言語考察2
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📅23年冬~24年春ごろ?
所有格と因果関係がほんとに同じ系統なんだろうか?
内容語の存在に注目するものと機能に注目するものがありそう 因果と変化って一緒な気がするんだけど
性質が誰かから誰かに移るって言いたいときは?
まずそんなことが滅多にないのか?
あらゆる変化は出発点と到達点と移動物で記述できる?
逆に、人がある性質からある性質に移るって言いたい場合も移動として表せない?
時間をベースにしたものが変化で、存在をベースにしたものが相関? ほかに絶対軸のものって何かある?
変化がそうか?
でも、どれだけ経験したかっていう量として表せそうだから、やっぱり相関の仲間かな? 確かに存在そのものを生み出すわけじゃないし、生き物がいなかったら所有っていう概念はなかったのかな?
そもそも個体っていう概念もなかったかもしれない
「与える」を「持たせる」と表現すれば、因果と授受、そして存在と現象も統一できる? じゃあ、条件って何なの?
所有と関係あるの?
「~の影響下において」みたいな意味なのかな?
必ずしも同じ世界線にあることは影響関係にあることを意味しない気がするけど
世界線って性質と関係あるの?
空間でも動きを表す授受だけじゃなくて、動きのない状態を表す所有、所属があって、これは相関に近いものなんだから、現象でも同じようになっていると考えるのが自然なんじゃない? つまり、因果関係や影響関係という動的なものの間に所有・所属関係があって、これが実は条件関係と同じものなんじゃないかっていう…
でも全然違うもののような気もする
ある状態にするのに何者かの許可がいるっていうことを所有の定義だとするならば、所有物は一部分が条件的に所有者に依存しているって言えなくもないのかもしれない
だから、性質と条件は同じものだし、存在すらも同じものって言えるのかもしれない その場合、因果・影響関係と授受関係は連続的になってるのか?
あと所有物だからと言って必ずしも所有者が影響を与えれるとも限らない気がするし…
でもそういう場合所有してるのはたぶん所有物からの影響であって、所有者自体が消えてしまえばもちろんその影響も消えてしまうわけで、所有物(の影響)が所有者に条件的に依存してるって言えなくもないのかもしれない
つまり、所有物と所有者(依存する側とされる側)がそれぞれ全体的に関係を持っているのかそれとも部分的にその関係にあるのかの違いだけで、やっぱり条件関係と所有・所属関係は同じものなんじゃないかな?
でも所有者が消えると所有物も消えるような所有関係ってなかなかなくない?
それはつまり所有物全体が所有されてる場合の話なんだろうけど、それは基本的には条件関係って呼ばれるものだよね
いわゆる「もの」同士の間ではほとんど見られない関係だと思うけど、もはや「もの」と「こと」の区別はしなくてよくなったから、そのニッチは「こと」同士が埋めるんだと思うよ
所有者が結局所有物の機能を所有してるだけなら、影響関係と何が違うのかっていう話になるし、かといってもの全体を所有してるってことにしてしまうと、所有者と一緒に必ず消えることになってしまう気がするんだけど…
所有者が消えても所有者の存在的(現象的?)部分は残るってこと?
互いに部分的な関係だから、本体同士には関係ないのかな?(部分的というより間接的?)
そうなってくるとやっぱり存在と現象の区別は必要になってくる? 例えば「私はギターを持っている」は「ギターの一部は私の一部に依存している」みたいに表現するってことだよね?
それでほんとに所有の意味を表せるのかな?
もしかしたら、「消える」ことすらも所有者の持つ状態の一つに過ぎないから、所有者自身が消えてもその概念としての存在あるいは現象は残り続けて所有物も消えることにはならないのかもしれない
同時に存在できるもの同士とできないもの同士を同じように扱っていいのか?
でもそれを言い始めたら、違う性質グループどうしであっても同時に実現できない状態同士っていうのはあり得るわけだし… 存在と現象よりもむしろそっちで分けたほうがいいような気もする ていうことは、性質グループ、個体、所有物などは同じものとして扱って、世界線つまり条件だけ別物として分離するってこと? てことは条件関係と所有関係はやっぱり別物ってこと? そっちのほうがAIにも扱いやすそうだったし
時間や空間には個体より大きいものと小さいものがありそうだけど、条件にはその違いはあるのかな? 個体より小さいものは状態とかになるのかな?
時間、空間についても、個体より大きいかどうかで分かれてるんじゃなくて、個体に対する自他によって分かれてるんだとすれば、条件にも同じ違いがあることになりそう 単位、相関、範囲系のものと、自他っていう質的な違いを持ったものとを一緒にしてしまっていいのか?(量と質の違い) 時間や空間では、ある物事と実際に重なり合っていることをあらわしているのか、それともそれを量を図るための単位として使っているだけなのかの違いを区別するために自他を利用することもできそう つまり、やっぱり、数量や範囲を表すものとは区別したほうがいいんじゃないかな?
でもやっぱりそれに使わないと時間や空間には自他の違いがないことにならない? 同じものが持ってる別の状態同士がどれだけ重なり合ってるかを示すのに自動形を使えばよくない? やっぱり条件(世界線)の個体より小さいバージョン(部分形)は、性質グループとか「~として」で表されるような意味にしといたほうがいい気がする 時間的な要素を持っている接置詞と、持ってない接続詞の関係ってどうなってるんだろう? 集団の構成員と集団の所有物を同じように扱っていいの?
やっぱり条件の全体形(もしくは他動形)と部分形(もしくは自動形)はそれぞれ環境(世界線)と状態(性質)って呼べるようなものなのかもしれない 変化も性質メンバー世界の移動だと考えればしっくりきやすいかも 存在世界なのか条件世界なのか、それともどちらでもないのか 原因は部分的に結果に依存されてて、目的は手段に部分的に依存してる気がするから
因果関係は依存関係の連鎖としてとらえられるかもしれない
AIのことを考えなければ、別に問題はないのかもしれないけど
やっぱり多くの自然言語と同じように、現象が格スロットを持ってて、その中にいろんな物事が組み込まれているって考えるようにしたほうがいいのかな? その場合、個体世界における他動の間接ってどういう意味になるの? 「~の代わりに」みたいな意味になるんじゃない?
「見るものという役割を持っている」と「見るという行為を持っている」の「持っている」は同じもの?
「芸術の鑑賞者」と「芸術的な鑑賞者」は区別できるの?
「芸術的な」と「芸術の代わりの」は区別できないってこと?
この例だと自他で区別できそうだけど
例えば「世界的」は「世界であるかのような性質を持った」とは言い換えられない気がするから、存在注目・現象注目と直接・間接は違う区別なのかもしれないし、「~的」の意味にもいろいろあるのかもしれない
やっぱり存在と現象は分けたほうがいいんじゃない?
