講義資料2
音声調整ミスのため延期します。
https://youtu.be/DhAbwQfQwkg
事前に質問などがあれば、下のGoogleドキュメントに書き込んでいてください。
告知
2.教育学部で卒論を書いている人と仲良くなりたいと思って、大学の教職課程のライングループに、その旨書いたが、やっぱり僕しか卒論書いてない可能性がある。Twitterにいる教育学部の学生(もしくは社会学系)で卒論書いている人いたら仲良くしてください(院生とかでもいいですが)。
デュルケムの『自殺論』、ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の購読配信
ガルブレイス『不平等――誰もが知っておくべきこと』の購読配信もするんですけど、
1回生が読むと想定してそれぐらいの精度で読むつもりで、誰か手伝ってくれる人がいたらお願いします。
(内部生向け)他の学部のLINEグループを知っていたらそちらで連絡してくださるとありがたいです。
3回生以上向け
その他
取り上げる予定の本に載っている本に関してなにか質問やコラボで話したい、Discordで一緒に読みたい、ゲートキーパーとして付き合ってほしいなどの要望があれば、声をかけてください。 連絡先
Discord 教育を学ぶ会(雑談チャンネルなどにその旨書いてください。気づけばコメントします。)
ここにリンクは貼れませんが、内部生向けのDiscordサーバもあります。LINEの方にその旨を書いてくだされば教えます。
Twitter(@matsudotsuyoshi)
現在の教育に関する主な課題
中央教育審議会
第3期教育振興基本計画
令和元年版情報通信白書
Society 5.0 に向けた人材育成
07/30(火)~信頼の構造: こころと社会の進化ゲーム
コメント頂きました。返信のために自分の配信動画の該当場所を聞き直していたのだけれど、意外と読書配信悪くない(聴いていて自分の話なのに勉強になるという)。
https://gyazo.com/ac18f6fd62bc29df08335dce34123c60
『居場所の社会学』をちょっと読んでた。
内田樹先生、昔自分もよく読んでいたのだが、こんなものでよかっぺ主義を批判みたいな話が記憶に残ってる。
一度解いた問題をもう一回解き直す話は、『アイデア大全』だったか『問題解決大全』にも載ってたような。
読書猿さんのブログにも
2011.06.20 問題を解き終えた瞬間に人生で最も豊かな学びの時がはじまる
フォローしている方で書籍のクイズ共有サイト運営している方いたが。ちょっと使ってみるか。
本の問題集サービス BooQs
quizlet
『中国語作文―その基本と上達法―』のデッキがquizletにあるから、そっちは興味があるな。
クイズ共有ってLMSの基本的な機能だから、学校レベルでは活用されているところが多そうだけど(それこそGoogleのやつとか)、学校を越えてならquizletとかankiとか。読書会のオンライン読書会のマッチングはcompassでも十分なのかな?
日本全国の大学の指定教科書をリストアップして、オンライン読書会マッチングができるようにする大学版COMPASSみたいなサイトがあったらいいのに(シラバス等は各自が登録する)。
読書配信について
意外に思われるかもしれませんが、こうした理由から、まともなキャリア教育は、その人の「やりたいこと」を軸にしません。
社会には普通の人がやりたいと思うこと以外にもたくさんの必要な仕事があり、また生きていくための様々な方法があります。
— 読書猿『問題解決大全』4刷、『アイデア大全』9刷 (@kurubushi_rm) 2019年7月20日 さっきRTした読書猿さんのツイに「まともなキャリア教育は、その人の「やりたいこと」を軸にしません。」とあったけど、『しょうせつ教育原論202X』p182でも似たような議論が載ってるな。個人的にはp182は前に読んで疑問に思ったことがあったような。
https://gyazo.com/b2b6f04f32edef43c516151eb6454591
知念渉_Chinen Ayumu @amch6031
最近、シラバスをdropboxで共有しようよという話をしているのだが、こういう意味でもそれは大事かもしれない。 全国の教育学部の学生、一体、教育哲学などで何を購読しているんだろうかと思い、各大学のシラバスを眺めている。
東大
山名淳『都市とアーキテクチャの教育思想』勁草書房、2015 年
小玉重夫『シティズンシップの教育思想』白澤社、2003 年
小林敏明『〈主体〉のゆくえ』講談社、2010 年
子安宣邦『漢字論』岩波書店、2003 年 他
京大
