刑法175条の判例解釈
1(1)関係
【資料1】前田雅英ほか『条解刑法〔第4版補訂版〕』512頁、513頁(弘文堂、2023年)
「本条を適用することにより、一部の出版を規制することになるため、憲法21条の保障する表現の自由との関係が問題となる。しかし、判例は、いわゆるチャタレー事件につき、表現の自由等も公共の福祉によって制限され得るところ、性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことに疑問の余地はないなどとして本条の合憲性を認めた(最大判昭32・3・13集11-3-997)のをはじめとして、 その後も、一貫して合憲性を認めている(最大判昭44・10・15集23-10-1239、最判昭48・4・12集27-3-351、最判昭55・11・28集34-6-433、最判昭58・3・8集37-2-15、最判昭58・10・27集37-8-1294)。」
【資料2】最大判昭和44年10月15日刑集23巻10号1239頁
「出版その他の表現の自由や学問の自由は、民主主義の基礎をなすきわめて重要なものであるが、絶対無制限なものではなく、その濫用が禁ぜられ、公共の福祉の制限の下に立つものであることは、前記当裁判所昭和三二年三月一三日大法廷判決の趣旨とするところである。そして、芸術的・思想的価値のある文書についても、それが猥褻性をもつものである場合には、性生活に関する秩序および健全な風俗を維持するため、これを処罰の対象とすることが国民生活全体の利益に合致するものと認められるから、これを目して憲法二一条、二三条に違反するものということはできない。」 【資料3】東京地判平成16年1月13日判例時報1853号151頁
「刑法175条の運用について、一般国民から、特に不当とみられることなく、むしろ当然のこととして受け入れられていることは、公知の事実である。この点、捜査当局による摘発は、おびただしい数に上る性表現物の一部についてのみ行われ、同様の露骨な性表現物であっても、その相当数が摘発を免れているとうかがわれるが、これは、捜査当局の人員や捜査能力の限界に基づくものにすぎず、露骨な性表現物が事実上放任されているなどと評価すべき筋合いのものでないことはいうまでもない。 そうすると、価値観が多様化しつつある今日においても、法律専門家はもとより、一般国民の間においても、性的秩序や最少限度の性道徳、健全な性風俗は維持すべきものであり、その脅威となるべきわいせつ物の頒布等は取り締まるべきである旨の社会的合意が確固として存在しているものと認めることができる。」 【資料4】東京高判平成29年4月13日刑集74巻4号432頁
※本判決に対する上告は棄却(最一小判令和2年7月16日刑集74巻4号343頁)
「原審弁護人は、インターネット上の過激なわいせつ表現へのアクセスが容易になっていることや過激なアダルトグッズが広く流通しており、それらが社会的に受容されている現在の社会においては、刑法175条の立法目的自体が失われていると主張するが、このような時勢の変化は、かえって性的秩序やその基礎となる最小限度の性道徳、さらには健全な性風俗の維持に脅威を及ぼしかねないものであり、過激な性表現が犯罪として摘発されていないからといって、刑法175条の立法事実が存在する理由にはなっても失われるという理由にはならない。平成23年の刑法改正によりわいせつな電磁的記録に関する新たな罰則が設けられたことなどからしても、一般国民の理解においても、性生活に関する秩序及び健全な性風俗を維持するという刑法175条の立法目的はなお失われていないといえる。 ・・・
所論は、インターネット上の刺激の強い性表現や女性器を顕著に表現したアダルトグッズなどが広く流通し、容易にアクセスできる状況にあり、これらのほとんどが摘発されていない実情にあるなどと主張するが、原判決も指摘するように、平成23年の刑法改正により、わいせつな電磁的記録に関する新たな罰則が設けられたこと等からしても、所論の指摘するようなわいせつな表現物が氾濫する状況は決して社会に受容されているわけではなく、一般国民の理解においても、通信手段等の発展に伴うわいせつ表現へのアクセスの容易化に対応すべくその規制の必要性がより高まっていることを示すものといえる。」 一般国民とは誰か?