でも世界として分けてしまうと、存在:現象の関係が表せなくなりそう 現象も現象を持つことができるし、存在も存在を持つことができるよね?じゃあやっぱり、存在と現象に分かれるっていう考え方自体がナンセンスなのかな?
個別現象の中の役割同士の関係って、条件が同じってわけでもなさそうだし、やっぱり宿主が同じって考えたほうがよさそうだよね
主体と状態の関係って、ほんとに所有者と所有物ってとらえていいのかな?
もっと表と裏みたいな、対等な関係だったりしないのかな?
役割同士って、時間や空間が同じとも限らなそうだよね
同じ現象が例えば「見る」と「見られる」とに分かれて、異なる主体に宿ってるって考えればいいの? それこそ「面」による違いって考えてもよさそうだけど 結局、持つ側と持たれる側に質的な違いがあると考えず、量の違いとしてとらえて、ある時は現象が主体に含まれて、ある時は現象が主体を含むと考えたほうがいいような気がする でも、ある現象が「見るもの」と「見られるもの」をその側面として含んでいるのと同時に、ある主体が「見る」という状態と例えば「遊ぶ」っていう状態を共に含んでいるのってなんか不思議じゃない? まあ、一部分ずつ重なってるだけなんだろうけど
でも、含みあったり重なり合ったりしてるとはいっても、やっぱり同じ個体とは言えない気がするから、「犬が見る」における「犬」と「見るもの」みたいなほんとに重なり合ってる関係とは区別できるようにしといたほうがよさそう
個体、群体、全体みたいな集合の世界と、役割、性質グループ、所有物みたいな側面の世界もまた別物なのかもしれない 存在と現象を区別しないなら同じでもよさそうな気がするけど でも条件的に重なってるのと個体として重なってるのってやっぱり違う気がする 上位区分と下位区分がそれにあたるのかな?
確かに集合に自動形しかなさそうなのは変な気がするけど、条件には一応自他の区別があったはず でも集合世界で個体を分けれないっていうのが引っかかる でも分類って結局状態で分かれてるんであって、状態が条件の部分形であるってことは、集合と条件はかなり近いものといえるんじゃ?
ほかの世界では個体より大きいかどうかで両者が分かれてるのに? 「実在物」「仮定物」「空想物」っていう集合との関係で条件とか確率も表せそうだし
でも集合を個体で分けるのと確率で分けるのでは違う気がする 単位で区別できるのかもしれないけど、そもそも単位って何?
単位世界があるの?
そもそも「時代:年齢」とか「場所:部分」みたいな区別が個体世界との掛け合わせってこと?
時間とか空間には集合における個体みたいな最小単位がなくない? だからやっぱり個体っていう単位は世界にかかわらず普遍的な単位ってことにしといたほうがよさそうな気がする ていうことは「時代:年齢」とか「場所:部分」と同じように「集合:条件」っていう風に分けても問題ないんじゃない? 「所有者」と「所有物」か
なんかしっくりこない…
「自他」っていう概念が変異世界のものである以上仕方ないのか? ひょっとしてほかの世界でも全体形には自他の区別がないのかな? そうかもしれない
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因果って条件世界っていうよりどっちかっていうと所有世界の移動のような気がするけど違うのかな? まあ、授受と区別できたほうが便利だしね…
まあ、接置詞のhave, ofは必ずしも全部:一部の関係ってわけでもないからそこまで範囲にこだわらなくてもいい気はする 時間的前後関係のある条件関係を便宜的に因果関係って呼んどくみたいな感じか
でも厳密には違うよね?
でも、本当に厳密に、先行事象がないと後続事象が絶対あり得ないんだったら、それは因果関係といってもいいのかもしれない
でもそれだと複数通りの原因があり得る場合というか、先行事象がなくても後続事象が起きるパターンがある場合は因果関係があると言い切れないことにならない?
だからやっぱり所有世界を存在と現象に分けたほうがいい気がするのか あと目的の場合、実際に起こるとも限らなければ、手段の影響を受けるとも限らない気がするから、条件世界ではうまく説明できないような気がする でも、目的が達成されなかったり、手段の影響を受けなかった場合でも、実現しないような状態の目的(物)を作ったと考えれば、一応説明できるんじゃない?
でもあんまり直感には合わない
あと所有世界と考えたほうが原因と結果の関係も説明しやすそう 実現してない状態の先行物が、原因になることなんてないはずだし
そうすると、条件世界の移動はただの状態変化を表すの? まあ確かに接置詞で「消え失せる」みたいな意味まで表現できないだろうから、「~から(~になった)」は、from系で表現するしかないんだろうね ほんとは違うけど補充法的に現象で表すしかないの?
「~が~と共存するようになる」とかそんなに言う?
「~が起きると~が起きる」っていう意味になるんだとしたら頻繁に使うかも
因果関係じゃない場合にも使えるってことだよね
でもそれって単に「~の後に~がある」じゃダメなの?
それだと相関があることが示せてないってこと?
単に「~の後に~があった」っていう事実を示してるだけかもしれないのか
「~があってこそ~があった」みたいなニュアンスになるの?
やっぱりあんまり使いどころない気もするけど…
「風が吹くと(なぜか)桶屋がもうかる」みたいなときに使うのかな?
自動形では「信号が赤から青に変わる」みたいな、変化前と変化後の意味でfromとtoを使えるかもしれないけど、他動形では集合の解釈ができなくて条件の意味で使うしかないだろうから、「~の後には(たいてい)~がある」みたいな二者の関係を表すことになって、give/fromとto/getは前件の後に後件が起きる確率が100%に近いかどうかで使い分けることになるのかな? あんまり便利じゃなさそう…
中途半端な気がするかもしれないけど、相関関係と前後関係を同時に表せるのは結構便利な気もするし、変化を表す接置詞っていうシリーズの中では割と一貫性が取れてるからいいんじゃない? 個別現象ってものがあるとしたら、「現実に起きている~の~割が~と相関しあっている」みたいに集合としてもとらえられるわけで、他動形だからと言って全体形がないわけではないことになる ということはもしかするとやっぱり条件と集合は別物なのかもしれない 全体形と部分形って別に個体っていう単位によって分かれてるわけでは必ずしもなくて、特に質的な違いもないのかもしれない 集合も条件も、その定義に当てはまる物事全体を一つの単位とすればいいってことかも でも集合と確率は違うものでしょ?
