仮説→試行→歓喜を体験させる
ユーザーがUIを見たときに起きる以下のようなサイクルのこと
予想して仮説を立てる
どう動かせばよいのか
どういう挙動をするのか
実際に試す
仮説と合っていることを確認して歓喜する
この「考え方が正しい」と信じ込む
自分自身で学んだことは自信を持つ
作り手は、「仮説をもたせる」ようにデザインする必要がある
また、仮説通りに動くようにデザインする必要がある
デザインを作る時に、「このUIを見てどういう仮説を立てるかな?」の仮説を立てる必要がある
本質的なデザインをする
例えば、スマホで画面をスクロールすると、端でバウンスするデザインがありますよね。勢いよくスクロールした時、端までいってビョンビョンとバウンスする。あれを「すごい」と言う人がいるんです。(中略) かっこ悪いよりかっこいいほうがいいに決まっているんだけれど、それが第一ではないだろうと思うわけです。そもそも何がしたいかということよりも、変な見栄えとかかっこよさのほうが重視されてしまっていることが、最近は多いと思います。ref シグニファイアで画面を埋め尽くすことが重要であり、デザインで綺羅びやかにするとノイズになる スーパーマリオは、「面白そう」という情報すら捨てて、シグニファイアで埋め尽くすことに特化している
「わかる」→「(サービスなどの)良さ・正しさを伝える」という優先順位
「わかる」ことが最初にあるべき
ある程度長い時間を直感のデザインで埋める
一つずつの直感のデザインは短く完結する
個々の直感のデザインにおいて、プレイヤーが歓喜の体験まで辿り着く確率を高める
「1+1=?」というのを見ると自然と計算してしまう
「39271 / 23 = ?」と書かれると計算する気すら起きない
1つ1つの直感のデザインをsimpleにすることで、高速にフィードバックを繰り返せる
新しいものに触れた時の序盤に集中力や学習効率が高まる
よくよく考えれば、巷のゲーム機のボタンの数の少なさってものすごいよな
あれしかアクションがない中で面白いゲームを作らないといけない
という前提を作れる
直観のデザインの欠点は、疲れと飽き
仮説、試行はストレスがかかる
Webサイトを作るデザイナ視点ならどうするだろうと考えるmrsekut.icon
ここでは、SNSとECを想定している
SNSを見る時にわちゃわちゃ画面に写っている方が良いのか、そうではないのか
楽天やamazonなどのECは画面上に情報が多分に表示されている
Twitterは画面上の情報量は多いが、ユーザーができる行動は殆ど限られている
多くのツイートの中から目を引くものを探して読む、ぐらいまでが1つの直感のデザインのサイクルになると思う
わちゃわちゃしていてもできることはシンプルなのでユーザーが特に迷うことはないだろう
処理を見せたほうが、今何やっているかが分かる
処理が表示されてないと、画面は固まっている
何も画面が表示されていなければ、無限の可能性を人間が自動で考慮し始めるので精神によくない