baku89.icon
最近いろんな方から、この勉強会? がなんかこう、いろいろと良かった、ってお話を頂く
ぼんやりとCosenseを消化するんでなく、ちゃんと取り上げたいことを決めて、詳しい方同士で濃い話をするほうが面白い?
どうやる?
Spaces? Instagram Live? YouTube Live?
ひとまず、書画カメラとiPadでなんか頑張ってみる
一旦は心理的安全性を高めるためにrecはしない。気の向いた人がこの下に雑に書き溜めたり、全く関係のないことをメモったりする
反省
AirPod Pro、壊れかけ、マイク音量ちっさい
Podcastみたくなってしまった、動画機能を使い切れない
Speaker以外のコメントがあまり追いきれなかった
長時間になると勝手にスペースが終了してしまうのも惜しい気がします Aodaruma.icon
↑ baku89.iconのiPhoneの設定ミスです…すみません。。
話したこと (自由にメモ書きを追加したり書き換えちゃってください)
Speakers: Daisuke Tanaka.icon baku89.icon
プログラムアドバイザー、コンペティション各部門選考委員
https://www.youtube.com/watch?v=Wz-tgVAzW8Y
長編部門グランプリ
https://vimeo.com/127579635
2015年のメディア芸術祭 アニメーション部門大賞
『SIRKI』(2019)
札幌国際芸術祭からのコミッション
アイヌ文様をモチーフに
チカホ(札幌駅前から大通公園までの地下歩行空間)で、コロナ禍あたりかよく流れていましたbaku89.icon
https://vimeo.com/320706949
本人は来日されなかったが、4日の上映後には山村浩二先生と田中さんのトークがあった
山村先生は「正直退屈だったのでは?」と仰っていたが、むしろ撮影やコンポジット、グラフィックプログラミングに精通している人にとって、とてつもなく情報量があったものだったのではないかbaku89.icon
現在別のプロジェクトにアニメーターとして参加されているR. O. さん曰く、本作品のプレスキットにはより詳細な文脈が記されている
Sergei Eisenstein(『戦艦ポチョムキン』、モンタージュ理論を確立)の未完作品をモチーフに作られた Boris Labbe『Glass House』の上映後に行われた
hsgn.icon曰く、良かったと
膨大な手数や手技をありがたがる人としての山村さんのイメージが覆される
『Rhizome』をメ芸で推したのは山村先生。手描きの要素がありつつも、マルチエージェントシミュレーション的な要素があり、「CG」っぽく見えていた。山村さんが改めて「手描き」であることを強調すると、ころっと評価が覆り、見事大賞
だけど本当は、アニメーション業界に通底する「手描き」信仰のようなものにすごく懐疑的
メディアや手法、ソフトウェアそれぞれに、異なるアニメーションの言語、構文が存在するのでは
田中さんは「メディア固有性」という言葉をあえて用いなかったが、物理的な性質(絵画における平面性 etc.)ではなく、そのメディアを用いた表現が文化的に積み重ねてきた慣例(convention)も含めてメディア固有性なんじゃねぇの? というクラウスを引くんだとすれば、あながち不適切ではなかったんではないかbaku89.icon
山村さん曰く、syntaxやlanguageというよりは、せいぜいdialect(方言)くらいの差異なんじゃないか
メディアや手法による差異以上に、作家の手癖による差異のほうが大きい
例: 長編アニメーションにおける「劇映画」と規範(norm)
シド・フィールドの三幕構成
non-narrativeっていっても、実質narrativeあるじゃんけ問題
現に『Glass House』も、ガラスのバベルの塔っていうモチーフがあったりと、物語性を感じられる
お経を聴いて物語性を感じるか感じないかに近そうnagasena.icon
Max Hattlerの『O/S』こそnon-narrative
例: 360VR
フレーミングという概念が無い
モンタージュのようにカットを瞬間的にトランジションする編集技法がやりづらい
ほぼ常にパンフォーカスbaku89.icon
ある意味VRのほうが「像を映し出す」映像として、より純化されたメディアなんじゃないか?