区別しにくい場合もありそうだけど
個体と条件と所有っていう世界があって、さらにそれぞれが存在と現象に分かれてるんだとしたらややこしすぎでしょ 全部の世界で他動形しかないことにしといたほうが無難かも(全体形は) だとしたらやっぱり個体と条件は別にしといたほうがいいかもしれない 所有以外を二つに分けるメリットって何?
個別現象が表せるようになるとか?
個別現象って何なの?
一個の場面で起きる連続的な現象?
「~(の~割)が~になる」?
条件だと「~が(~割の確率で)~になる」みたいになるのか… 正直区別つきづらい気がするし、特に接置詞では割合もあんまり表せないから区別する意味あるのかと思ってしまう… 後、日常会話では因果関係と時間差のある相関関係もあんまり区別しなくていい気がするし
後者は時間系の接続詞とかと組み合わせて言えばいいだけだし じゃあもう因果関係専用にしちゃえばいい気がする
でもやっぱり因果って条件系じゃなくて所有系のほうがしっくりくるよね・・・
何なら存在と現象を区別しなくても授受をそのまま因果として使えそうな気もする
「~に」と「~のために」をどうやって区別すればいいのかわからないけど
例えば、「友達のためにギターを作る」と「友達にギターをあげる」が区別できないのはさすがにまずい気がする
どっちかっていうと「~のために~を作る」よりも「~に~をあげる」のほうが「~を~に変える」により近い感じもする
「~を~にする」じゃなくて「~という所属先を~に与える」って解釈すればしっくりくるようになるのかな?
つまり、直接目的語と間接目的語を逆にすればいいのかな?
条件にしたらしたで変化させる相手と目的を区別できない可能性がある? 変化物は全体系で目的は部分系?もしくは個体と状態?
部分系(状態)だとすれば目的が必ずしも実現しないこともその手段によって実現するとは限らないことも説明できるようになるのか でも「作る」と「変化させる」が区別できなくない?
でも変化させた結果として変化先の構成員を増やすことになるんだから、それは作ってるともいえるんじゃない?
因果とか影響関係って結局力の向きを表したいんであって、個体とか条件の移動じゃない気がするんだよね
確かに変化先が変化物に先行するわけでもないのに、変化先to変化物 って言えそうな気もするし 変化物と目的の違いって自他の違いなんじゃない?
たしかにそうかも
部分系を状態の一部とみてるのが変化物で、条件の一部としてみてるのが目的っていう違いもあるかもしれない 集合世界の全体系が条件(世界線)で、これには対象が含まれてないかもしれないから目的を表せて、対する部分系が状態や個体で、対象が必ず含まれているので、変化物を表すことができるみたいな感じかも ていうことは因果関係って、ある対象が持ちうるすべての状態の集合を生み出すことって言い換えられるの?
すべてとは限らないのかもしれないけど、その辺は厳密に表さずに済むからいいんじゃない?
世界線は時間とともに分かれていくものっていう一般的?な感覚にもあってそうな気がするからまあいいのかも
時間・空間からの類推で、条件のofはたぶん相関関係に使うのが自然だから、個体か側面で表すことにはなりそうだけど 力の発生源と到達点だったら、条件(因果関係)とかぶっちゃいそう
立場や役割を譲るみたいな意味になるとか?
そっちのほうがしっくりくるかも
じゃあ個体のfrom/toはやっぱり変化前と変化後を意味するの? 全体が変わるかどうか?
全体系と部分系の違いって、全部か一部かじゃなくて、対象の中に必ず収まるかどうかなんじゃない? 個体だと全体系は「~のようなもの」くらいの意味になるのかな? 「~に似る」が全体系で、「~になる」が部分系ってこと? じゃあ、外部形と内部形とかに改名したほうがいいんじゃない? 因果とかって所有世界のほうが説明しやすそうな気がするし それを突き詰めればすべての接置詞は時間的なものと接続詞との組み合わせで表現できることになりそう その時間要素すらも接続詞で表せるなら接置詞はいらないことになるよね いっそ接置詞は接頭辞と末子音の組み合わせだけにして、残りの要素は接続詞の語幹を後ろにつけることによって表すようにすればいいんじゃない? 「する」、「し続ける」、「している最中」とかもできるし
側面も個体も条件も日常会話ではあんまり区別しなくていい気がする 世界が5個もあると2個の組が10個もできちゃうから扱いにくいんだよね それとも、先行/中立(両立?)/後続 と 前置/後置 を掛け合わせて6個(8個?)作る? 形態スロットが増えたことで、内容語でも具体的意味と抽象的意味を区別できるようになるといいけど もちろん形態スロット数の多い古代語に限った話だけど 側面世界を存在と現象に分けると、「~の」と「~的(な)」の区別もできるようになるのか(授受と因果だけじゃなくて) 2個ずつの組が15個できることになるけど大丈夫?(世界が6個になると)
「~など」「~か否か」「~というもの」「~の一種」で十分な気がする
包括と周辺の区別が一番なくなってもいい気がするから、それらを中極と両極に配置したいんだけど無理かな? さすがに接置詞で態(ボイス)が区別できないと授受が表せなくなっちゃうか まあ変化は主動詞を内容語で表せばいいだけなんだけどね やっぱり、授受のことを考えると、周辺形(非包括)が+極、部分形(内在形)がー極、全体系(包括)が両立極で、内外(不明)形が中立極と考えたほうがわかりやすい気がする 内部所有と外部所有は別物と考えられるから、しっかり区別できたほうがよさそう でも両立が全体形になるのはあんまりしっくりこないような気もする 対象の何割を掌握できているかみたいなイメージかな
現代語では部分形と内外不明形が区別できなくなるっていうのも、英語のtoのイメージとも合っててしっくりくるし 個体世界の周辺形は存在そのものではなくその機能や影響を表す? 因果関係とか特にそうだけど、やっぱり周辺形にも自他の区別があったほうがよさそうだよね? 逆に空間の自動形とかいつ使うのか全然わからないけど ある人が同じ場所で別のことをやってる場合とか?
身体部位とかもその人の一部とみなせたりするのか
ものを単位として使うときとかに数量世界があると便利なんじゃない? 存在世界のhaveとofって質的に全然違う気がするのに、範囲の違いとしてしか表せないのっておかしくない? 例えば、「先生を持っている」(=生徒だ)と「先生と(何か)関係を持っている」が区別できなくない?
やっぱり「先生」という機能そのものと、「先生にまつわる」何かの現象は区別できるようにしといたほうがよさそうな気がする
逆に現象世界はそれで因果関係も表せるようになりそう 写真の被写体とか物語の登場人物みたいに、その機能そのものとは関係ないけど、一部を構成してるみたいなときに存在世界の部分形を使うのかな? 結局存在:現象っていう関係もあり得る以上、世界を分けてしまうのはどうかと思う やっぱり特定性は確率の世界だから蓋然性とつながってるんだね でも「~だ」「~ではない」って断定するのと、「~に違いない」「~なわけがない」って予想するのでは意味が違う気がするんだけど
蓋然性と認識レベルは別物ってこと?