現代教育基礎学系 › 教育原理
教育思想史, 今井康雄(編), (有斐閣),
信頼を考える―リヴァイアサンから人工知能まで, 小山虎(編), (勁草書房),
「感激」の教育―楽器作りと合奏の実践, 広瀬俊雄(監修), (昭和堂),
カントの世界市民的地理教育―人間形成論的意義の解明, 広瀬悠三, (ミネルヴァ書房),
#vana11 卒論で読まないといけない英語文献を10冊、夏休みのうちに通読する。 自主ゼミ/読書会/ブッククラブの方法は有元先生に学ぼう
2009.11.19 難しい本を最後まで読むのに人間が昔からやってきたこと
スナヲさんの近代文学論争まとめ(全25回)
昨日、『今すぐソーシャルメディアのアカウントを削除すべき10の理由』を読んでいたのだが、これ誰かとコラボで喋ったら面白そうだなと思って、一緒にこの10の理由を検討するみたいな企画があったら参加したいという人いれば、声をかけてください。いなくても勝手に一人でやるけど。
校内でICT活用出来ず文鎮化する問題を棚に上げたまま、最近は、クラウドのドリルアプリを使って、学校が家庭学習を支配するのが流行りらしい。テクノロジーは道徳のない増幅機。そこに表れるのはセンスのなさとグロテスクな欲望のなれの果て。
教科書を音読して「writerapp」で自動書き起こしして、書き起こしをした(不完全な)文章を元に、何が書いてあるのかを解読するというのやってるのだが、キーワード論述みたいで面白い。ぶっちゃけ対面の講義って全部は覚えられないから自動書き起こしみたいにところどころ不完全で受け取られてるはず
ノートが取れないのはその分野の素養がないとか、聞き取る力がないとか言われてしまうけれども、gaccoのMOOCなんかだと、全部字幕付きだし(人が文字起こししたもの)アクセシビリティに配慮する意味では皆で協力して先生のセリフを完全に文字起こしして共有してもいいはず。
全部を覚えられないのに、意味が困難なく伝わりうるかというと、聞く側に一定量のチャンクがあるからで、それが不足していると、受容できる情報に限りが出てしまう。ノートの取り方以前に、その基礎力の補強が授業進度に間に合わないことで脱落してしまうことってよくあると思うんだよな。
大学院に入ると「自分は学部卒とは違う(高邁な精神をもって学問をする賢人)」という歪な矜持が育ちがちだ。一時期は熱病に罹るのもよいだろう。だが、その後は学問への尊敬は忘れずに、しかし自分の限界を見極めること、これも大切だ。「自分でも出来ること」を考え続ける、これしかないと思う。
この意味において、「研究と偏差値」との相関はプラスに働くこともあるがマイナスを示すこともある点は強調したい。過去に「関係ない」とツイートしたが、少しニュアンスを訂正したい。
なお、二つ前の元ツイートは「自分”にしか”出来ないこと」ではなく、「自分”でも”出来ること」と書いている点が重要。ここもかなり強調したい。
「幸福とは何か」という話になって、「幸福とは何か定義できない」と言ってる人がいたので、もうちょっと丁寧にやろうって「仮に宇宙の全ての状態によって決まる瞬間の幸福量f(X)が定義できたとしても……」と言い出したら「幸福は定義できない!」と言われて(続)
幸福を定義してみて、そこからはみ出るものがあるかを考えてみるみたいなことを何度も繰り返してみないと、定義ができないという実感を持つことすら難しいと思うけど、そういうことを考えない人は、断定しちゃうのかな。
経済学を勉強すると効用関数みたいなの丁寧に勉強するから、このあたりの議論をしっかり勉強できていいかも。 林 貴志『ミクロ経済学増補版 』みたいなのを読んでそういうことを勉強した記憶が。 先の本にもブックガイド付いていたけど、
八田達夫『ミクロ経済学 Ⅱ 効率化と格差是正』の巻末 ブックガイドも参考になる。
経済学の基礎づけとして功利主義から経済学への接続あたりの話は、記憶では『ランドル・コリンズが語る社会学の歴史』のような本に載っていたような、いなかったような。
昨日RTした「幸福なんて定義できない」と論じる人に対する批判ツイだけど、その人に「人間の興味の対象は定義できるか?」と聞いたら、どういう風に答えるんだろうか。そもそもどれくらいの精度で「定義」という語彙を運用しているかということを測るのに、色々なことを定義してもらうとか。
『しょうせつ教育原論202X』のモデルを作って考えるということの重要性を指摘しているの、内包的定義とか外延的定義とか、高校数学の初歩だけど、高校数学で学んだことの「転移」として教育学においてモデルを作るときに援用できる人がどれだけいるかというと、少ないだろうと想像できる。
発達心理学の本を7冊ぐらい比較しているのだけれど、調べてほしいこととか、対比してほしい項目があれば、リプくれ。
