意味になって、wallet if(自) herselfと全く同じ意味をあらわせるだけでなく、倒置マーカーとしてもちゃんと機能するし、「自分」をあらわす代名詞とも語形がかぶらないで済む iffer(自)って「自分であるときのもの」って意味になるか?
「自分と(条件的に)共存するもの」ぐらいの意味にしかならなくない?
確かに…
やっぱり語順を固定せず主要部をあいまいにしておいて、Taro thief of Hanako have wallet have that(=thief)(太郎は泥棒だ。花子がそれ(=泥棒)をされた財布を持つ(ということにおいて)。)みたいな表し方をしてもいいんだけどね ただ、主要部があいまいなら、have thatもHanakoにかかってる可能性もあるっていうのが引っかかる… 何なら、常に先頭部を主要部とみなしても、「太郎は泥棒だ。それをされた財布を持つ花子において」という意味になって、これはこれで普通にしっくりくるかもしれない ただこの場合も、厳密には「花子」自身は「泥棒」されてないので、thief of Hanakoのofは外部形、wallet have thatのhaveは内部形と使い分けなければ正確じゃないよな… でもそうすると「え?太郎は花子を盗んだの?あ、なんだ、財布か…」みたいな肩透かし的な言い方はできなくなってしまう
普段は主要部があいまいだけど、代名詞で修飾位置を明確にするときだけ隣接語しか修飾しないっていうせこい手を使うしかないのか? 一応主要部を先頭に固定する場合も、thief of(内) Hanakoとかは、thief of(内) of(内外) Hanakoとかの2個目のof(内外)が省略されてるだけなので、論理的に間違いではないのかもしれない 結局、主客(動く側/動かない側)は、因果(ボイス)で表すようになったってことだよね? 相手にどれくらい重なってるか(内外)を示されてるほうが客体(動く側) 統語的厳密性をあらわすために、専用の言葉を使うのではなく代名詞など日常の言葉を使ってる時点で、究極的な正確性はあきらめたほうがいいと思う とりあえず、self(自分)を使うよりthat(自分に言われたもの)を使ったほうが、統語的厳密性の表し方ともシームレスでいい感じがするな 複雑概念を理性的に命名したくない理由の1つに、たとえば日本語の「自動車」と「自転車」のように、個性や印象がわりと違うもの同士が似た名前になってしまうというのがある 時代や環境の変化で物事同士の関係や立場が変わったときに、もはやその名前がふさわしくないことになりやすい気がする
ただ、何でもかんでも感性的に命名してしまうと覚えにくいし意味を予測しにくくなってしまうので、ある程度理性的な命名もやむを得ないと思う
ただし、ペニギリ語の複合語は最初の語頭と最後の語幹以外の要素がどんどん消えていく(という設定な)ので、最初理性的に命名されてた語もどんどんすり減って、しまいには本来の命名意図が分からなくなってしまうというのが、過剰な理性主義とのバランスをとってくれそうな気もする ていうか、Taro thief of Hanako if(自) have wallet herself(太郎は、彼女自身である財布を持つときの花子の泥棒だ)みたいな表し方が一番素直じゃない?(意味的には相変わらずナンセンスだが)
if(自)も省略していいと思うけどね
📅260507
中世語までの母音の明暗は、先頭が主要部であることを前提としたときに、前の語から主要部の座を奪うかどうかをあらわすべきなんだよな そうすることで、肩透かし的な言い方も容易になるし、句や複合語の内部で主要部がどこにあろうが、一貫して最初の語頭がその格をあらわすことになるため、特別な操作を加えずに句からシームレスに複合語に移行することができる 主要部を奪うかどうかの区別を「格」と呼んできたが、「主従」と呼ぶようにしようかな 中世語にはこの2形しかなく、文頭だと、主要形が平叙や発見、従属形が命令や呼びかけをあらわしてたかもしれない そして「主要」形は前の語、「従属」形は後ろの語を従える主要部であることをあらわしていたはずだ ということは「主従」という命名は適切ではないかもしれない
前の語を従える形が「閉口」、後ろの語を従える形が「開口」でいいか 開きカッコと閉じカッコみたいなイメージ
どっちかっていうと、前の語を主要部としてそれに従う形(後置修飾)と後ろの語を主要部としてそれに従う形(前置修飾)を区別したほうが自然じゃない? 後ろの語に主要部を奪わせるみたいな肩透かしができなくなるし、句と複合語の形態もシームレスではなくなってしまいそうだけど、たしかに自然言語っぽくはあるよね いや、自然言語でむしろ主要部のほうが従属部の情報を表示することは普通にあるだろ なんとなく、古代語で文の主要部を開口形にすると疑問、閉口形にすると命令をあらわしそうな気がする 古代語までは、前置/後置の区別だったが、中世語で閉口/開口の区別に変化したという可能性もある 実際接置詞だと、主語と目的語の間に置かれた場合は、どっちみち機能的には同じことになるので (その場合、前置詞は後置修飾、後置詞は前置修飾になるので、用語的にややこしいが…) 古代語も先頭が主要部と考えて、「主要」形、「従属」形と命名したほうがしっくりくると思うよ 古代語では、先頭の語は文の主要部(=述語)でない限り必ず両立形になる気がするな(まだ文中での機能が確定してないから) というか先頭の語は何形だろうと論理的意味は変わらないので、平叙/疑問/命令を区別するのに使いたい 文だろうが名詞句だろうが、この3つの区別は必ずあるんだよな
なんか、「主従」の区別って法性の区別と同じなんじゃないか? まあ合理的ではありそうだが、文頭を特別扱いするのってシンメトリーじゃなくて嫌じゃない?