「~と関係がある」と「~的だ」も意味が違う気がするし
どれだけ相関が強いかっていうのも重要かもしれない
「~の」は対象の性質はどうでもいいと思ってそう(「~的(な)」とは違って)
動詞側は目的語側に機能的にかかわっているけど、目的語側は必ずしもそうじゃないのか 動詞の機能を定義するときに必ず必要な要素である内的な関係と、そうではない外的な関係があって、前者は対象や内容(物)、後者は主体や作り手… まあとにかく、そんな風に考えれば、xバー理論の補部と付加部の関係も説明できるし、主語と目的語の質的な違いも説明できそうな気がする 全体形と部分形で「教師:教材」のような直接的な関係か、「教師:生徒」のような間接的な関係なのかも区別できる? 現象の周辺形を対象の定義に含まれないような性質に使えば、「~と関係がある」も表せるんじゃない? 成分とか?
その機能とは関係なくただ含んでることだけを表すのかな?
「~についての」とかも表せるのかな?
「~的な」はどっちかっていうと個体っぽいけど
作品と内容も質的に違う気がするのに量の違いとしてあらわすことにならない? 作品と内容の関係は普通に機能的なものなんじゃない?
ていうか普通に登場人物なら、個体世界の他動形でも表せそうじゃない? あと成分とか
でもやっぱりそれとこれは違うものか
自動形は「~という側面」みたいな意味になるんじゃない? 仕事や役割みたいなものか
たぶんそう
例えば「親」と「子」は全体:全体の関係で、どちらももう一方がいないと成り立たなくて、お互いの機能をフルに使いあってると考えられる 一方で、例えば「先生」と「生徒」の場合、お互いに機能を使いあってはいるけど、まず教えられるべき教科がないと成り立たないような関係なので、お互いからの依存は限定的と考えられて、部分:部分の関係になる 「私には先生がいる」(=私は教えられている)の場合、「先生」の機能は部分的に受けている一方で、「私」ならではの機能は一切使ってないので、周辺:部分の関係になる 確かに、自他の中立極とか両立極もあったら便利そうだし、個体世界の中でグラデーションとしてあらわせるようになると表現が広がりそう。 マイナスの重みも許せば、近接性も表現できるようになって、「周辺」の中でもグラデーションがつけられるようになるかも https://scrapbox.io/files/686794d2248ce10b24662736.png
ほんとに全部構造ではなく相関、質ではなく量で表現できるんだ 本来はないんだろうけど、便宜的にウナギ文にでも使っとけばいいんじゃない? 「変化させる」が存在世界で「役に立つ」が条件世界かもしれない 逆かな?
そもそも因果関係全般が存在世界で、条件世界は相関関係しか表さないのかも でも存在世界だと原因が結果を最初から持ってたことになってしまわないか? 条件世界はやっぱり「~のおかげで」とか「~の役に立つ」とかに使いたい 現象世界のアスペクトをどう使えばいいのかよくわからないから、それを変化や影響に充てればいいんじゃない? もしかしたら因果関係全般が現象世界の移動としてあらわせるんじゃない? 世界ごとのマージの順番の違いなんてないんじゃないか? みんな同時に並行的に交わってるんじゃない?
📅24年7月頃
もっと母音を多くしないといけない
音節リズムにして、弱母音+末子音ではなく弱母音+弱母音、つまり強母音を接頭辞に使うようにしたほうがいい気がする もしくは強母音+末子音で補うべき
弱母音という概念をなくしたほうがいい
規則的に命名できる概念かどうかの基準は、身体性に根差しているかどうか?
「ゆでる」は「火」属性なのか「水」属性なのか?
どちらでもないのか?
「蒸す」もどっちなんだろう?
各形態スロットがいろんな意味を兼任しなければならない? そのほうが語彙体系の変化にも対応しやすくなるかもしれない
さすがに物理的過ぎて規則的には命名できないか…
まあ語彙を分析してみないことには何もわからないか
純粋に移動や存在を表すものを除いて、規則的に命名できる動詞のほうが珍しい気がしてきた 📅24.08.10
単語の音韻構造が変わって音節リズム言語になりそうだから、末子音のない音節は強勢音節(語幹)以外であっても、強母音を持たせるようにしたほうがいい気がする その場合強母音の後半と末子音が相補分布することになる
もしかしたら前者も末子音に含まれることになるかもしれない
「ゆでる」や「蒸す」のようなよく使う単語の接頭辞が2個(以上)あるのは不便すぎるでしょ
ほとんどの動詞、形容詞は複数の接頭辞を組み合わせて表さざるを得ないんじゃないか? よっぽど文法要素として固定されたものを除いて…
フラクタルな(もしくはパラレルな)命名なんて本当にできるんだろうか?
📅24.08.27
同じ意味なのに「これが○○だよ」と「君は今○○を見ているよ」っていう(まったく)別の形式で表されるの何とかしたい
聞き手や話し手からどれだけ離れてるかとか正直どうでもいいんじゃないか?
割と主観的だし…
指示詞と疑問詞って主語が話し手か聞き手かの違いしかないのか… 「提示しろ」ってことだよね?
「これは何ですか?」は「あなたに言葉で伝えてほしいものが私の目の前にあります」みたいに言わなきゃいけないの?
一人称/二人称、過去/未来 を文法的に区別できれば、「あなたがこれから言うこと」を「何」の代わりとして使えるんじゃない?
「~は何?」と「~を教えて」の差も小さくなるし
📅24.08.28
証拠性も同じ方法で表せるじゃん
「これから私が見るもの」と「これからあなたが見せるもの」って同じ意味にならない?
前者は目線で指し示すときに使うのか?
ほかの感覚器官だと無理だろ(ベロはいけるけど)
でも「これから見る/聞く/食べる…」ことで指し示すこともできなくはないから、どっちが能動的にそれをやるかで区別できていいんじゃない?(自分が能動的に動くなら指示詞、相手なら疑問詞) 📅24.08.29
点過去と現在完了とかも使い分けあいまいだし区別しなくてもいいと思う
「今・ここ・私」ではなく、「当時・当地・当人」との関係性を基準にしたほうがいい
過去形、例えば「私が見たもの」と「あなたが見せたもの」の区別も、どっちが能動的にしたかによってするの?
