藤本・沙村対談
藤本作画は妥協している
韓国映画は展開がワクワクする
『チェイサー』っていう映画があるんですが、主人公が悪役を追う映画なんですね。開始30分くらいでもう悪役が主人公に捕まるんです。話しのオチであろう展開がすぐ起こっちゃって、「どうなるんだ、どうなるんだ」の繰り返しなんですね。韓国映画って、監督が何を思ってるか分からないとか言われがちなんですけど、最後まで観れば、「これだ」っていうのが分かるんです。そういう風に作りたいなって思っています。 展開ワクワクと、軸がないは表裏一体
藤本は沙村のファン
沙村の好きな作家
沙村のおもう絵の巧さ
背景の集中点をとろうとすると絶対ずれるんです。だけど空間を感じられるんですね。要するに、パースを正確にとることがイコール空間表現ではないということなんです。気持ちいいずらし方みたいなのがあるんですよ。 俺も水平線を描く時に、例えば海を描くとしたら、そこに埠頭があるとして、法則で言ったら埠頭のパースの先に水平線があるわけなんですけど、俺はわざとそれよりも水平線を上に上げて描くんです。そうした方が海が広く見えるんですよ、なんか知らないけど。そういうことを無意識的に全部できているのが、高野先生の絵なのかなと思います。
演技でキャラクターの奥行きが出る
こうの史代先生の描く女の子がすごくエロいなって思ったんです。特に足がエロく感じて。なんでかなと思ったら、足で演技しているからなんですね。等身が低くてホビットみたいなんですが、実在感がすごくあるしリアリティも高いんです。それは演技をしているからだったんです。 それで僕、バナナマンさんのコントを見てる時にも思ったんですが、コントの短い時間の中で、そのキャラクターたちが本当に生きてるなって思ったことがあって。それはキャラクターによって鼻を触ったり、足踏みをしたりするキャラクターがいて。仕草でキャラクターの奥行きができたんですね。そういうのを描ける人って絵が上手いなって、観察眼があるなって思います。
沙村
語尾でキャラ付けはいいもあるが、あまり大事ではない
「こいつはこういうこと言いがち」とか、仕草だったり、同じ質問を投げられた時の返事の傾向だったりとか。そういうところが大事だなと思います
モブの演技はアシスタントにアタリを任せる
ここに群集を自分の絵でいいから、自然なポーズで色々ポージングを崩して描いておいて」って頼んで、アシスタントさんが鉛筆で描いた下描きを俺がペン入れするんです。下描きから自分でやると時間がかかるしフリーハンドで描くのも勇気がいるから、アタリだけでもいいからやってもらうんです。それを自分の絵に直してペンを入れていくのは、意外にできますよ。群集シーンで一人一人にバラつきをだそうと思ったら、そういう方法をとるのがいいんじゃないかなと。
アニメにおける原画だ基素.icon
デビュー
藤本:「少年ジャンプ+」が当時だと誰も読んでいないような気がしてすごく不安でした。 世間受け
藤本:うかがいたいんですが、沙村先生はどこまで世間受けを気にされてますか?僕はそんなに気にしていないんですけど、「世間受けしないぞ」って意識しているから逆に世間受けしているみたいになっているかもしれません。 沙村:自分がなんの層にどうアピールするかとか、自分が描いているヒロイン像をどんな読者が好きなのかとか、全然分からないんですよね。たぶん俺の漫画が好きとかキャラ萌えしている人って、変わった人なんじゃないかなと思っています。
藤本:僕の作品は、ひと通り漫画読んで飽きた人が読んでいる気がします。
藤本:沙村先生もそうだと思うんですけど、やっぱりセーブしてないんですね。『波よ聞いてくれ』を読んでいて思うんですけど、初めて漫画を読む人は分かるのかなって。僕の漫画も同じで、漫画を初めて読んだ人が『ファイアパンチ』読んだら本当にわけ分からないだろうなって。 物語の終わり
藤本:僕は『ファイアパンチ』では少ないキャラクターのオチだけ考えているんですけど、『無限の住人』って主役張れるキャラクターが沢山いると思うので、全員の結末を考えるのきつくないのかなと読みながら思っていました。
沙村:話が終わった時に、重要なキャラクターが10人ぐらい生き残ってたとして、それぞれページを割いて長々と説明するというのでなければ、7~8人は1話あれば描けますよ。『無限の住人』に関しての最終回は、不死身の人が主人公である話のオイシイところというか、一人だけ未来にいるところという…そこは絶対やりたいと思っていたんですよね。なので最終回だけは決めていました。 沙村:もともとは主人公がパートナーを変えつつ進むストーリーにしようと思っていたんですが、巻数重ねるごとに無理だできないと思って(笑)。凜の復讐が終わったら連載も終わろうと思ったんです。なので単行本が10冊以上出たぐらいから、最終話のイメージは出来上がっていましたね。細かい演出はもっと後から決めたんですが。
『寄生獣』とか、あんなにきっちり終わらせているように見える作品が、あとがきで「途中でテーマが変わった」って言っていましたね。そういうものだと思いますよ。描いている時の流行りとか時勢とかもありますし。 『シスタージェネレーター』の中の『シズルキネマ』っていう短編がすごく好き 沙村:自分とか自分の周りのモデルを描くのは、どっちかというと恥ずかしがるほうですね。