現在、山村先生は『耳に棲むもの』を公開、Boris LabbeもxR作品に取り組んでいる https://scrapbox.io/files/672c24b517a23f17eed204dd.png グリーンバーグ的「純粋性」(pureness)は、音楽から絵画へ、そしてアニメーションへと流れ込んだ
構造映画、抽象映画、絶対映画への興味
1分の短編を60個繋げて「長編」って言い張ってみたい
山村先生: 今はプログラミングからやらないと新しいものが生まれづらい時代
山村浩二 × Software Studies、ヤバい面白い
Int't CompetitionのTed Wiggin『MIMT』は、Max/MSP/Jitterで中割りツールから自作している
https://scrapbox.io/files/672af3b2d8a2dcebf4739a35.gif
批評集団 Animations を主宰されていた
他のコンテンツも面白いよ
山村: 3DCGで人形アニメーションのクオリティーの高いもの、っていうレベルの話だったら、逆に無理だなって僕は思うけどね。個人レベルですごいパソコンが普及しても。僕はCGはクリエーションじゃないって言ったけど、CGでクリエーションに近い事をやるとしたら、プログラマーにならなきゃいけない。プログラムを自分で作り出すっていう事はCGの中でも一つのクリエーションだし、クリエイターと同じ価値があるものだと思う。でもあくまでプログラムの中でやってる部分ではずっといつまでたってもオペレーターでしかないから、CGの中でも創造っていう所でもっと違うやり方をしない限り、どんなに高速なコンピュータが出ようとも、「リアルな表現が」といってしまう事でひとつの価値基準しか満たさない……
山村先生「CGクリエイターよりもプログラマーに共感を覚える」
今もその考えは変わらない
baku89.iconの超解釈: CGアニメーションにおいて、本当の主体は手法の発明者。無数のCGクリエイターはある意味で発明者の手駒であり、眼の前にぶら下げられた機能の新奇さにまんまと食いつき、その手法を用いた「よい表現」を発明者に変わって集団的に探索する。ある種の人力・乱択アルゴリズムとしてのCG業界。
(脳内イメージ) https://baku89.com/wp-content/uploads/2021/01/terrain_0.gif
極論: Blinn, Phong, Lambert、Bezier博士こそがクリエイター?baku89.icon
CG界隈を見ると新奇性を求める向きが多いのはたしかに感じつつ、一方で、「発明者の手駒」と括ってしまうことのやや技術決定論的な香りのするモデル化は、CGクリエイターにおける「佇まいや手触りに対する想像力」というものをどう位置づければいいのでしょうか…Nagasena.icon
山村さんの言葉を都合よく借りたニヒリズムだったのかもしれません。手法を想定どおりに使う限り、それは「オペレーション」に過ぎませんが、誤用やハックこそが、発明者の思惑を超えて作り手が道具に主体的に関わる方法だ、という立場をぼくは取りがちです。ただ、それもまた、発明者が想定し切れない用法を無数の消費者が代わりに探索し、新しい市場を見出すという意味では、開発者の手駒とこじつけることもできますね。例えば、一眼レフのファームウェアをハックして動画対応したことが、一眼やミラーレス市場の開拓につながった例とか。結局、クリエーションとオペレーションの区別はどこまでも恣意的なものなのでしょう。短編映像の人々から見ると、商業アニメは(少なくとも撮影に関して)Clip StudioやAfter Effectsの「オペレーション」に見えるかもしれません。一方、現代美術の人々から見ると、映像やアニメーションという枠に閉じこもるぼくらは、総じて工芸的(枠組みの中で与えられた手順を巧みにこなすよう)に映っているでしょうし。畢竟、狭く深く、あるいはメタに浅く、というスペクトラムの中で、有限の注意力をどこに集中させるかは個々人の選択に過ぎないのかもしれません。で、ぼくのアニメーションへの理解が画像処理や映像編集技術を軸としたデジデジ・フォーマリズム(?) に根ざしている以上、佇まいや手触りの発見ではなく手法の発明を軸に歴史を語りがちなのだろう、と改めて感じましたbaku89.icon
なるほど。究極的にはデジデジ(手法)一本を突き進めていこうとすると、相対性・恣意性・無限後退の迷宮にいっちゃって、つまり虚無(ニヒル)なんだと思うんですが、だからこそある種の開き直り(Nihil novi sub sole)からハック・誤用を通して <デジデジ(手法) / チマチマ(佇まいや手触り)> の二項対立で、「 / 」の引き方を自由自在に変えていくようなハイブリッドなスタイルで麦さんはやられていっているのかなと思いました。つまりデジデジを通してチマチマを発見していくような(「手法の発明を軸に歴史を語る」ことを通して、「佇まいや手触りの発見」をする)。。とはいえ、それを十分に踏まえつつも、ある種パフォーマティブに「極論: Blinn, Phong, Lambert、Bezier博士こそがクリエイター?」とラディカルに言うことは、しばしば忘却され、透明化されてしまうような「開発者」(したがって、道具(ツール)の存在すら透明化されてしまっている、、、まあ、ハイデガーじゃないですが…)をストロボにかけてなにか見させてしまうようで、いつも元気と勇気をもらってます。。(どこからモノいっとんじゃい、という感じですみません。。)nagasena.icon
アニメーション映画祭における作家主義と、そこから疎外されるもの
アニメーションは分業主義で、個がそこまで前面化しないジャンル。だからこそ、新千歳映画祭は個人作家に(結果的に)フォーカスを当てているのだが、映画祭内ではむしろ作家主義的な空気が支配的になっている
夜のバーは作家しか入れないし、授賞式はお客さんとプレス、運営やスポンサーのお偉いさんを合計した人数よりも作家のほうが多い
(過去に色々あったんです…)
「作家でなくてはならない、何者かでなくてはならない」という呪い
ゲストやお客さんにとって「短編推し」な映画祭だと映っているという懸念Daisuke Tanaka.icon
長編はおまけ?