【資料5】法曹会編『最高裁判所判例解説刑事篇(令和2年度)』89頁〔野村賢〕(法曹会、2023)
※【資料4】事件の最高裁判決(上告棄却)に関する判例評釈
「所論は、性的刺激の強いアダルトグッズ、アダルトビデオなどが広く流通し、同様の画像、動画などがインターネットを通じて容易に閲覧可能となっているのに、これらのほとんどについて取締りがされていない現状においては、これらが社会的に受容されているというべきであり、『性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持する』(チャタレー事件判決)、あるいは、『性生活に関する秩序及び健全な風俗を維持する』(悪徳の栄え事件判決)といった立法目的の正当性は失われているという。しかし、平成23年法律第74号による刑法改正によってわいせつな電磁的記録に関する新たな罰則が設けられたことなどからすれば、第1審判決及びそれを是認する原判決が説示するとおり、むしろ、わいせつな表現が氾濫する状況は決して社会的に受容されているわけではなく、同改正はその規制が必要とされていることを示すものといえるであろう。本件を契機としてこれまでの小法廷と異なる判断をすべき事情は見いだされなかったものと考えられる。」 1(2)関係
【資料6】東京地判平成28年5月9日刑集74巻4号410頁
「わいせつと評価される表現は、性生活に関する秩序及び健全な性風俗を害することが明らかであって、規制の必要性が高く、その要保護性も一定程度にとどまるものであるから、刑法175条が表現の自由をその内容について刑罰をもって規制していることは、その手段が性生活に関する秩序及び健全な性風俗を維持するという目的に対する必要最小限の制約にとどまっているものと認められる。」 【資料7】東京高判昭和54年3月20日高刑集32巻1号71頁
「いうまでもなく、自由主義的憲法原理の基礎は、すべての国民が個人として尊重され、生命、自由及び幸福追求の権利について最大の尊重をうけるということにある。わいせつ文書の公表が、右の憲法的価値の実現に資するゆえに善良なものと観念される性の道徳、風俗あるいは秩序に対して長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題並びに日常生活の質の向上、社会の品格の維持、わいせつ物の未成年者からの隔離などの国民的利益に対しても長期的にみて何らかの有害な影響を及ぼす蓋然性があるという事実命題は、我が国を含む自由主義的憲法原理を採る諸国家において識者の間にかなり広く信じられている。そしてこれらの命題については、未だ利用に値する実証的長期的な観察調査結果は見当らず、右の命題は、実証されていないがさりとて否定もされてはいないものの、不合理なものとはいまだ認められない。従つて、現時点ではこれらのかなり広く信じられている命題と刑法一七五条の規定とが合理的関連性を有しないものと断ずるわけにはいかず、それゆえ刑法一七五条は憲法二一条に反するとはいえないものであり、この種文書の入手を欲する成人に頒布販売することを刑法一七五条により規制しても、これまた憲法二一条に反するものではない。」 【資料8】大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法第三版 第9巻〔第174条~第192条〕』22頁〔新庄一郎=河原俊也〕(青林書院、2013)
「確かに、わいせつ文書等の頒布等が、性道徳・性秩序に対して有害な影響を及ぼす蓋然性があるとの命題、あるいは性犯罪等の反社会的行動の引き金になるとの命題については、科学的・統計的な実証は極めて困難であると思われるが、さりとて、これらの命題については、先の四畳半襖の下張事件控訴審判決(東京高判昭54・3・20)が判示しているとおり、『識者の間にかなり広く信じられている』のである。」
かなり広く信じている識者らは誰?