『シズルキネマ』は当時、とある編集部に作家さんが作品を持って行った時に、「うちはこういう風にしてくれないと使わないよ」とか「今こういうの売れているからこういう風にしてくれないとダメだよ」みたいなことを言われて、仕方なく類型的なものにするみたいな…、作家性が相当ないがしろにされて普通のありがちな方向へ向かわされる、と。(略)元々編集のほうがそんなやつばっかにしている、っていうのを聞いたんですよね。
藤本:(略)僕は読み切りを描く時は大体怒りで…。例えば、今ネット上で怒っている人が多いじゃないですか。そういう人たちって、Twitterとかで発散できていると思うんですけど、僕は自分の怒りなどをTwitterとかに書く気が知れなくて。漫画にぶつけているんですね。(略)一晩経つと「俺に学がないのがダメなんだな」ってなるんですけど、一晩明ける前にネームを描いちゃうんです。僕、ネームをすぐ描くんですね。すぐ描いて読み直さないで、担当さんに送って見てもらうんです。
藤本:絵が上手いと説得力になるじゃないですか。「まあまあ」の上手さのレベルだと僕の想いが漫画に込められないと思っているので、上手くならなきゃと…。(略)
沙村:絵が上手くなると描くのが早くなるというのは技術的にはそうなんだけど、身体に無理がきかなくなってきますね(笑)。最近は目も疲れてきて。俺が20~30代の時だったら『波よ聞いてくれ』ももっと綺麗に描けていると思います。今年で47になったんですけど、なんで最近こんなに目が疲れやすいんだと。35を過ぎると、面白いぐらいに5年刻みで身体にガタがくるんです。こんなこと言われてもどうしようもないかと思うんですけど(笑)、とにかく若い時に描きたい漫画を描いておいたほうがいいです。
藤本:絵が上手い人を見ると、なんかズルしてるんじゃないかって思うんですよ。1回人生やり直して、とか。じゃないと到達できないところにいるような人が僕にとって何人かいて、それが沙村先生とかなんです。沙村先生が1番です。ほかですと、キム・ジョンギ先生です。人生のうちの何かを捨てて、絵を描く時間を増やしているんだろうなって。 沙村:あの人はおかしいですよね(笑)。描いていた位置から離れて、突然パースがついたところを描きだしたり。普通に絵が上手い、というのでは説明できない上手さですね。
(略)
沙村:美術の予備校に行った時に一番画力が上がりましたね。よく漫画家志望の人で“絵が上手くなりたいから美大に行こう”みたいな人がいるけど、「美大に行っても絵は教えてくれないから美術予備校に行きなさい」って言いたいです(笑)。(略)確かに、油絵描くよりもデッサン描くほうが大事かもしれないですよね。美大って絵の課題を出されたら一週間とか二週間とか描かされるじゃないですか。ところが美術予備校って二日で一枚とか一日一枚とか描かされて、描かされる枚数が結構大変で(笑)。予備校時代は時間との戦いでしたね。 あと自分のレベルを上げるのって、周りにどれくらい上手い人がいるかで違いますよね。美術予備校とかで、たまたまその時に有能な生徒が総合で何人いたかでレベルが決まったりして。講師も大事なんだけど。
藤本:それですよね本当に。自分より上手い人がいると悔しいですからね。(略)
藤本:僕の周りには予備校が無かったので、おじいちゃんおばあちゃんが通ってる絵画教室に通って、隅っこで油絵を描かせてもらっていました。僕はその頃全然絵が上手くなくて。上手くなり始めたのは大学生の頃でした。周りに上手い人が何人かいたので、「四年間でこいつらより上手くならなければ、俺はもうこいつらを殺す」って覚悟で、絵が上手いまま野放しにしてたまるかって思って描いていました。
そのあと、油絵描いてても絵が上手くならないので、図書館にこもってずっとクロッキー的な絵を描いていたんですけど…、やっぱりデッサンするべきでしたね。全然デッサンしてないので、それが本当に悔しいです。連載終わった後、デッサンします。
沙村:大幅に絵を変えるのとか無いかぎり、普通に絵を描くだけの時間は特に必要ないと思いますけどね。
藤本:(略)僕、連載終わったらアニメーターになることも考えていて。絵が上手いなと思う多くの方がアニメーターなので、アニメーターになればいいんじゃないかなと思ったんですけど、言うと馬鹿にされるから…。『日本アニメ(ーター)見本市』というのがありまして、そこで沢山作品を見られるんですけど、すごい作画を見るとどうやって動かしているんだろって思って。この画力があればなんでも描けるじゃないかと。だからアニメーターになろうと思っていたんですけど、それは違うってみんなに言われて。 沙村:アニメーターに求められるものと漫画に求められるものって違う気がしますけどね。『釣りキチ三平』を描かれた矢口高雄先生の短編集とか拝見して、本当に日本の田舎の背景を描くのが上手くて。もちろん写真とかじゃないんですよ。ほれぼれするほど綺麗なんです。ペンで表現するために「ペンをこう動かす」って技術を駆使して、「背景をこう表現するんだ」と。そういう上手さを見てると、うっとりと見惚れてしまうんですよね。自分としてもそういったことをやりたいと思っています。
かと思えば、手間と膨大な自己犠牲の上で成り立って出来上がっているものなんですけど、三浦建太郎先生の『ベルセルク』のような、本当にゲロ吐くような描き込みを見て、すげえなって。漫画の絵って、こういう凄さが確かにあるんだよと。