誤解なきよう補足。「新千歳」のチームが長編を「おまけ」扱いしているとは思わない。が、お客さまやゲストにはそういうふうに映ってそうという懸念が。。。Daisuke Tanaka.icon
短編審査員に尾石達也さん(『ぽにぽにだっしゅ』『化物語』)を招聘したりと、産業アニメの方を入れる提案をしたのはDaisuke Tanaka.icon
多くの方は(いわゆる)アートアニメーションを商業プロパーな立場から評価することに躊躇される
作家主義的なindependent animationと、分業主義的なanimeをより撹拌していきたい
オスカーの特殊効果賞のように、監督や作家という立場以外のさまざまなプロフェッショナルを評価する方法は無いのか?
「動画賞」とか設けたところで、まぁ、塩っぱいよねぇ
pose-to-poseな作り方を前提としているわけだし。ぬQさんのようなstraight-aheadな作り方をしているひとを考慮していない
部門別賞を作れるのは、それだけ分業の仕方やワークフローが固定化しているからこそ可能
アヌシーに「音楽賞」があるのは、少なくとも映像と音楽は別々に作られることが多いから
けど今回のMax Httler『O/S』(尾石達也さん special mention)や彼のA/Vパフォーマンス、映像の画素それ自体が音に変換されるという作り方をしているわけで、音と映像が不可分だったりもする https://scrapbox.io/files/672c253b78d351f2c29f4a96.png アニメーション表現の多様性
個人作家によるindependent animationのほうがより自由なようでいて、実は均質的なのでは。ことさらルックに関しては。
紙や筆致といった、アナログな痕跡への執着
サムネイルから漂う「禍々しさ」「おどろおどろしさ」
折笠良さんの『環Roy / ことの次第』は、紙の質感が全く消されていて、After Effectsをチネ繰り回すなかで偶発的に得た謎のルックが全面的に用いられている。その「手描き」「アナログ」っぽさへのこだわりの無さがすきbaku89.icon https://www.youtube.com/watch?v=GoMcern6kbk
今回の日本コンペティショングランプリ『Miserable Miracle(惨めな奇蹟)』も、作画用紙に描いたものを一旦取り込み、レイアウトや複製などをした上で目地の粗い紙に出力し、更にその上から加筆した上で、書画カメラのようなもので撮影している。テクスチャを別で乗算合成したりはしていない
https://www.youtube.com/watch?v=ewiK5GUSBtE
階級的にも、independent animationの担い手はいわゆるグローバル・エリート
Gobelins(ゴブラン、パリのアニメーション系大学院)やRCA(Royal College of Arts、ロンドン)に行き、アニメーション研究などアカデミアにも近いところで活動し、緻密な計画のもと助成制度を渡り歩けるスキルを持っている
日本のアニメーションは、日本コンペディションに入選されたちなさんのように10代から業界入りした叩き上げの方もいれば、RCA出身でプログラムアドバイザーのニヘイサリナさん、岩崎宏俊(IWASAKI Hirotoshi)さんのように、よりアカデミックな美術教育を受けたり、博士号持ちの方もいる。出自が多様
https://www.youtube.com/watch?v=DQaSSLBb58Q
また、日本のアニメのワークフローは固定的なようでいて、実はとても可塑的
そこまできっちり作っている時間も金もねぇ
海外が言葉によるディレクションやコミュニケーションを重視するのに対して、日本は作画監督が紙の上から直接修正を入れるような、イメージでの伝達が実は多い
また、監督による強い規律というよりは、各セクションがあまりに専門化しすぎているが故に、それぞれのプロフェッショナルが自分らがやりたいことをねじ込もうとせめぎ合っている?