📅24.08.30
「私」って「自分」というより「認識者」だよね
これなら間接話法の引用文の中でも通用するし
それともやっぱり「話し手」?
形態スロット的にも余裕なさそうだし、情報を受け取る側の人称だけ区別すればいいんじゃないか? つまり「食べる」はあっても「食べさせる」はいらないんじゃない?
てことは未来形は一人称なら常に疑問詞で、二人称なら常に指示詞ってことか もう指示詞・疑問詞っていう品詞を設けなくても、普通に動詞で表せばいいんじゃないか? 「自分」と「当人」って一緒?
それとも「発話」のある時間、空間なのか?
間接話法、直接話法の違いが現れるのって、発話だけに限らないよね?
思考や決意でもあり得るよね?
てことは、「私」を「話し手」と表現するのは理にかなってないってこと?
それを言ったら「思考」してるとも限らないのか…
じゃあやっぱり「自分」(再帰的存在)なのでは?
「他者」ではない「当人」だもんね
「今・ここ・私」は、「同一時点、同一地点、同一人物」なのか…
思考や決意に聞き手はいないけどね
「相手」と「他者」の違いって何だ?
「同じ」「違う」も階層化し始めたらきりがない気がする
でもさすがに「私」と「あなた」ぐらいは区別できなきゃ
結局「対峙するもの・されるもの」って感じで、一つの動詞の異なる態で表すのがいいんじゃないか? 話す時と考える時で違う一人称を使うってこと?
まあ、定義としては「対峙」(向かい合う)くらいがちょうどいい気もするけど…
📅24.08.31
独り言など、一人称は必ずしも「対峙されるもの」とは限らない
人称を(機能語の)文法要素に組み込めるなら、「私であるもの」「あなたであるもの」みたいに循環定義すればよくない? 📅24.09.01
📅24.09.02
「私」って話さない時でも思考や決定の発生源ではあるよね?
引用文の限定解除(間接話法化)の仕方がわからない
逆に代名詞だと自他の区別とかあんまりいらなそうだから、そのスロットを人称に使うのはありかもな 接続詞も主語は言わない限り一人称に固定で、逆に目的語の人称は表せるようにしたほうがいいんじゃない? なんとなく現象世界の直接目的語と間接目的語が一人称と二人称に対応してそうではあるんだけどな 1/2/3人称はそれぞれ、自分/相手/他者だよね…
実は程度の違いとして表せるってことか
「あなたと私」は何になるの?
「互い」って量で表せるの?
まず「それぞれ」を定義しなきゃいけないのか?
分配性の問題か?
全体特定と部分特定のように態の違いでは?
それぞれが自分なのか他者なのか両方なのか
再帰形が「持つ」、交互形が「交換する」に対応してるのでは? 「持つ」と「(少なくとも一方向の)やり取りをする」は違うだろ
「戻る」と「過ぎる」の関係とも近いかもしれない
「共有」が共同態(「一緒に~する」)に対応してるのか ボイスって人称とは関係なさそうだけどどうなんだろう? 文法範疇としては必要かもしれないが
アスペクトは命名にも使えそうだし、文法範疇として有用かもしれない 再帰 交互態っていうのも場合によってはあり得るよね? 日本語でも単純な「他者」と、「他人」「部外者」の区別はあるからな…
引用文の相対性を解除するためには、一回かぎ括弧を閉じなければならない?
直接話法と間接話法を(明確に)区別すれば、こんな問題は生じないんだけどね
この部分は直接話法で言いたいけど、この部分は間接話法で言いたい、みたいなことがあるかなと思って…
(明確に区別しないほうが融通が利くから)
「私とあなたは私のために~する」とかどう言えばいいんだ?
📅24/09/03
関係ないけど古代語で母音始まりの語がないのってやばくないか?
フィラーや間投詞もまともに表せないし…
まあ、そういうのは特別扱いでいいか
古代語はフランス語に近づけすぎたな
主語の人称を表示すれば文を作り、しなければ名詞句を作るってことでいいんじゃないか? 目的語の人称も表示しなければ単なる接続詞ってことでいいんじゃないか? 文と名詞句の区別も(果たして)絶対的なものなのか?
📅24/09/05
やっぱり「持つ」は「自分に与える」って表すしかないの?
それとは別の問題?
ある命題のどの役割を担うか(つまりどの概念と同格か)は個体世界で決まってそう 「相手」と「互い」って一緒なのか?
付加疑問文(「~だよね?」)ってどう表すの?
疑問詞の目的語が1・2人称(「私とあなた」)なんじゃないか? 肯定か否定か示せないから違うだろ
📅24.09.06
「~(であり)そうだ」と「~(である)だろう」の違いって、情報源が外側か内側かなんじゃない?
伝聞(「~(である)らしい」)が言語世界で、感覚(「~(であり)そうだ」)が証拠世界(もしくは論理世界)? 具体接頭辞だけじゃなくて、抽象接頭辞でも、2つを組み合わせて割合を表したりしたいから、2重接頭辞は役に立つと思う 主語と動詞の関係って個体世界でしか定義できないの? 同格以外の関係はすべて現象世界での連結に過ぎない? 命令にも(丁寧さなどの)グラデーションがある時点で、命令を文法要素として組み込むのは危険そう…
機能語に人称の区別があると、「ありがとう」と「ごめんなさい」が言いやすそう 📅24/09/07
他動形の周辺どうしで表される「~と関係がある」をウナギ文の一種ととらえれば、個体世界ともパラレルに、他動ならウナギ、自動なら再帰(同格)と考えられるんじゃない? 生成文法の補部と付加部の関係も想起されるし
「~である」と「~な自分と関係がある」が一緒ってどうなの?
別にいいんじゃない?
さすがに目的語より関係が遠いっていうのはおかしいだろ 「~な自分と関係がある」だと「~になりたい」とかかもしれないからな…
ままごとで「じゃあ私~ね」みたいに再帰 ウナギ文を使うこともあるわけだし 機能を自分の中に持つのか外から受け取るのかで、主/目 を区別する? 主語/直目/間目/関係物 の4つを区別したいからややこしいんだよな
主語側が動詞にちょっとでも重なってることに目的語との違いがあるんだろうか? Xバー的には正解なんだろうが…
あとこれだと例えば「~への授業」と「~による授業」が区別できないんじゃないかと思ったけど、接続詞のアスペクト(もしくはボイス)を使えばいけるのか 生成文法での間接目的語の扱いってどうなってるんだろうか? 命令や疑問のグラデーションに関しては、量を表す文法カテゴリが 全部/一部/無 の3区分しかないのなら、それに合わせて表せないでいい気がする 表したいときだけ別の単語を補えばいいんじゃないか?