『しょうせつ教育原論202X』ではマリ<真理>という人工知能が存在する近未来を題材に、主人公の僕がマリの使用を肯定的に、祖父がマリの使用を否定的に捉えているという設定があって、その文脈で祖父がマリよりも「ヒト」に対して関心を持つことのほうが重要と論じる文脈。
やはり、この議論を読むと、アニメ、サイコパスにおいて、シュビラが、個々の繋がりをシステムで断つことこそが統治において最適解だと論じ、人間の平和な管理を世界において唯一実現したという設定を思い出さざるを得ない。
他者とのつながりが自我の基盤だった時代など、とうの昔に終わっている。誰もがシステムに見守られ、システムの規範に沿って生きる世界には、人の輪なんて必要ない。みんな小さな独房の中で自分だけの安らぎに飼い慣らされているだけだ - アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」槙島聖護
https://gyazo.com/60c3ea629fee13a10c7c32ba6655161c
昨日、『しょうせつ教育原論202X』に載っていった、祖父がその場で考察のための簡易モデルを作って興味の対象の「ヒト、モノ、コト」の集合と、その重なりが自我と解釈できるみたいなことを論じているところ、もうちょっと踏み込んで考えたいと思ってるんだけど、なに読もう。
自我論に興味があったので、こういうサイトは僕の読書意欲を掻き立ててくれそうです。涼宮ハルヒの哲学とかも入ってたりするので個人的に嬉しい。>サイト『僕、「わたし」、「こころ」』文献購読一覧
https://gyazo.com/a4192a7120086d5a495009d3f7827245https://gyazo.com/ab95200116a60cf4b21892e3a77b594d
疲れると文字が読めなくなる、読字障害みたいなのところがあるので、考えたいところだけは文字起こししして、chromeで読み上げできるようにしているのだけれど、本に載っているよりも、はるかにブラウザで読んだほうが読みやすいというの、本という物理メディアの限界を感じるよな。
物理本で通読して、その後で写真にとって文字起こししてみたローデータを読んでみると、ローデータのままだとOCRの精度の問題で誤字がたくさんあるのだけれど、それだけで「読めない」とか全く同じ内容なのに、「違う」ように感じられて、それを修正しながら読むと、前よりも読めている感じがする。
テキストデータだと改行して、自分なりに把握しやすい文字の密度に変えることができるけど、それによって、目の前にある情報量を制御できるということが、意外と「読む」という行為に大きな影響を与えるのだろうな。ただpdfにするだけでも拡大してみると、そこだけしか目に入らないようにできる。
『LLブックを届ける』だったかに、下図のような議論を整理した図が載っていたけれど、これまた読み返したい。(全部は写せなかったので、完全ではないが)
https://gyazo.com/9a07c3c3c930045197db7cb2750697b3
勉強をそこそこしている大学生が「大学に入学して学問してない人って、なんで大学に来てるんだろう」とか言ってるのを見てると、自分とは違う存在に寛容になることがどれほど難しいか考えさせられるな
個人的には一コマ2500円ぐらいの授業代をどうして払おうと思えるのだろうかということは思ったりするな。それだけ大卒の資格が、就活の有利不利に影響しているという「実感」があるからなのか。
たとえばですよ。萩谷昌己『論理と計算のしくみ』戸田山和久『論理学をつくる』の本を買って独学するのと、1万円の論理学の授業を受けるのとで、どっちのほうが実力がつくと思いますかと質問されて、たぶん前者を選ぶ人の方が多いはずなのに、多くの人は実ではなく虚を選ばざるをえないのですよね。
今でも、僕自身は論理学について学ぶときも(お金がないので)どういう風にコストを払えば一番、論理学という「コト」の本質に近づけるかということに興味があるし、手元にない本の内容を自力で考えることはほぼ無理なので、優先的には価値の高い本にお金を払う。
何かを学習することを「生活習慣を変えること」だと捉えると、後者が(継続的な)コーチングを含むならば、評価が変わるようにも思います。また、知識を身につけるより、知識が身に付いたと誰かから認めてもらう(実際はどうであれ)体験を重視するなら、1回1万円の講座を選ぶのも合理化されそうです。
アクティブ・ラーニングというのは、学習における責任をできるだけ学習者に背負わせるところに目的があって、単純な知識教授だけなら本でも動画でも代替できる要素があるが、学習のゲートキーパーや学びへの動機づけはヒトへの関心を持ったりすることを通じる必要がある。
