刑法175条違憲論
わいせつ規制・刑法175条そのものの合憲性を問う議論もなされている(奥平 1984)。 実際の判例においては、刑法 175 条違憲論は簡単に退けられてしまう傾向にあり、今後も刑法 175 条の下で作品のわいせつ性 が問われる事例は生じてくると考えられる。
2016 作品のわいせつ性に関する法的判断と非-法的知識 ――メイプルソープ事件判決を事例として 岡沢 亮 まず裁判所の判断の大きな枠組について、弁護団が主張した大きな点である「刑法175条は憲法21条・31条に反していて、無効ではないのか?」という問いについては、残念ながら裁判所に受け入れられませんでした。
裁判所はこのように言っています。
「表現の自由といえども絶対無制限なものでなく、公共の福祉のため、必要かつ合理的な制限を是認するものであって。表現の内容や手段が、他人の権利等のほかの公益を不当に害するようなものは許されていない、というべきであるところ、この法理は性表現についても同様である。 刑法175条は、表現の自由として保障され、性表現を一定の場合規制するものであるが、その規制は性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持する、あるいは性生活に関する秩序および健全な風俗を維持するためのものであり、このような保護法域ないし立法目的は、価値観が多様化しつつある今日においても十分、合理性・必要性を有していると認められる」 裁判所は、結局「インターネット上の過激なわいせつ表現の氾濫等によって、性生活に関する秩序や健全な性風俗を脅かす事態に対応すべく、175条が活用されなくてはいかんのだ」という考え方をしてるということです。
「175条の定義が明確性を欠いていて、憲法31条に違反して無効ではないか?」ということもあったんですけれども。これについても、「十分明確なんだ」ということを言っていて。この辺は、残念ながら相手にされていないということになっています。
わいせつ性の判断のあり方について、今回のように物品とデータと、いわゆる文書についてのわいせつ性というのは、別の判断のあり方をすべきではないかと思うんですけれども。基本的に、この判断枠組みは同一だというのが、裁判所が取っている立場のようです。
だから「わいせつ性の判断というのは、閲覧者足りうる普通人・平均人を基準として判断するべきだ」と言っているということになります。
筆者は某国立大学法学部で公法を専攻している学生...
以下の文章は、同人誌「コミケットの歩き方VIII」(OB会, 1996)に投稿として掲載されたもので、同「V」に(やはり投稿として掲載された)葉影立直「失楽園の住人たち」に対する反論を意図していた。葉影氏はポルノ小説家で、同記事において非常に極端な憲法解釈を基礎にした刑法175条違憲論を述べ、一切の表現規制は誤りであると主張していたのである。
同「VI」においてこれに対する法律的反論が掲載されなかったことから、これを放置しておいた場合非常に独善的な憲法理論が一人歩きすることを恐れた筆者が、非常にお節介ながらしゃしゃりでたのが本文章である。
わいせつな表現をする権利は、どのような権利と衝突すると考えられているのでしょうか。最高裁の判例は、それが「性的秩序を守り、最小限度の性道徳を維持すること」だと述べ、表現の自由を制約し得る公共の福祉の一部であると判示しています。ここでそのような「性的道徳の維持」が「公共の福祉」に含まれることを認めれば、やはり刑法175条は合憲となります。従って、違憲論を展開するためには「性的道徳の維持は公共の福祉ではない」という主張を行なう必要があります。
実際に見込みのありそうな違憲論はこの方向性です。「公共の福祉」の理解についてはさまざまな学説がありますが、有力なのはやはり、個人の自由が対立したときの調整原理である、というものです。そう解釈すれば、ある人のわいせつ観を別の人が強要されないようにする規制(入手手段や頒布場所の規制)は正当化できても、ある特定のわいせつ観を全国民に強要するような規制(刑法175条)は違憲であると言えるからです 前半では「性的道徳の維持は公共の福祉ではない」が見込みありといっていて、その例として「公共の福祉は調整原理である」と言っている点がわからない基素.icon
整理するとこういうことかな?
仮定: 公共の福祉は個人の自由が対立する場合の調整原理である
仮定1より
ある人のわいせつ観を別の人が強要されないようにする規制(入手手段や頒布場所の規制)は正当化できる
調整原理がはたらくから
ある特定のわいせつ観を全国民に強要するような規制(刑法175条)は違憲
もしそうするなら、調整原理がないことになるから
「公共の福祉に性的道徳の維持が含まれる」かつ「調整原理でもある」という解釈の可能性がつぶせていないので読むのにひっかかった基素.icon
https://gyazo.com/a7fb57da3021dd6853aef7b094defa70
これ具体的にそれぞれどんなケースなのかわからないな
1. **公共の福祉あり+調整原理あり**:
- 例: 交通規制が設けられている場合、個人の自由(自由に道路を使用する)と公共の安全(交通事故を防ぐ)の間で適切なバランスを見つけることが求められます。
2. **公共の福祉あり+調整原理なし**:
例: 厳格な薬物規制があり、個人の自由にかかわらず、特定の薬物の使用が完全に禁止されている場合。
これはわかりやすい基素.icon
3. **公共の福祉なし+調整原理あり**:
- 例: 競合するビジネスの利益や権利を調整するための商業法があるが、これが直接公共の福祉に寄与するわけではない場合。
どういうこと?基素.icon
商標法は競合するビジネスの利益や権利を調整するための法律であり、その目的は個別の企業間の公正な競争を保証することであり、必ずしも公共の福祉に直接寄与するものではありません。
寄与することもある?基素.icon
はい、商標法が公共の福祉に寄与することもあります。商標法は、消費者に対して信頼できる情報を提供し、企業が質の高い商品やサービスを提供するインセンティブを提供することで、市場の透明性と競争を促進する役割を果たします。これにより、消費者は製品やサービスの選択においてより良い判断を下すことが可能となり、企業は品質とイノベーションに投資するインセンティブを持つことになります。
具体的には、商標法は以下の点で公共の福祉に寄与する可能性があります。
1. **市場の透明性の向上**:
- 商標は、消費者に対して企業や製品の情報を提供します。これにより、消費者は製品やサービスの購入時により明確な判断を下すことができます。
2. **競争の促進**:
- 商標法により、企業は他の企業と区別され、競争が健全に保たれます。これにより、企業は製品の品質やサービスの向上に努め、イノベーションを推進するインセンティブを得ます。
3. **消費者の保護**:
- 商標法は、消費者が誤解や欺瞞から保護されることを確保します。例えば、偽造品や模倣品から消費者を保護することができます。
これらの要因は、市場経済の健全な機能と消費者の利益の保護に寄与し、間接的に公共の福祉の向上につながる可能性があります。
4. **公共の福祉なし+調整原理なし**:
- 例: 無規制のインターネット環境で、個人のプライバシーやデータ保護が考慮されず、公共の福祉も保護されていない場合。
違憲論が有力説と説明している。本当なのかな?