3関係
【資料9】猥褻刊行物ノ流布及取引ノ禁止ノ為ノ国際条約(昭和十一年条約第三号)
○猥褻刊行物ノ流布及取引ノ禁止ノ為ノ国際条約(昭和十一年条約第三号)(抄)
第一条
締約国ハ左ノ犯行ノ何レカヲ為シタル者ヲ発見シ、訴追シ及処罰スル為一切ノ手段ヲ執ルコトニ同意シ従テ左ノ如ク約ス
左記ハ処罰セラルベキ犯行タルベシ
(一) 営業ノ為若ハ営業トシテ又ハ頒布若ハ一般ノ展覧ノ為猥褻ナル文書、素描、版画、絵画、印刷物、図画、「ポスター」、徽章、写真、活動写真用「フィルム」又ハ他ノ猥褻ナル物件ヲ作製シ又ハ所持スルコト
(二) 前記目的ノ為前記ノ猥褻ナル物件ノ何レカヲ輸入シ、輸送シ若ハ輸出シ又ハ輸入セシメ、輸送セシメ若ハ輸出セシメ又ハ如何ナル方法ニ依ルヲ問ハズ之ヲ流布スルコト
(三) 前記ノ猥褻ナル物件ノ何レカニ関スル公然ノ又ハ秘密ノ業務ヲ行ヒ若ハ之ニ参加シ、右物件ヲ如何ナル方法ニ依ルヲ問ハズ販売シ、之ヲ頒布シ、之ヲ一般ニ展覧シ又ハ之ガ貸与ヲ業務トスルコト
(四) 前記ノ処罰セラルベキ行為ノ何レカニ従事スル者アルコトヲ前記ノ処罰セラルベキ流布若ハ取引ヲ幇助スルノ目的ヲ以テ方法ノ如何ヲ問ハズ広告シ若ハ了知セシメ又ハ直接タルト間接タルトヲ問ハズ前記ノ猥褻ナル物件ガ如何ナル方法ニ依リ若ハ何レノ者ヨリ取得セラレ得ルカヲ広告シ若ハ了知セシムルコト
<参考>関係
【資料10】樋口陽一ほか『注解法律学全集2 憲法Ⅱ〔第21条~第40条〕』55頁〔浦部法穂〕(青林書院、1997)
「もとより、わいせつ文書を見たくないという人も存在するから、それらの人も目にせざるをえないような仕方で頒布・販売等がなされる場合には、実質的な害悪をもたらすものとして、その限りで規制が正当化されえよう。また、未成年者に対しては、その成長段階に応じた感性に十分な配慮を払うことが、社会の責任ともいいうるから、この点を全く配慮しない仕方での頒布・販売等は、やはり、規制されなければならないであろう。以上の点にわいせつ文書規制の根拠を見出すことができるが、そうであれば、頒布・販売等を全面的に規制する必要はなく、その仕方に着目して、特定の態様の頒布・販売等の行為のみを規制すれば十分である。少なくとも、自己の意思で見たい(読みたい)という成人のみが接しうる態様で頒布・販売等がなされるかぎり、内容のわいせつ性は規制を正当化しえないと考えるべきである。このような立場からは、わいせつ文書の頒布・販売等を全面的に禁止する刑法175条は、過度に広汎な規制を定めるものとして、本条〔憲法第21条〕に違反するものとしなければならない。」 【資料11】平野龍一『刑法概説』268頁、269頁、271頁(東京大学出版会、1977)
「性的な物や行為を見ても、少なくとも見ようという意思がある成人の場合は、とくに害を受けることはないであろう。猥褻物を見るか見ないかは倫理の問題ではなく趣味の問題であり、公然猥褻罪の一部が『被害者のない犯罪』だとされるのもそのためである。しかし、見ることを欲しない人の目にふれざるをえないようにすると、その人々の性的な感情が害される。この意味で公然猥褻罪は性的な感情に対する罪だということができる。公然性という概念も本来は、右のような人々に対する場合に限ると解するのが妥当であろう。 ・・・
前に述べたように、猥褻罪の被害法益が何かを考えると、猥褻であっても、成人が自らすすんで購入・観覧するような場合は処罰すべきではなく、見るつもりのない人の目に触れ、あるいは未成年者の目に触れるようにする場合だけ処罰すれば足りるという考え方になる。」