周辺形って単なる「関係がある」じゃないんじゃないか? 何かしら影響を受けている必要がある?
逆に単に「関係がある」って言いたいときはどうするんだ?
一方的な影響とどう区別するんだ?
3分法じゃ限界があるのか?
「~にとって」ってだいたい機能的影響じゃなければ認知とか感覚だけどね ていうか動詞的じゃない普通は目的語を取らないような概念の場合、全体形と部分形の区別が存在しないかどっちかは欠けてると思う 周辺形でも普通に「彼は私にとって侵略者だ」(私が侵略されるわけではなく、私のあこがれの存在である侵略者を彼が体現してくれてる場合など)は「彼は私に侵略者として関係している」っていう風に表現できるし 📅24/09/08
Xバー理論では、主語は指定部で、(おそらく間接目的語などを含む)付加部より外側らしい 📅24/09/11https://scrapbox.io/files/681620135d0d0c7734249919.JPG
体験/感覚/伝聞 も、全体/部分/周辺 に分類できなくはない気がする 直接性の程度で
「今/すでに そうであってくれ」っていうこともあるわけだし
疑問詞(での提示の要求)の場合はほぼ未来に限られるだろうけど 一応、指示詞とは 直説法/命令法 でも区別できるけど 📅24/09/12
個体世界の他動形をウナギ文に使うことは、関係節(修飾)と属格(修飾)をシームレスにするということでもある 「象は鼻が長い」とかも表せるな
📅24/09/13
もちろんマージの大切な要素だが
ある意味現象や状態の一種だろう
他に類を見ない
接着剤だ
単位世界っていうのもありそうだけどね
数量と重なる数量さえあるんだから、無限にメタになっていくだろう
概念世界の原子と言っていいようなレベルだ
この世界は無限次元でできてることになるぞ
言語がそもそも無限の階層を作れるものだからな…
せめて「ある」は定義しなくても済んでくれなきゃ困る
人称や時制には相対性(入れ子)の終わりがあるが、数量にはあるのか? 逆に単独で成立できるのか?
しいて言えば個体世界が数量をメタに扱えるかもしれない 「違い」をもたらすのは数量ではないから
いや、それも「重ならない」という数量的現象か…
絶対性といえば、方向世界もあるんだろうか?
「次元」を表すのに必要な気もする
数量、方向、単位、全部補助的な性質を担ってそうだ
量と単位の違い(関係)なんて方向の違いそのものだし
つまり掛け算だ
(単独で)発見と命令の違いも表せるし
固有名詞で困るだろ
固有名詞には常に冠詞がついてたってことにすればいい(呼びかけ以外)
📅24/09/14
行為や状態を修飾したいときに、能動者(例えば「先生」)から見れば現象世界では受動者(「生徒」)も動作そのもの(「授業」)も同じ扱いになるので、区別するのが難しいよね まあ受動者は正式には移動する世界の接置詞で表すべきだけど あと「授業」だと「教える」側の行為なのか「教わる」側の行為なのか区別できないのも困る
与える行為ともらう行為で持ち方が違うのならいいけど
やっぱり3段階必要なのか?
いや、4段階必要か?
発見と命令の区別にも使えるし
もはや、主体が状態を持ってるのは存在世界な気がしなくもない 実際そうだろ
一時的な状態と役割・職業の区別は条件世界かもしれない
「変える」は「違う状態にする」って表せばいいから、条件世界のtoは「役に立つ」じゃない?
「影響を与える」は存在世界か?
否定の意味にしかならないだろ
「道具として持つ」みたいな?
写真に写ってるときとか、自分の分身を持つ場合に使うのか?
「尋ねる」と「無理やり言わせようとする/こっそり聞こうとする」の区別は相手に付く接置詞の違い? でも原因が条件世界で、影響が存在世界だと、うまいこと対にならないんだよな(fromとtoで区別したいのに) 「影響する」は特定性なんだと思うよ
ある範囲を作って増やすんじゃなくて、ある範囲に絞ってる
📅24/09/15
記憶と決意(/約束)がほんとに時制や法性の違いに過ぎないのか?
どちらも「根拠を持つ」と表せるのか?
明らかに質が違うものなんだけど過去と未来とかで相補分布してそうではあるんだよね
記憶も約束も人間の意識の中に根拠があるってことが同じだ
論理の道具が根拠では?
計算から導き出したものではなく、その事実(の一端と思われるようなもの)を部分的、間接的に持ってるみたいなイメージかな
すでに起きていることが分かっているものが記憶、まだ起きてないことが分かっているものが意志/約束、どちらかわからないものが論理?
「知る」と「思い出す」の違いは何なんだ?
最終的に特定された状態になることが「知る」なのか?
「知る」は情報源や手段を問わないのか?
むしろ情報源を外に限定してる気がする
いずれにしても根拠を人に求める場合が「思い出す」「考える」「決める」か
最近は他者形なら機械かもしれない
まあ、記憶の場合はノートとかもあるしな
「決める」も意志とか決意じゃなくて、実現とか実行のほうだよね?
「考える」はそのままでいいのか?
「発案」とか「創作」になるのか?
それは「決める」じゃないの?
「直接得る」「(他者などの)媒体から得る」「自分から得る」の三段階ないか?
一個目が「探す」、二個目が「調べる」「尋ねる」、三個目が「考える」に対応してないか?
どっちかっていうと「探す」は「思い出す」に対応してそうだけどな…
あと、「考える」の媒体形は、「(コンピュータとかで)計算する」だよね?
「考える」の実行形は「証明する」なのか?
知った内容を知覚するのが「思い出す」、考えた内容を知覚するのが「証明する」、決めた内容を知覚するのが「実行する」?
知ったものを知覚するのは「再確認する」じゃないのか?
「内から」と「外から」で区別できるか
「再確認」は結局「再証明」だからな
確かに「思い出す」だけ現実から認識してないから違う気がする
疑問詞的には「思い出せ」「考えろ」「決めろ」のほうが都合がいいから、これらが同じ系列で、「知る」「証明する」「実行する」が同じ系列なんじゃないか? 確かに
それにしても「知る→思い出す」だけ矢印の向きが逆だ
「考える→証明する」も矢印の向きを変えれば「当てる」になりそうだし
よく考えたら指示詞・疑問詞の時制って未来と非未来(実質、接続法と直説法)だけでいいな もしくは未然形と已然形
主語と動詞はそれぞれ完結してるけど、動詞と直接目的語は依存しあってるので、どっちかを未完結形にしなきゃいけないみたいな 限定修飾にしてもそう
もちろん命令と発見にも使える
いろんな区別が混線しすぎてカオスになりそうだな
やっぱり個体が同じかどうかを示すぐらいにとどめといたほうがよさそうだ
未然形/已然形に使えば、志向(「探す」など)と到達(「見つける」など)の区別に応用できるかもしれない
現代語で区別できないのは不便だが、接置詞とかで行けるだろう
「方向」でも表せるか?