プログラミング系のオンラインサロンに課金する人が多いのも単純に情報を求めたり問題解決の先生を求めているのだけでなくて、課金している間のゲートキーパーを求める意味もあるのだと思います。こういう議論は『「学びの責任」は誰にあるのか』あたりを読むといいかもです。
ゲートキーパーの議論は『問題解決大全』のオデュッセウスの鎖あたりを参考にしてください。
「書に淫する」という言葉があるけど、読書ってよくないことだよね(なぜなら労働して価値を生み出さないから)という価値観が含まれているのだけど、フィクションを読まないという信念を持っている人は今でもそういうことを考えてそう。産業構造が変わってきて、価値を生み出す源泉にはなってる。
『Think clearly 最新の学術研究から導いた、よりよい人生を送るための思考法』だったかを立ち読みしたときに、質の高い小説を読みましょうみたいなことが書いてあって、『英語達人塾』あたりにもせっかく例文にするなら良質な文学作品をみたいなことを書いてあったことを思い出した。
以前、『文学効能事典』の目次を参考に、文学において学べる他者性のようなものをアニメや漫画、ライトノベルでも学べるかみたいなことを考えていて、途中で放置したままになってる。
「文学効能事典 あなたの悩みに効く小説」の各項目に合致するアニメとラノベ、マンガをScrapboxのタグ付けで関連させていこうと思ってるのだけれど、「嘘をついてしまうとき」に観てほしい作品ってなんだ?とか考えるの共同編集でやると楽しそう。
「嘘」に関して示唆的なライトノベル、漫画、アニメってなんだ。真っ先に思いつくのが『東京レイヴンズ』『3月のライオン』あたりだが、「嘘」と「本当」の違いとか別の単語と関連させていくと『俺ガイル』とかいくらでも挙げられそう。
テーマごとに連想ゲームして作品を挙げてもらうやつ、本当は多くの人にやってもらいたいって思ってる(のでScrapboxでの読書管理を推してる)。一度ページを作っていたら、タイトル入力が楽なので。テーマごとに作品を挙げるような記事を書きやすい。
昨日の配信でも少し喋ったけど、『しょうせつ教育原論202X』p6の議論。「考えが深まるというのは、使う言葉が変わり、同じ言葉でもその使い方が変わる」という話だけど、言葉の運用もメディアに依存するので「書かず」に考えること、「話しながら(録音して書き起こし)」考える、Twitterで考える、ブログで考える、Scrapboxで考えるのとでは違ってくるし、「教育」や「コミュニケーション」の観点でもそれはメディアに依存する。Scrapboxだと、その特性を知っている人とそうでない人とで、他人のプロジェクトの読みやすさは違ってくる。ブログもアクセス性はメディアの複合によるし。
https://gyazo.com/0c3aebb95692daffc8df302d8965de1b
「学んだことのたったひとつの証しは変わることである」というのを読んで思い出したことで、ツイッタで単語で自分の過去のツイートを横断して読むとそれを顕著に感じるときがある。こういうのはメディアを通じて思考の変遷を可視化できて面白い。
Twitter検索で「@matsudotsuyoshi 特定単語」という風に調べてみると、たまに「同じ言葉でもその使い方が変わ」っているのが分かるときがあって、前は間違った意味で使っていたのかとか、ちゃんと理解していなかったのだなと思ったりする。そういう変化に、物理ノートをとる場合では気づきにくいかも。
ディベート苦手。記憶力が悪すぎて、その場で議論を組み立てることができないので。個人的にはそんなボクシングみたいなことやるぐらいなら、Scrapboxみたいに全ての情報を開示した方がお互いの議論が深まるのではとは思うんだけど、世の中の多くの場面ではディベートみたいな力が求められるのだろう。
ツイッターで書くときも、なにも思い出せないので、毎回、単語で自分の過去のツイートを検索して、キーワードを引っ張ってきてます。そういう人、他にもいないのかな?こういうツイッタの使いかた岩波新書の『術語集』(正続どちらか)に載ってた記憶の話を思い出した。
『グレート・ギャツビー』、10ページに1つくらいの割合で真理がブチ込まれているので、毎回(くるか……? そろそろ来るか? いやまだです……しかし美しい文章!……あっ!ここでまさかの真理!来た! 完全に真理ーーーー!)みたいな実況しながら読んでる。
昨日、このRT読んで爆笑してたんだけど、文学作品を読んでいてどこが面白いかを実況するの、一部の層に絶対ウケる気がしているんですが、誰か面白い動画知ってますか?