そうした緊張関係から生まれる多様性
中村健治、今石洋介作品は「ルック」で刺さる
作品における中心的なモチーフを公理とし、そこから「アニメーションのルックや文法」が演繹される感じ
グレンラガンにおける「螺旋」、空中ブランコにおける「キャラの不統一さ」、モノノ怪における「和柄」
「AIについてどう思われますか」質問のつまらなさ
上映後の作家を招いたQ&Aセッションの話
これはもう、仕方がない、そのくらいインパクトのある技術だったので。質問をお考えになった選考チームの方々も、誰も悪くない
Ted Wigginは、「AIを使った作品は、なんか似ているので、現状興味は無い」とのこと
アヌシーでのBoris Labbeのトークもそういう話が振られており、「あくまで手段として用いるものだと思います」という通り一遍の回答をするほかなかった
日本コンペティション入選、ajisaさん『孤』はEbSynthを用いられている 御本人は「AIアート」に懐疑的
EbSynth自体はOptical flowベース?
https://www.youtube.com/watch?v=vycjfnd58Zw
ライフゲームやSobelフィルターのようなconvolution、ニューラルフィルター、I2IやGANのような生成システムとの間はある程度連続性がある。きっぱり「生成AI」か否かを二分することは出来ない
学習させること自体に倫理的な問題があるというよりも、学習元になった作家達との利害衝突を招く「使い方」に問題があるのではbaku89.icon
生成のためのデータをパブリックドメインに限ったとしても、評価関数や、キャプション生成に無数の作品を用いて訓練されたニューラルネットワークが用いられているということも
Rhizomatiks、Mitsua DiffusionエンジニアのYuya Hanaiさんがその辺とてもお詳しい ftd.iconさんも?
後者はこの辺とかの話ですかね。前者はあんまり聞いたことないですねえ、強化学習あたりだと一般的なのかも?(参考。詳しくなくてすみません…) 「クリーン」の定義
っていう話も、結局まぁ、そういう結論にならざるを得ないよねっていう意味で退屈…
誤配と撹拌
independent animationとanime、xR、そして前年からのdemosceneフューチャーなど、新千歳は「アニメーション」という雑な括りにおける撹拌や誤配をキュレーション方針として意識的に打ち出しているのでは
土居伸彰さんがそう。自著において、新海誠とシシヤマザキを並置する編集工学性
『21世紀のアニメーションがわかる本』(2017)
https://scrapbox.io/files/672c32f451162fc6394fccbe.png
Yves Netzhammerが初めて観たanimeが『傷物語』という衝撃
脱線: ひろしまアニメーションシーズンでも取り上げられていた『Sirocco』は、スカートの中身が描写されていないことに何故か感激した。子どものためにつくられているなぁって。逆に、改めて日本のアニメってエッチですよね...baku89.icon
Yves Netzhammerさんのことだと田中さんがお話されていたのを記憶してますnagasena.iconshogo_naka.icon
映画祭のメインターゲットであるindependent animation方面の方に、産業アニメやグラフィックプログラミング文化を誤配するように、産業アニメやdemosceneの人たちが、こうした「アートアニメ」っぽい何かを誤配されて、何を持ち帰ってくださるのか、気になる(ウエメセ)
今回長編でインコンペした『化け猫あんずちゃん』はまさにそうDaisuke Tanaka.icon
https://www.youtube.com/watch?v=BhF63BAHtmU
2018年、フランスのアニメーションプロデュース組織〈MIYU Productions〉のEmmanuel-Alain Raynal(エマニュエルさん)長編審査員で、ミュージックアニメーション部門のゲスト審査員だった久野遥子さんと出会ったのがこの企画の始まり
〈MIYU〉と〈シンエイ動画〉が共同制作って、すごくなんか不思議な感じがする
新千歳映画祭はそうした意味で撹拌の場として既に機能している
demosceneの方が、Max HattlerやBoris Labbeを観て、どう感じたのか、率直なご感想をもっと聞きたい
デジデジ界からみたアニメーションシーンの豊かさへのコンプレックスbaku89.icon
デジデジ - インタラクティブ、web、広告、一部の商業化したnew media art方面の文脈でよく使われる表現
