政治家に求めるものはなにか?
必要そうな要素
ある程度幅広い問題を扱える知的な基礎体力
長期的な視点(全体最適な行動を取る力)
問題の長期的な優先度を加味できる
10年かかることを1年前に始めても間に合わない
したたかさ
少なくとも外面上の清廉さ
説明能力
問題を解説して巻き込む力
賛同が得られなければイシューは解決しない
誤ったことを素直に訂正できること
間違いは誰にでもある
バランス感覚
粘り強さ
人となりではなく、実績で評価したい。極論人となりはどうでも良い
実現に向けてアクションをどう撮ったか、そのアクションは妥当だったのかを評価できなければ、評価はできない
悪い例:小池百合子の政策の一部
半面、「ポストコロナを視野に島しょ観光の振興」「生活習慣の改善:禁煙治療など」といった、目標設定そのものがあいまいなものも目につく。
目標が曖昧だと、なんでも達成と言い張れるし、逆に達成していないとも言われやすい
必要だが悪影響もあるもの
アジテーションの能力
あまり重要でなさそうなもの
問題解決の実務能力
パイの分割
再分配の考え方は価値観に大きく影響を受けるものなので、結局は政治家が選挙に基づいて、どこまで再分配するかを決めるべき パイを大きくする
価値観ではなく、分析によって形成される
複雑な問題を効率化するのは専門知識が必要なので官僚と学者のフィールド
たとえば効率化に関して、「ある改革により利益を得た人が、損失を受けた人に仮に補償したとしても、まだ社会全体でおつりが残る」という改革を続けていけば、長期的に見て国は成長していく。
改革の効果は分析しなければ予測できないので、そこに官僚や学者、シンクタンクの役割が明確にあるといえる。元来は、効率化政策は官僚の役割であるが、特殊で新しい問題については学者が、あるいは学者と官僚が協力して考えれば良い。 明らかな既得権益の矛盾は、専門家でなくても非効率を指摘できる
JICAがカンボジアで建設している学校の建設コストは、他国の援助による学校建設の2~3倍かかっている。それは、すべてを日本の業者に発注しているからだ。その表向きの理由は、質の良い学校を建てたいというものである。しかし、カンボジアの人からすれば、当然日本以外の国が建設しているような学校を倍の数建ててもらう方がいいと考えるだろう。このような状況を改善するには経済分析はさほど必要ない。専門的な知識がなくても、単なる無駄と汚職に近いものがあるのだろうという判断ができるため、このような問題の解決は、恐らく事業仕分けが向いている。
交差点の信号機に使われていた電球がある。LEDは電球に比べ、1)電力の消費が少ない、2)明るい、に加え、3)寿命が長いのでメンテナンスのコストが非常に少ない、という3つの利点がある。しかし、電球からLEDへの切り替えは、電球会社の抵抗により膨大な時間がかかった。
社会全体の得ははっきりしている
複雑な例
前島密が西洋の郵便事業を見て日本でも郵便事業を立ち上げようとしたとき、飛脚業界が猛反対した。飛脚業界は大変な政治力を持っていたため、前島密は非常に苦しんだ。最終的には飛脚たちを郵便事業に雇用することによって一応の解決を見た。それでも飛脚たちは転職にまつわる大きな犠牲を払ったが、これも郵便事業という新しい技術を入れることのメリットは明白だろう。
当時も明白だったのだろうか?前人未到の事業は実績がないので、そんなに効果がないかもしれないというやらない理由をつけることができる。
分かりにくい例
通産省が1960年代前半に行った、石炭から石油への転換策だ。石炭は戦後、「傾斜生産」政策で政府が手厚い保護をして、コークス以外は日本でほとんど自給自足できるほど立派な産業に育て上げた。雇用も多く、三井三池炭坑だけでも30万人が働いていた。ところが、中東の石油が輸入される可能性が出てきた途端に考えられないぐらい安い値段で石油が輸入できるようになった。
私が大学に入った1961年には、近所の銭湯の人から、コストダウンのため、風呂の燃料を石炭から石油に替えたいのだが、条例か法律かによって、石炭保護のために石炭の使用が義務付けられていると話を聞いた。そのような矛盾が、1961年に既に明白になりつつあった。そこでまもなく国は大々的に石油を輸入することを決断したが、その結果、石炭産業で大量の失業が生じた。それに対して国は、雇用促進事業団を作り、多くのアパートを東京や大阪に建設し、炭坑離職者が移住できるようにした。さらに、炭坑離職者を雇用した会社には補助金を出した。この石炭から石油への転換策は、日本が誇れる構造改革だったと思う。この政策のすごいところは、炭坑のあった筑豊や夕張ではなく、炭坑離職者が移っていく東京や大阪に資金を投入し、炭坑離職者の移動を促進したことだ。その意味で、素晴らしい模範的な構造改革だったといえる。
しかし、巨大な既得権を失う人々を説得するためには、改革の利点を説明する確固たる理屈の構築が必要となる。これは今の農業自由化の話と似ている。農業自由化では農業そのものに金をつぎ込んでいるという違いはあるが、パイの拡大に関する原理原則の説明はどうしても必要だろう。このような政策を理論的に正当化するためには、経済学の知識が不可欠である。
特に、外部不経済がある場合には、費用便益分析が必要になる。しかし、外部不経済などの市場の失敗がない場合には、特別な費用便益分析をしなくとも経済学の分析ツールによって、自由化の是非を判断できる場合がある。 市場の失敗