読書メーターの文学ガチ勢、文学作品を読んでカッチリした短い感想を量産しているの、すごすぎて、真似したくても真似できないし、感想を読むたびに気疲れしていたけれども、アニメを観るようになって、これなら自分でも感想書けそうって思えるようになった。
『グレート・ギャツビー』は英語達人塾でも推薦書として挙げられていたので、原文でも読んでるし、映画も観たし、翻訳も複数読んだことがあるけれど、 小野 俊太郎『『ギャツビー』がグレートな理由(わけ): 映画と小説の完全ガイド』という本もガイドになった記憶がある。
ちなみに行方昭夫『解釈につよくなるための英文50』にもグレート・ギャツビーが例文として挙げられていますし、斎藤 兆史(著)上岡 伸雄(著)『CD付き 英語達人読本 』にも例文があります。
https://gyazo.com/ceb98c6805cf5a4c77dc2851d1efce67https://gyazo.com/880b0f3bfc36568758da586df6460b74
マショマロ、誰からも質問がこないので、たくさん来る人の中には、きっと気軽に質問に答えてくれる人だと思わせるために、自分で自分対して、自己紹介をするための質問をたくさん投稿したりしたんだろうなとか思っているのだけれど、それって小説を書いているみたいで面白いって思えてきた。
この人はこういう質問にも答えてくれる人なのだという情報を開示するためには、そういうレベルの低い質問に答えている情報が必要で、「リアル」においてはその判定は難しいけれども、ネットにおいては、そういう振る舞いを「偽る」ことが可能で、それを「不正」と非難はできない(むしろ肯定できる)
「こいつ、めっちゃ面倒なやつだ」みたいなこと、リアルでもよく思われているのだけれど、むしろ「なんでも質問して」と言っても同じことを思われるし、わざわざ相手の時間を拘束するのもなあって思うし、ネットで誰も客がいなくてもただ喋り続けていたほうが気が楽というのはあるかも。ツイッタもそれ
誰かマシュマロシャワーの考察書いてないかな?狙った誤配ができること。フォロワー繋がりで回答が期待できることを意図して書かれた質問であったりより一般的に多くの人が答えられる質問。祝福や慰め(を求める)の言葉。なぜマシュマロシャワーは答える人が少ないのか(本当に少ない?)。
マシュマロシャワーって想像以上に面白いな。回答者をハッシュダグで確認できるのだけれど、誰も知らないアカウントばかりというのが面白い。回答から繋がる交流みたいなのをデザインしているんだろうな(前にも同じことを思ったが、改めて勉強になった)。
自分にとって常識的なことはフォロワーの人も大体常識に思っているだろうと勝手に思い込んでいて、仮にそれが正しいとしても、フォロワーのフォロワーにとってはそうではないだろうし、そういう異文化に「質問」を通じて触れることができるのはわりと興味深い。
マシュマロシャワーって一見、質問に対して「交換可能性」(自分以外でも答えられる)が働くし、明らかに自分のカテゴリの質問でない(質問の意味が分からない)こともあるけれど、敢えて自分が答えるとなると、調べてみたりして、知らないことを学ぶきっかけになったりする。
マシュマロシャワーって質問者Aがいて、それに対してマシュマロシャワーに真面目に答えるフォロワーBCDがいて、彼らの回答がハッシュタグで繋がるので、BCDが答えていたら、Aが質問したのではみたいな、質問を送ったA(それが誰かは知らんが)を推測できるの面白い。
これよく考えたらB.C.Dのアカウントのページに行って、その人をフォローしているフォロワーさんを積集合で求めればかなり絞り込めることに気づいた。
自分の場合は、誰が質問者だろうがどうでもいいと思っているけれど、(「問題」は人格から切り離すのとか、著作物と創作者との関係みたいな話と同じで)文脈が全くわからないときにはどのカテゴリーの質問かはハッシュダグで確認できるのが嬉しいと思った。
「授業って 何だろう…?」 って思った時の漫画。
https://gyazo.com/4387465f43dbf014d4a56ab99e848e8chttps://gyazo.com/0cac4c09a9f13f21216e00a98e48e75f
この漫画でも、授業のコンテンツを「自分にとって面白い」方向に変えるために行動することの是非について論じているけれども、授業を受ける生徒同士でScrapboxなどで各自が面白いと思う議論を共有する形なら、競合しにくいと思ったりもする。自分が面白い要素が他の人にとって面白いとは限らないので。
これは、大学における数学のゼミ(もともと、アクティブ・ラーニングの原語としてはこれに近い)で、学生が説明して、他の学生や先生がツッコミを入れることで理解を深めるものに近いと思っていて、先生が防衛側で、学生が本を頼りに論破する。
授業中に、本を読んではいけないみたいな授業は、大学でもそんなこと言ってる先生がいたら、一体なにを学ばせたいのかって疑問に思うな。根拠を追求することこそ大事なのに、それを頭で考えるだけでできるなんて思えるのは、学問の蓄積に対する冒涜でしょ。話をきかない不道徳な側面もあるかもだけど。