第10回東京インタラクティブ・アド・アワード(TIAA)の審査方針として、審査委員長伊藤直樹さんが「デジデジしない」を提唱した
あのシューズは内部にたくさんのセンサーを仕込んでいて、デジタル技術をかなり駆使しています。でも、見た目は普通のスニーカー。実は僕、「デジデジしたもの」がイヤ(笑い)。デジタルすごいだろ、みたいに、デジタル技術が出しゃばってるものが好きじゃないんです。仕掛けがデジタルなだけで、それで何を表現するかは、あくまでもクリエーティブの力なのです。
例えばこの間NHKで制作した『テクネ』というテレビ番組は、シェアされたいとは思いましたが、どうやったらウェブと差別化できるか、どうやったら「デジデジ」しないかということを考えながら作っていきました。
「見たことがないかっこいいものをつくってください」。以前はそういうオーダーが多かったのですが、最近は減ってきたように感じます。ユーザーがデジデジしたものや、参加を強いるインタラクティブなものに飽きてきたからではないかと思います。
…この辺の課題意識を未だに超克できてない感じがするbaku89.icon
フィージビリティ(実現可能性)の話はすれど、ニュアンスやアティチュードの話はしないし、そうした言語を持たない
言語中心、コンセプトやアイディア偏重。だからタイトルをダジャレにしちゃったりする。佇まいや手触りに対する想像力が、アニメーション作家ほど無い
「A5一枚で伝わるアイディアこそが強い」
制作における意思統一のための作業仮説としての「アイディア」と、最終的な作品に宿る強度の混同
すごく痛切に感じます...特に(ニュー)メディアアート(寄り)の映像作品を見ていて技術やアイデアがスゴイ、めちゃくちゃ面白い!と心から思えても、ある種のWunderkammer感を拭えない。『O/S』や『GlassHouse』は実際面白いけど、作品強度としては『Mind Train』や『あんずちゃん』に軍配が上がるんじゃないか。前者は知性的というか脳的で、後者は感覚的で肉体的という意味での強度(intensity)。自分ができないがゆえなのか、アニメーションの肉体性にあこがれます。nagasena.icon
それがゆえに、未だにデジデジ界にはある種の塩っぱさが漂っているbaku89.icon
クラフトという言葉をある種の差異化として利用していることが、腹からクラフトでない証左?
宮崎駿や石岡瑛子を今更「クラフト感ありますねぇ」って言わない
日本コンペティション『春告げ魚と風来坊』(観光庁長官賞)の八代健志監督こそが「クラフト」であって、Think & Craftの具体的にどこがどういう風にクラフトなのかbaku89.icon https://tecarat.jp/wp/wp-content/uploads/2024/03/ptpt-Harutsuge_6-4-1900x761.jpg
クラフト無き制作が想像出来ない身には、「クラフトの宿ったクリエイティブ」は不思議なレトロニムに映る
ネオフィリア(新しいもの好き)ではあるが、それが故にシーン全体が健忘的で、今を相対化するための歴史を持たないがゆえに、同じところをグルグルと回り続けている
e.g. デジデジ的ルック、スペクタクルであること、フォトリアリズム的リッチさへの拘り
「自分、飽き性なんで」 → 現代人として飽き性、スキゾなのはデフォ。むしろそんな中で、何に執着しているのかがその人となりを浮き彫りにするのでは
山村さん - メディアや方法論をホッピングするのは面白いが、ある程度のレベルに到達するには、一つのことをずっと掘り続けることが一方では必要
ただし歴史を自分たちのやっていることの相対化のために用いるか、権威化や文脈形成のために援用するかには隔たりがある
NFTブーム以降のgenerative artは、比較的後者に近いと考えているbaku89.icon
NFTコレクション組織のLe Random(ル・ランダム)も、敢えて批判的に捉えればそう。Peter Baumanさんご個人はとても誠実なキュレーター、編集者であり、彼も編集したGenerative Art Timelineや寄稿記事は、コミュニティ全体の学びになっているが(baku89.iconも読んでる)、一方でこうした西洋中心の「美術史」の一部に組み込まれること、art worldにマージされることを志向されることは、ブロックチェーン技術の持つ(プロパーな意味での)コンヴィヴィアル性、反権威性からは遠ざかっているのではないか Gutai(具体芸術協会)、各方面から都合のよく援用されがち話を別のところで聞いた