そもそも概念は全部プラマイの素性の組み合わせだけで表せるんだろうな 随分あいまいだな…
そもそもその2つが同じなのでは?
それいったら数量と時間も同じものだろ
形状だって行列(ベクトル?)かもしれないし
因果は条件世界なのに影響は存在世界だったり、状態は条件世界なのに類似度は個体世界だったり、色々不都合があるのでもっとよく考えた方がいい 機能も機能の集まりで出来てるから、存在と同じように分離できそう 例えば「AはBの親である」において、「A」にとって「親」は周辺:周辺の関係だけど、「A」にとって「子」は周辺:全体の関係なら、「親」と「子」は現象世界において同じ範囲じゃないことになるじゃん 存在(=部分)世界と一緒にしてしまって、「Aは自分の周辺のBにおいて、親である自分を持つ」っていう風に表現すれば、存在世界の自動形の周辺形も埋まるし、うまく説明できるのでは? そもそも同じ範囲である必要がないのかもしれないが
何で「親」より「子」の方が「A」に近いんだよ
📅24/09/18
機能的影響を受けてても所有してるとは限らないから、所有は機能の弱い版じゃないんだよな かといって所有者が必ず機能的影響を受けてるわけでもないので、やっぱり両者は別なんだろうな
ただ両世界とも”自分を外側に持つ”ということが何を意味するのか分からない 機能世界の場合やっぱりそれが主語の働きをするのか? そう考えた方が納得いきやすそうだな
周辺形は人々の印象など、実際の自分とは関係ないと思ってる場合に使うのか? じゃあ自分が写ってる写真や動画にも使えるな
「自分の写真を所有している」って簡単に言えるから便利なんでしょ
全体形は「自分の性質として持ってる」とかに使えそうだけど、部分形は何に使うんだ? https://scrapbox.io/files/68161b90cbf8e493fced1a00.JPG
前者は自分の写真を手に持ってる場合とかに使うのかな?
後者は法的・心理的に所有してるっていう自覚の有無では?
法的に体内に所有することなんてめったにないだろ
どれだけ自分が好きなようにできるかで使い分けるのか?
逆に自分が全く自由に使えない所有(周辺形)ってなんだよ? 周辺形は「たまたま/一時的に」持ってるだけの場合とか? 部分形は受け渡し可能な所有、周辺形は象徴として持ってる場合とかに使えばいいんじゃないか? 題材として持ってるときとか?
自分の自由には出来ないが、自分の(アイデンティティの)一部を成してるようなものに使うのか
なんとなく現象世界の他動 周辺形はウナギ文に使えて、存在世界のそれは使えない気がする どれだけアイデンティティを成してるかっていうのは現象世界にも言えることだよな 「全体:部分」とか比で表してきたけど、そもそも接置詞って一方向しか表せないんだった(?) 所有世界の全体形は完全な所有、部分形は共有、周辺形は所有権はないけど借りてるみたいな感じでいいんじゃないか? 周辺形は自分のじゃないけど使える状態で持ってるみたいな感じでいいんじゃないかな? 普通の「手に持つ」はこれで表せばいいと思う
所有権があって手に持ってるような場合は?
別の世界なんじゃないか?(「所有権」と「手に持つ」) 所有権の問題と自由に動かせるということは別か
(どっちかっていうと)所有度合いで使い分けた方がよさそうだな
両者の所有はシームレスな気がするんだけどな…
近くに持ってることと自由に使える状態で持ってることもまた違う気がするんだけどな…
所有世界はどれだけ好きな状態にできるか度合いなんだろうな だから手に持つ場合にも法的に持つ場合にも使える
両者を区別したい場合にはどうすればいい?
たぶん「手に持つ」は物理的側面、「所有する」は法的側面を持ってる 存在世界の周辺形を「正式な所有ではないが、影響を与えようと思えば与えられる立場」と定義すれば、相互形は「おたがいに影響を与え合っている」と定義できる 「何かを共有するもの」「ライバル」みたいな意味になったりする?
いい影響なら「仲間」って意味にもなりそうだけどね
個体単位で見た時と部分(=要素)単位で見たときの重なり度合いって別ものなんだろうな 当初考えてた機能世界の重なり方が個体単位で、今の考え方が部分単位なのかな? 📅24/09/19
類似世界の周辺同士だと、「一切共通点がない」っていう否定的な意味にしかならなさそうだし 所有者側にはあってもいいんだけど
むしろないと不便な気がするんだけど
空間世界のグループ形も座標とかになりそうだから、周辺形だと全く座標的共通点がないことになるけど、空間の場合はそれでもいいのか? それとも座標にはならないのか?
同じではない気がするけど
部分 グループどうしの条件的重なりが所有、個体的重なりが機能な気がする 現象世界の周辺形同士は、「~と(一緒に~する)」とかに使えばいいのか 📅24/09/20
📅24/09/21
「(Aが)こう動けば(Bは)こう動く」ではない
「(Aが)こうあれば(Bは)こうある」なんだよな
向きも一致してなきゃいけない
「~という向きにおいて」ってこと?
属格と関係節を一緒にできるっていう良さはあるけど…(※追記:中国語と同じように) 自動形は普通に「~な自分の」であって、「~として」ではないだろ 向きと部分って何が違うんだ?
可変部分と不変部分?
「関係を持つ」は「所有する」の上位互換だから、逆に機能が近接、所有が共存なのでは? 📅24/09/22
性質を所有で表しちゃうと、全く自分でコントロールが効かない性質の時でも「持つ」って言えちゃうことと矛盾が生じるからダメなんだよな
所有世界の他動 周辺形は、確かに自分に影響を与えるが自分ではどうにもならないもの(病気など)に使えばいいのか 影響って含意されるの?
逆に所有されてるだろ
位置的には所有してるかもしれないが
「~と(共有する)」の意味で使えばいいの?
たぶんそう
周辺形が機能世界と考えるとすっきり説明できるのか? 「~という世界において~だ」ってこと?
もともと部分単位のものは近接性を持たないんじゃないか? 📅24.09.23
対象によって異なる(相反する)性質を同時に持ちうるから
滅茶滅茶そんな気がしてきた
(場合によっては同じグループどうしでもかぶれるところも) もっとニュートラルなのはないのか?
世界がどれくらい許すかってこと?