アクティブ・ラーニングに対してかなり批判的だった頃は、話す時間に他の人が、誰でも思いつきそうなありふれたことを喋ってるのを聞いている時間、その意見の新規性はなに?みたいにイライラしていたけど、アニメの感想を書くようになって新規性に拘っていたら感想書けないよなという風に思うように
自分は知識教授型の授業が大好きなのは、授業中に事前に関連する本を何十冊も準備して、先生の言うことに対して、おかしいと思ったことをその場で調べて、議論の正当性をチェックすることができるからで、ALだとそもそも議論の正当性をチェックする暇が全く与えられないので、ただ鵜呑みになってしまう
教科書を読むときだって、基本的に一文一文の根拠を追求していくものだし、授業においても、それは同じで、先生の一言一言を、逆転裁判みたいに「異議あり!」ってやるのが、面白いのであって、ALで準備してこない生徒の話を聞いていると、「どこから相手にしたものか」とイライラするんだよね。
自分の興味関心は、基本的に自分が面白いと感じるというだけであって、他の学生と共有することは本当の意味では難しいと思っている。たとえば、昨日の『しょうせつ教育原論202X』の配信を観るのは、本のコンテンツという文脈を介さないと「退屈」で聞き続けることは難しい。
『しょうせつ教育原論202X』をたとえ読んでいたとしても、僕の話を面白いと思ってくれる人は少数であろうし、それを2時間も喋り続けていたらどうだろうか。多くの人は脱落するだろう。知識教授型の授業の弱点とは、そこにあって、インフォーマルな自発的学習においては、それが顕著になる。
たかが数百人、同じ教室にいるもの同士で、興味関心を共有して、議論したいと思える相手が見つかるなんてこと、ICTを駆使したところで、難しいのではないかという根本的な疑問があるが、その限界にすぐに気づいて、教室の外へ目を向けるきっかけになるなら、ICT活用の推進にも意味があると思う。
「ヒト・モノ・コト」の「人の興味関心のモデル」に関する議論で思い出すのが、僕が昔、ICT活用推進に反対だったのは、教科への本質的理解、つまり「コト」への興味が大半で、世の中の多くの人はそもそも「コト」への関心が少ないから、仮にコンテンツを充実させても学び続けたいと思えるような教育効果を与えることは難しいのだろう。というようなことをアクティブ・ラーニングに関して学ぶようになって思えるようになったことがあって、教育はそもそも「ヒト」への関心がなくては成り立たないのに、それを軽視していたことを現在では反省している。
違いますね。まだコンテンツの充実にもっと投資をしないといけない段階です。個々人が持つタブレットで無料のコンテンツを享受するぐらいなら十分だけど、わざわざ学校でタブレットを全員に買わせるだけの価値がないんですよ。
学生時代、『先生の教え方悪い!』って人ほど成績が低くて、『自分の勉強不足』といってる人の成績が高いという現象が。
これは大人になってからも一緒で、『職場が悪い!』って人ほど収入が低くて、『自分のスキル不足だ』と思ってる人はさっさと転職して収入上げてる印象。
いわゆる自責マインド。
職場の環境が自分の学習サイクルと合致していれば、勉強も続けやすいけれども、職場の環境が悪ければ、学習する余裕すらなくなってしまうので、転職できるだけの実力もつけにくくなってしまうし、自責からメンタルも病みがちではないかということは思うな。生存バイアスもかかりやすい議論。
給料安くした方がたくさん雇うことができるから、失業者は減らせるみたいな議論があるけれども、安くてもその職場にとどまってしまうのは、IT系の業界だと足切り基準が高くて、適切なシグナリングを出せなければ転職できないということがあり、安くても転職されないから給料を高くする動機づけもない。
『信頼の構造』でマッチングコストを検討して、現在の取引相手との関係を維持するか、それとも別の業者と乗り換えるべきかという話が載っていたけれども、就活も同じで、転職コストが払える人(高スキル)な人は試行回数が多いので、結果的に良い環境に身を置きやすいだけという話。
秘書問題と同じような話ですよね。
「37人目までは無条件に不採用」100人から“優秀な1人”を確実に選ぶ方法
いつも紹介しているけど、この記事も。試行回数を増やすためには別の方法への乗り換えコストを負担する必要がある。
「人のやらないことをやろう」という話を読むと、いつもこの記事を思い出す。リターンが期待できないゲームを繰り返せる人なら確かに「人がやらないこと」に懸ける価値があると思う。
飯田泰之 機会の平等ってそんな簡単な話じゃないんです 2008年3月28日
https://gyazo.com/aaec85145973d8e63af139d313289c20
本当に向いていないと思っている人は辞めてしまうだろうから、長期的にその業界に残っている人にとってその仕事は「比較優位」として向いているということは言えるかもしれない。もちろん、よりよい職場への転職コストが払えないだけかもしれないけど。能力とそれに対する給料が相関するとは限らない。
「続ける」ことについて考えるとき、この記事も何度も読み返してる。
〈中級の壁〉を超えるバカー続けられない人ほど努力と成果の関係を直線的に考えている
「比較優位」というのは経済学において、分業した方が多くの利益を生み出せるということを議論するときに使われる用語で、仕事への向き不向きを、その人がどの仕事についたら、結果として多くの利益を生み出せるのかというリソース分配の話です。