e.g. 「Sol LeWittより10年も先にconceptual artをしていた」「金山明は世界最初期のMachine-Aidedなautomatism、gen artの始祖」 っていう疑問をBaumanさんにぶつけてみたけど、英語力の無さがゆえにあんまし深い対話ができませんでした…baku89.icon
アニメーションの世界は、その意味で「アート」をはなから志向していない、表現として、コミュニティとしてとても自己充足的
脱線: 「アート・アニメーション」という和製英語にまつわる問題 https://scrapbox.io/files/672c375b28d9ca56f98c5683.png
田中さん: いや、映画祭はその内側の人から見ると「オフ会」的でユルいコミュニティに思えるかもしれませんが、外側からみるとやはり権威的に映るのでは
告知
イメージフォーラムで色々やります
SESSONS
中村匠吾shogo_naka.iconからみた映画祭の感想(baku89.iconの無茶振り)
映像作家、コマ撮り業界の裏方フリーランス
書きたいこと沢山あるので、仕事が落ち着いたら是非書かせていただきたいと思ってます!(11月後半~年内には何とかしたいです、、、)とりあえず、自分が映画祭を一番楽しませてもらった自信があると言いたくなるくらい良かったです。shogo_naka.icon
(ちょっと気になってしまい、仕事に支障が出てきてしまったので少しずつラフに記述させていただきます。随時加筆修正していきたいです)
でもshogo_naka.iconの新千歳の楽しみ方少し特殊かも(もともとの「気質」(←については最下段に移しました)と相性が良いと言えそう)
正直、第11回新千歳(今回は純粋に観客としての参加)の上映作品は9割くらいピンとこなかったのですが(日本コンペと既に観たことがあった作品を除いて)、だからこそ良かったと思ってしまったりします。(逆に2019年新千歳は上映作品の9割くらいの作品を良いと感じていました。それもとても良い思い出。もちろん今回観れて良かった思ってる作品はいくつもあります)
わからないことはそれほど悪くないのでは?(それを表明するのも。作家本人に伝えるときは気をつけなきゃと思うけど)逆にだからこそ良い面があるのでは、と最近はよく思ったりします。
今後ちゃんと加筆修正したいです↓
誰かの最低は誰かの最高(選考委員の皆さんを尊敬&信用しています)
選考委員のどなたかの推しが大量に並んでる状態 (2020年プレビューメンバーを経験させていただき、推すことの大変さと意義深さを強く実感させていただきました。また、僕は誰かを推す(価値観・文脈・歴史を作っていく?)のではなく、作家、観客として参加して、この状態を眺めながら、単純に驚いたり、考えたり、話したりしたいとのだと気づかせていただいたと感じています)
あれだけ尖っているノミネート作家達が他作家の作品を「全ては」理解できないよね、という当たり前と思えるようなことを今回はより強く感じた。
それでも一緒の場所にいられるのがめちゃ良いと思ってしまいます(もちろんただの幻想かもだけど)
作家本人の話聞くとわかることがある、他の人(観客、他作家)の感想を聞くとわかることがある、(たとえほんの一部分でも)
↑「誰かに聞く」を比較的しやすい状況、コンパクトな映画祭(ひろしまと比較して)、例えば劇場前のロビー、バー、朝食会場など、自然と作家同士、作家と観客が滞留・交流しやすい状況が多くある
もちろん社交が苦手なひともいるし、言語の問題もある
お話させていただいた作家や観客の皆さん、基本的にshogo_naka.iconより色々見えててすごいと思うことの連続でした。お話しできて嬉しかったです。あとたとえ挨拶くらいでも、お会いできて嬉しかった方々も含めて、皆さまありがとうございました。
新しい作品に出会える、何回か観てわかるようになる、評価逆転する経験、背伸びしてみるのも悪くない、できればわからないものを少しでもわかるようになりたい気持ちがある
憧れの作家達と話せた、新たな出会いも沢山あった、作品を理解できていない作家とも仲良くなれた(誰とでもは難しいだろうけど、シー・チェンさんが良い人すぎた。シー・チェンさんにノミネート作の解説していただき、すごくシンプルでわかりやすい話だったんだと感じました。是非再見したい)
間違いあるかもです↓
かつて土居さん、新千歳=作家が祝福されるための場所にしたい。
↑言葉違うかも…。映画祭以外でも視聴&評価の場がある時代だからこそとおっしゃっていたような…、評価=バズ、視聴回数?
年一の作家たちのホームになれるような(帰ってこれる場所)
「合宿所」みたいにおっしゃられていたこともあるような…、それはひろしま?