現象世界も、主語を表すためには周辺形が必要で、周辺形のためには部分形が必要だから、少なくとも機能世界は個体単位じゃなきゃいけない? まあ、主語と動詞は現象世界では一切重ならないってことでいいのか 「(危うく)~するところだった」みたいな
役立ち度とか(実際に実現してるかは問わない)
「その条件を部分的に作った」みたいな
じゃあ所有の一致バージョンもあるはずだが…
機能が「~が『何であるか』は~によって決まる」なのに対して、所有は「~が『どうなるか』は~によって決まる」なんだよな この違いって何だろう?
所有は存在内だけどあくまで世界線、機能は同じ世界線の中でも別の状態を持ちうるからあくまで側面、みたいな感じ 「役割を譲る」とかどう言えばいいんだ?
「役割」は側面世界で「自分の外側に持ってる」って表現すればいいのか? 「関係ある」は?
でも「役割」って対象が自分の場合外側とも限らないからな…
「関係がある」は機能の近接でよさそうだけどな
別に物理的内外を表してるわけじゃないし
帰属と類似度では範囲の大小が逆の対応関係になるよね? 正確には 相関 と 要素の一致 か?
直感的にもわかりやすいし
📅24/09/25
個体・条件ほど一致と相関が質的に違う感じがしないんだよな 「親:子」とかなら、お互いの主体の範囲が一部ずつ重なってないとおかしいけど、主体と状態は重なってないはずだし、矛盾が生じるよね?
それこそ「親:子」パターンだろ
当初は主語と動詞が重なってるとは考えてなかったよね? むしろ「親」と「子」が全部ずつ、「先生」と「生徒」が一部ずつ重なってると思ってた
共存の他動形は、演じる役とかユニフォームの色にでも使うのか?(要するにウナギ文) 確かに「関係ある」じゃ心許ないもんな
範囲同士の大小関係で、状態と役割の違いが表せそうではある 自分だけじゃ成立しないような役割は部分:部分共存なのか これに関しては最近の考え方のほうがうまく説明できそう
でも矛盾もはらんでるんだよな…
今の解釈でも「関係ある」は共存:近接どうしでも表せるからな 「お互いにとって何かである」って言えるから
飛び級も許すべきかもしれない
📅24/09/26
主語と、状態そのもの(~であること)の関係は何世界で表すの? 部分世界って共存/近接にかかわらず、定義的な性質の場合は主体の全部に重なってて、偶有的な状態の場合は一部に重なってる? 部分世界の共存領域と近接領域は表裏のような関係で、自分の共存領域が相手の近接領域に重なる度合いと、相手の共存領域が自分の近接領域に重なる度合いは常に同じ? 📅24/09/27
所有者が所有物から影響を受けない所有では?
でも部分世界に合わせると、所有者が所有物を所有するのと同じだけ所有物が所有者を所有することになる 所有者の近接領域に収まるほど所有物の共存領域が小さければ、それだけ近接領域も狭くなるので、所有者への影響も小さくなるという説明は可能かもしれない そんなことないか
じゃあ所有物の全体的な縮尺が小さいことになる
いろいろ矛盾が出てきそうだが、条件世界でも因果関係を表すときには部分:全体の関係になるので、それともパラレルになっていいのかもな 状態の近接はやっぱり「~になりそう」とかに使うのでは?
縮尺が決めれるなら、所有者側の共存領域に所有物側の近接領域が全くかぶらないようにもできるのか
やっぱり状態は性質グループと考えたほうが分かりやすいのでは? 周りの状況とか?
性質メンバーのほうが同じ形式で「すべてを変えてしまう」って表現できる ほんとか?逆では?
所有や条件にも(何が許す/強いるかによって)いろんなバリエーションがあるから、それにも対応できるようにしといたほうがいい気がするな この世界そのものにも物理的とか法的とか、いろいろな側面があるってことだからな 側面世界も個体の部分バージョンじゃないかもしれないってことか いや、個体単位の側面とそれ以上の単位の側面があるってことだろ それこそ状態世界は性質グループにして、「~という側面において~は~を持ってる」って表せばいいんじゃないか? それもなんか違う気がするな…
それを個体と呼んでいいのかはわからない
でも「誰々が~を(感情的に)許す」とかも言えるわけだし、個体もこの世の側面になりうるってことか 「空間的に所有する(≒手に持つ)」とかも言えるようになるし
空間的所有はむしろ「位置を好きなようにできる」だな(ほんと?)
ていうか「移動」と「変形」を区別するために空間世界にも全体と部分の区別は必要なのか
条件はその他の世界から独立させたほうがいいんじゃないか? すべての世界において、相関を表すときはどの側面においてかを別途表すようにしたほうがいいのでは? (2個目の)接頭辞を付け足すことでも表せるかもしれないし そうか?命名しにくくない?
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「似てる」と「関係ある」がどっちも一致近接なのもよくわからないし
ウナギ文を部分一致(側面世界)で表せないのも意味わからないし 表せないこともないのか?
飛び級を許すことになる
共存:共存の他動形が主体と性質の関係にしか使えないのはさすがに狭すぎる気がするけどな… 例えば体の部位とかには使えないんだろうか?
空間的に持ってるだけじゃなくて、機能としても持ってるわけだから
機能を受け取ってるならそれでも十分なはずだ
まあ、「ノートは何を持ってる?」をどういう意味で聞いてるかとか(部分や性質なのか、それとも関係者や関係物なのか)明確に区別したい場合もあるっちゃあるのかもしれない
記録装置を内部に持ってるのと外部に持ってるのじゃ別の意味になるからね(だから「部分世界」って呼び名が適切なんだ) でも外部(近接領域)に持ってる場合、自分が記録されることになる でも縮尺は自由だから、自分(使用者)の共存領域が相手(記録装置)の近接領域に入らないように包摂しちゃえば大丈夫(使用者が記録されることにはならない)なのか まあそういうのは所有(影響)世界で表せば十分だけど 📅24/09/29
よく考えたら、記憶装置と使用者の間で、互いの共存領域を互いの近接領域に一部ずつしか重ねなければ直接目的語にはならないのか (一部共存:全部共存、つまり内包と意味的には近いのに、一部共存:近接で表しちゃうと)飛び級感が出ちゃうけどな 「先生を持ってる」と似たようなものなのか
記憶装置の共存領域が使用者の共存領域と近接領域に半分ずつ重なってたらどうなるんだ? 使用者の内部に持ちながら使用者自身を記録することができないじゃないか それは再帰(「自分を愛する」など)全般に言えることなので問題ないか(自分を外側に仮定すればいい) https://scrapbox.io/files/6867a4be639e33f823461eb0.jpg