知的分業は、特定個人が、複数の分野にリソースを回すのは生産性の観点で望ましくなく、比較優位で特定の分野に思考リソースを費やして、他の分野はそれを得意な人に任して、その成果を受け取るほうがより多くの利益が得られるということなんだよな。
さらにその続きともいえる文章。
本文内のグラフはなかなか衝撃的。
多くの分野の勉強が不得意であっても、そのなかで相対的にマシなものを選んで、それにリソースを集中させることによって、社会における価値の創造の総和を増やすことができるという観点で考えると、男性は女性に対して相対的にスコアが低くても、STEM分野ではマシなのでそれを選びがちという話か。
保守的な性別役割分業への回帰を狙う人たちにとって、男が優先的に仕事につけて高い給料を得ることができるようにしたほうが、結婚しやすくなり、子供を生みやすくなるという風に主張するけれども、仕事における価値の創造の観点でいくと優秀な女性をその人が向いてるポジションにおかないのは不合理。
共働き社会だと、育児をアウトソースしてそこでも雇用が創出されるけれども、共働きによる二人の総和の給料がその捻出に耐えうるのかという話はあるよな。少なくとも核家族化している現状は変わらないので、今更保守的な性別役割分業に戻ることは無理だと思うけど。
経済学ぶっちゃけ面白いけど、基本的なことも難しいなって思いますね。もっと経済学の話が聞ける動画が増えてほしいです。NHKのオイコノミアみたいなのはわりと良かったので、もうちょっとハイレベルな話が聞きたいですね。
心理的安全性の議論だけど、歯に衣着せぬ議論をして、その議論を人格から切り離して議論できるような頭の良い人達が集まっている集団でしかできないのではないかみたいなことは僕も思うな。
漢字をググるの大変だけど、OCRで文字起こししてブラウザで読めるようにすると、爆速で辞書が引けていいよという話を以前書きました。
漢字をググるって意外に大変なような気がする。オンラインで読み方がわからない時はコピペでもすればよいのだろうが、印刷されたものをググろうとするとOCRにかけるとかしないと大変。読み方がわからないと入力も難しい。部首入力も面倒そうだし…。
原作ありきのアニメ化で、面白いところまでアニメが進まなくて、その作品に対して否定的な印象を持ってしまうのって、学校の勉強も似たようなことだよなってよく思う。数学とか物理とか化学とか、高校生の段階ではなかなか面白いところまで踏み込めないので。アニメってテンポ感がないと苦痛だし。
文学作品を読む時に原語で読む方がゆっくりのスピードで鑑賞できるし原語の学習にもなって一石二鳥派と、翻訳で読んだほうが挫折しにくいけどたくさん読める派があるけど、アニメとその原作の関係も似ていて、アニメだと少しずつ感想を書けるから実況のようで面白いけど、面白いところまでいかないかも
語学学習好きなので、個人的には原典にあたりたいと思っているけれども、邦訳小説や映画や漫画で先にざっくりあらすじを知っておいて、一番楽しめそうなときにその作品に出会えるようにしておくことの重要性もまた否定できないので、両方を常に意識していきたいとは思ってる。
文学のカノンを全部読むぞとか、古典文学全集みたいなの読破するぞみたいな人の読書管理ツールにScrapbox有用だと思うので、興味ある人は使ってください。タイトルが違えば別のページを生成できて、タグ付けでリンクできるので便利です。解説本などもちゃんと記録できるし。
自分の学習記録をネットでリアルタイムに共有できるツールを知っていたら、良かったなと反省していて、自分の勉強していたときにはそれができなかったので、まだこれからという人は使った感想でも教えてください。
『世界史論述練習帳new』の中谷 臣先生の論述のオリジナル予想問題を添削してもらっていたとき50問のうち、友達と重ならないように半分個して、非公開のブログで解答を共有するというのはやりました。
「コミュニケーションを重視した教育」とか言っても「コミュニケーションさせる教育」ばかりで「コミュニケーションのしかたを教える教育」はほとんどないのでコミュニケーション強者がますます有利になる。
前にRTした意味のない会話のコミュニケーションにおける価値の話を読んで、内田樹,難波江 和英『現代思想のパフォーマンス』 (光文社新書)にも似たようなこと書いてあったなというのを思い出した(内田樹は同じような話をたくさんブログに書いていて、それが文庫化されているが、これは書き下ろし)。
内田樹,難波江 和英『現代思想のパフォーマンス』のレヴィ=ストロースの章。この本は、映画を題材に現代思想が学べるという本で、そんな面白いものではないけれど、『寝ながら学べる構造主義』とセットで読むといいかも。
1000RTを越えるツイートをRTするときは、関連する議論が載っている本を紹介するみたいなこと誰かやればいいのにと思わないでもない。ぶっちゃけ難しくないと思っている人けっこういると思う。本を読まないで云々と他人を批判するぐらいなら読みたくなるような紹介を努力したいと個人的には思う。
https://gyazo.com/3f90c1e470667596d68d5adbd6e86461