自身が自分の中のルールだけで勝手に一等賞をとっているようなタイプの作家達こそ評価したい
単純な作品のクオリティ(巧拙)やバズ・視聴回数などの基準では評価が難しい作家
土居さんのミートザフィルムメーカー、活舌悪く、時間押し押しで、でも土居さん自身が作品から受けとったものを一生懸命言語化して、そこから作家へ真摯な質問を投げかけていらっしゃる姿が大好きでした。(内容ほとんど憶えてません…。最近はトークは出来るだけメモとるようにしてます。読み返すことめったにないけど…。)
いまの新千歳は当時の方向性は残しながら、また少し違った価値観を提示されようとされているのかなと思うような、思わないような、、、。
作品を観た感想
改めて、自分の好みを再認識
土居さんや田中さんは「アニメーション」には「映画」とは違う見方、魅力、可能性があるとよくおっしゃられていると思うのですが、頭では確かに、と度々反省するのだけど、やっぱり自分は「映画」を感じる作品に魅かれてしまう傾向が強い。
上記のような内容をもっと詳しくわかりやすくお話されていたICAF2024の田中さんの 学生作品を鑑賞する際のポイントの動画がとても良かった記憶なのですが、どうやらもう見れない模様… 自分もそのお話されている動画、拝見してました。映画というものが(商業的な)メインストリームから退場しつつあり、そういう時代状況から物語駆動ではなく、ある種のフォルマリズム的な広い意味でイメージそのものを重点に置くような作家(フォルマリズムネイティブ?)が増えてきたと。それはアニメーション(動く絵)そのもののプリミティブな喜びが追及されつつ、その作風やコンセプト設定、切り口に若い人たち(『学生』)がどう社会を見ているのか、時代を読み取っているのか、空気を感じているのかがダイレクトにあらわれる。その視線をたずさえて作品を観るとき、特に映画祭や学生コンペティションのように一度に多くの作品を観るときには、批評性をもって作品を鑑賞できる可能性に開かれる、という旨のことが自分にとっては印象的でした。nagasena.icon
「映画」を上位に置いているかのように聞こえかねない物言いはしないように気を付けたい、、。
shogo_naka.iconが感じる作品の良さに「映画」以外の言い方がないか、、、。
暗喩、寓意、を読み取る力(教養?)がないし、今後も自分にはちょっと無理そう。
あるテーマに対する作品の描き方から感じる重さと、作家本人が抱えている重さは比例しない場合がある
(見里さんの作品思い出す)
MV好き。
ぬQさんのトーク良かった。結局ちゃんと感想伝えられず、心残り。
映画祭の運営、上映環境に課題があると思いました。後でちゃんと書きたいです。
長年の経験(他の短編アニメの上映参加も含め)から感覚麻痺してたかもと思うこと多かった
でも、映画祭運営・スタッフの皆さんとても尊敬、感謝してます。
予算、大変そう、、、。
※現在全てにおいて、映画祭ハイみたいな状態になっている自覚があり、それが落ち着いたら同じようには思えなくなりそうな予感もありますが、あとそんなこと言うまでもないというようなことが多々ありそうですが、それでもあえて書かせていただいてるところがあります。
ヒカルの碁 - 「神の一手」に近づくために個人個人が歴史に連なっていくという世界観
↑脈絡ないかもですが、なぜか数年前から身内と度々この話になります。あくまでひとつの世界観として、良いなと
仕事がやばいのでとりあえずここまでにしたいと思います20241109
どなたか、雑文整理していただき恐縮です。感謝いたします。今後はちょっと時間かけて、加筆修正させていただきたいと思います(さすがに雑すぎるところを一旦消したりしました)20241110
shogo_naka.iconの気質(自分語りすみません、でも書いたほうがわかってくれる人にはより伝わりやすそう&最近この辺りのことを書き残しておきたい気持ちがすごく強くなっていたので…。あとめちゃくちゃ忘れっぽい&よくとんでもない勘違いします、また、この辺のこといままで他人にちゃんと話したことないです…。)
もともと短編アニメを見るの好き(1982年生まれ、2002年武蔵野美術大学映像科入学、黒坂圭太さんのアニメーション紹介の授業、ムサビのアニメ部?の学内上映会、ノルシュテイン大賞、デジスタ、タマグラアニメ博、広島、イントゥ、IFF、山村さん関連(日仏(パルンorコバリョフ?)、Animations、コンテンポラリーアニメーション入門など)、土居さん関連(吉祥寺バウスのやつ、GEORAMAなど)、メ芸、ask?映像祭、TOKYOANIMA、ANIME SAKKA ZAKKAなど)
ワンマンより対バンライブが好きというのがかなり影響してそう
スーパーデラックス、マンダラ、グッドマンなど
七尾さん目当てでライブ行くと音楽観が広がるという経験を多数させてもらってきました。