あと、逆に平叙なのか疑問なのか命令なのかの肩透かしはできなくなってしまうのも気になる… まあ、本命は現代語だから、それ以前にしかない区別が合理的なものじゃなくても別にいいんだけどね
あと、語の内部では、要素同士(語頭、語腹、語尾)の順番が固定されてるんだから、文でも別に固定してていいじゃんっていうのもある そもそも主要と従属の区別ではなく、「~における」格と「~を持つ」格の区別ともとらえられそうだし 結局接置詞も「~にとって~な~」ではなく「~にとって~なもの」をあらわしているので、主語とは同格関係にあるんだよな なので、内容語や代名詞などの自立語同士を直接(隣りに)並べて同格関係をあらわすのも、破格や省略どころか、むしろ極めて保守的な文法といえる 例えば、「花子を、その財布の中の小銭において盗む」とかも、thief of Hanako as what-of-self wallet as what-in-self coin(自分(=財布)の中のものである、小銭としての、自分(=花子)に属するものである、財布としての、花子の泥棒)みたいに、接置詞を(「自分」を目的語として)代名詞化したうえで、主語と同格語として並べることで表すこともできるんじゃないか? as(~としてのもの)はおそらくbe(~であるもの)と反対のボイスだよな? asが「(目的語)に要素として含まれているもの」なのに対して、beは「(目的語)を要素として含んでいるもの」だと思う つまり、Hanako as wallet as coinは「花子の、財布に含まれている部分の、小銭に含まれている部分」という意味になる
集合 他動が所有物をあらわすから、「財布における花子」を「財布であるときの花子」みたいな変ないい方しなきゃいけなくなってるんじゃないか? ていうか「財布における花子」も「花子の、財布にもたれている部分」っていう風にも解釈できそうだから、普通に所有物として、集合 他動で表せるんじゃないか? 確かに
自動形にするから無理があるように感じてただけで、他動形にすればそこまで違和感ないのかもな 集合世界の所有関係は、もっと抽象的にとらえたほうがいいのかも 極論を言えば、あらゆる事物は、その関係物のすべてを所有していると考えられるのかもしれない
例えば、花子の中には財布を構成するすべての要素があるが、同時に、財布の中にも花子を構成するすべての要素があると考えられるのかもしれない
(少なくとも現代)ペニギリ語が句の主要部をあらわさないんだったら、句の一種である語にも同じことが言えて、語は「それそのもの」だけでなく「それの関連物」も表す可能性が常にあるんじゃないか? そうだとしたら、「花子の財布を盗む」ことをsteal Hanako in her walletのように言ったとしても何ら不思議じゃないのかもしれない
そしてこの「関連物」というのは指す範囲が常に任意なので、ある時には「花子」が「財布」のすべてを含み、別の時には「財布」が「花子」のすべてを含んでいるように表現したとしても何ら矛盾しないんじゃないか? しかし、そんな言語が果たして成立するんだろうか?
一応「関連度」に応じて重みづけがあって、「それそのもの」をあらわす可能性が一番高く、関連度が低くなるに従って表される可能性も低くなっていくのかもしれない 修飾位置も、隣接語を修飾する可能性が一番高く、離れるほど可能性が低くなるのかも 「鍋料理」のことを「鍋」と言ったり、「日本代表チーム」のことを「日本」と言ったりするのも、(少なくとも現代)ペニギリ語では修辞法でもメトニミーでも何でもないってことだ 主要部が示せた中世語まではこのような特徴はなかったのかもしれないが、示せなくなった現代語がやむを得ず獲得した特徴であるにせよ、質ではなく量、絶対ではなく相対という原理をさらに突き詰めることになったのは間違いない このうち、ともに先行語の首位を奪わない開口と開閉 両立、そして、ともに先行語から首位を奪う閉口と開閉 中立が、それぞれ中世語で合流したと思われる 開閉 中立は述語というより、先行語と直接的な主従関係のない別格かもしれない 例えば、「ジョンがリンゴを食べる」をJohn apple eaterの順番で言った時のappleはJohnに従うわけでも従われるわけでもないし、同格でも並列でもないので、開閉 中立になると思う 📅260508
中世語には語頭の明暗しかなく2状態しか区別できないが、開口と閉口をあらわしてしまうと、同格、並列、主従関係のない別格などが表せなくなって困りそうなので、どちらかというと主従関係があるかどうかのほうを区別したほうがよさそう そうするとやっぱり、「同格」「別格」という名称がしっくりくると思うな 「同別」という言葉はたぶんないので、スロット名は「開閉」のままでいい気がするが ということは、中世語の時点ですでに前後の語のどちらが主要部かは示せなくなっていたということだ 生物と無生物が別格で並んでいた場合も、生物が所有者で無生物が所有物の可能性のほうが圧倒的に高いだろう でも、例えば「ジョンがリンゴを食べる」をJohn apple eaterの順番で言ったときはappleは同格形でよさそうだが(別格形にすると「ジョンのリンゴを食べる」という意味になりそう)、apple John eaterの順番で言ったときは、Johnを別格形にしたほうがしっくりくる気がするので、直接的な主従関係があるかどうかが使い分けの基準ってわけでもないみたいだな(そもそも固有名詞が格変化できるのかは知らないが)