妻がScrapboxよりEvernoteが良いと思っている理由をヒアリングしていたが、結局のところ「整理をしたい」という欲求に帰着すると思った。Scrapboxは「混沌をして語らしめる」ってところがあるので、その混沌をなくしたい人がには気持ちが悪いようだ。
キャリアパスポートの例示資料
私が学生だったら「なぜ書かなきゃならない?」「なんの役に立つのか?」と思ってしまう。
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教育学部に在籍しているから単位をとるために発達心理学とか教育哲学とか勉強しているけど、それがあなたのキャリアに繋がりますか?と言われると、今から転籍して放送大学で情報科学を勉強したほうがいいかもですと答えるしかない。人材教育の仕事をするにも、その道筋が不透明だし。
教育学部は教員になる人向けに最適化されているので、それ以外の進路に進むとしてシグナリングもそのように機能するから(歓迎されるスキルではない)、なろう系の小説の不遇スキルに近いものを感じる。
発達心理学や教育哲学を通じて、学べることは多いけれども、それが即戦力に繋がるかというと、学校教育関連に就職する人以外にとってはそうではないし、それが外部の企業に評価されるような物語も少ないのでアピールしにくい。
この前、
「みんなせっかく癒しを求めたり何も考えずに楽しむ為にツイッターやってるわけだし、問題提起とかのツイート控えた方がいいですよ」ってご意見を頂いて、色々と考えさせられたわ。
背景は、諸問題の根深さや娯楽の存在理由が逃避である事の価値が大きくなったことなんだと思うの。
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間違いから学習する能力の高い人は、そうでない人とは異なる脳の反応を示す。そして、生徒の知性をほめた時と、努力をほめた時の影響の違いは驚くほど大きい。これらの実験から「学習」について考える。(アーカイブ記事) https://t.co/wuv2XPYRJ1 自分はほんとに「キャリア教育なんかするから若者が職業に希望を持てなくなる」と思っている。子どもの時になりたかった仕事につける人なんてごく一握りなのにわざわざ夢みさせて失望させてどうするのかと。
新しさをそれ自体として目的として追求することは、消極的に今はないもの、ここにはないものを目的に据えることであり、価値基準・目的の喪失状態としてのニヒリズムの一つの形態に見える。
価値・目的を失っているから、
分かりやすく「目に見える」ものへと、
それこそ反射的に、欲望します。
そんな「飛びつき」の連続によって、目的喪失のむなしさを紛らわす。
今ここにないものに幻想を見て、
その幻想を抱きしめる。
— ばさばさ。生きねば (@basabasatti)
教育学のレポート課題で、教育における不易と流行について教育学史から整理せよという問題があったのだが、この問題はかなり良問だと思うんだよな。是非、他の方にも考えてもらいたい。
「変わらないもの」というと『時をかける少女』の主題歌を思い出すけど、あの作品は、未来人との繋がりを通じて、人口減少や技術進歩によって人間関係のあり方が変わってしまったということを示唆していて、時代が変わり条件が変わっても「不易」なものって何だろうって考えさせられるよな。
これ、教育学基礎の一回生の授業で解くことの意義がかなりあって、なぜなら、教育に対する「常識」や「当たり前」がある段階でこの問題を解いておいて、後で同じ問題を解き直すと、大分精度が変わってくるので、勉強の進み具合がよく分かるから。
教育学の良問を共有するみたいなの楽しそうだと思ったりするんだが。『大学への数学』や『理系への数学』でも昔、思い出深い問題についてのエッセイみたいなのよくあったけど、それに似たような風に好きな課題を共有したい。
日本の会社のやり方に合わせてfax使ってるんだけど、もう全部納得いかなくて仕事中に「fax なぜ」で調べたらこれが出てきて死ぬかと思った。死ぬかと思ったけど本当にそれなの。社会のジジイ諸君は少しでいいから己の価値観をアップデートすることを学んでくれ。 https://t.co/LnfQdeBYMx ソクラテス総受け本とか無いんですか。プラトンの愛あるヘタレ攻めと、アリストテレスの鬼畜攻めを中心として。
『しょうせつ教育原論202X』読んでいたら、p176のこのあたりを読んでいて、ソクラテス攻めでもいけるのではという気になってきた。
ソクラテス攻めだと教師と生徒の関係になるから、普通に権力差があって、定番でつまらないのか(BLはよくわからん)。
https://gyazo.com/96712ce61be63c81edc16ee09b8f7b7f
香西秀信・中嶋香緒里『レトリック式作文練習法』以前の復刊投票の際に買ったけど、この本、真面目に取り組まないと「読めない」本で、まじでこれ授業実践向けなのか?という感がしない訳でもないが、そろそろ自分も作文の練習がてらに読みたい。
『しょうせつ教育原論202X』p185 のサーブのところの話はちょっとずれてるよな。
下のリンクに「召使いが最初の一球目を打ちやすい位置に投げたことが、サービスボールの始まり」とあるけど、語源ぐらいは調べて書いた方が良かったのでは(自戒を込めて)。
https://gyazo.com/4e767ebb584f4e103dd9241249e6af11