アニメーションでは特に土居さん関連上映でそれと同じような経験多数
例えば(七尾さんのライブ情報アーカイブから抜粋、なんとなく新千歳感ありませんかね…?↓)
2006.8.26(土) KDDI DESIGNING STUDIO LIVE RECOMMEND「 WHICH IS THE RIGHT BRAIN」
会場:渋谷 O-NEST 出演:OGRE YOU ASSHOLE/ゲラーズ/group _inou/七尾旅人
(※ゲラーズ=トクマルシューゴさん参加のバンド)
2007.1.13(土) EXTREME NIGHT Vol.4 青い部屋 出演/山本精一+ミトfromクラムボン+七尾旅人、Chaos Royale、Filth+Filth + 伊東篤宏(Optrum)、アウラノイザズ占い師/湯浅ちぐみ
2008.8.20 七尾旅人presents百人組手 渋谷CLUB QUATTRO
出演 レイハラカミ Oigoru(L?K?O×U-zhaan) group inou 内橋和久 川本真琴 吉田達也 島地保武 (※飛び入りアクト 鎮座DOPENESS)
それと、コロナ禍中の七尾さんのYouTube配信にimaiさんが出演された時のお話にめちゃくちゃ共感してました。
『LIFE HOUSE』vol.9 ゲスト:imaiくん、途中から↓
あのリストもう見れないんですかね、、、。
子供のころからすごい(強い)人達がいっぱい出てきたりするものが好き
ここ2年ほど「マンガアプリ」にハマってしまった
「マガポケ」「マンガワン」など
無料で新旧いろいろ読めるというのもあるけど、一話読み終えると、それに対する読者の「コメント」を読めることがハマってしまった一番の要因だと思う。(「いいね」でソートするのが常)
いろんな人の感想が知れる(まさに新千歳との共通点だなと思い)
主流の感想、独自の感想(自分の中にまったくなかった視点)、自分が気になった点がどのように見られていいるか、などが知れるのが良い。(2ちゃんねるみたいなもの?かもだけどいいねソートがあるのが大きな違いかな?)
脱線、hsgn.iconさん監督の こちらのMV tofubeats - NOBODY、ロケ地が漫画・頭文字Dの最終バトルの舞台と同じ場所とのこと、細金さん本人から教えてもらいました(←このMV大好きですとお伝えしたところ教えていただきました。最近マガポケで頭文字Dを読み終えたばかりだったのでちょっと反応できて嬉しかったです…。) ↑のMVは、いまのところ、「かなりゆったりめ?の「Star Guitar」」という理解なのですが(違ったらすみません…)、その要素がなくても(初見、その点なんとなくそうなのかな?くらいにしか気にしてなかった記憶です)めっちゃくちゃ良いと思った作品。なぜ良いのか言語化できてません…。細金さんはもしかしたら編集点が独特(めちゃくちゃ気持ちいい、高精度?)なのではという気がするのですが、僕は昔からリズム感が悪く、勘違いかも。なぜ細金作品に共通してあるトーン(作家性?)を感じるのか…、←もしも僕だけはないようでしたら、いろいろな方のお話聞いてみたいです。 なぜか細金さんが監督された実写が入ったMVにめちゃくちゃ魅かれる
↑以外にもうひとつ、複数人カメラマンで撮られたとても好きな作品(テクネ?)があった気がしたのですが…、(スパースローで)緑の養生テープが跳ねたりしてた気が…。(勘違いかも、上のやつがテクネで紹介されてたとか?)
日本橋高架下R計画からのファン。しかし僕はFlash、Staff Picks、モーショングラフィックスについてほぼ知識なく(でも細金さんのをたぶんいくつかは見ていて、めちゃすごかったような印象だけ残ってます)、なのでlookdev.iconに細金さんについての項目も是非ほしいです。既にありますか?(おばけズームDolly zoom + 伊藤高志『SPACY』のやつなども入れたいです) これですかね? 御本人に昔訊いてみたところ、特に参考にはしてなさそうでしたbaku89.icon
https://www.youtube.com/watch?v=LVYW3JQz5Rs
です!ありがとうございます。『SPACY』参考にされてないんですね!lookdev.icon書いていくの楽し過ぎてやばいので(書くのめちゃ遅いというのもあり…)、さすがにしばらく離れたいと思います!素敵?な場をありがとうございます!20241112shogo_naka.icon
細金さんテクニカルめちゃくちゃ強い印象(昔ちょっとだけお仕事ご一緒させていただいた当時から、今回も)
細金さん、大西景太さん、麦さん、僕の好きなMV作家のお三方、Webに文章書かれてるという共通点あるなと…。だからどうということではなく、あえて書くほどのことでもないかもですが…
麦さんと細金さんの、TLが眼前の現実に立ち上がったかのようなやり取り、最高でした…!