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藤幡さんはアート思考を褒めてたけど、僕はやっぱりキショいと思う
キショさに関連して
「キショい」という時点で、それが正当な異議として取り合ってもらうべきとは考えていなくて、なんかわかんないけど受け付けないんだ〜というお気持ち表明であることに開き直っている
それをキショ以外の言葉で「言語化」したところで、っていう
キショい は人や集団には向けない 概念、考え方などといった、ミームに向ける
宇野維正さんとのアレコレ
https://www.youtube.com/watch?v=6Mb-RIPpqC4
ラジごの投票回を聞いて、キショさにもキショさなりの役割があるんでないかという気がしなくもない 正のRadical flank効果というか むしろ穏当な落とし所に社会の加重平均をシフトするために、捨て駒としてキショさを引き受けるという人が居たらとしたら、とか考える
ラディカルな活動家のイメージが、穏健な活動家の印象に、いい方向にも悪い方向にも何らかの影響を与えること
ある層にとってキショい用語としてのX(リベラル、free等)があったとして、Xそのもののイメージの改善を図るよりも、相対的に香ばしくない新しいタームYをでっち上げるのが早いと思うのだが、その上でどの程度「キショいX」を当て擦って差別化を図るべきなのか
(X, Y)の例:
(フェミニズム, ウーマンリブ) -これは第二次、第三次で逆転してたり
(ecological, sustainable) - 経済活動も含めて持続可能とするための環境保護
自分は少なからず先陣を切ってキショくあってくれた層にリスペクトを感じるのかも
というか大分キショを踏み抜いてる
数年前、高校の同級生とご飯した際、コテコテにキショい話題運びになったことがあり、この人間関係丸ごと損切りして良いなと思った時に、リアルでもXでもvalkneeさんの言う「モンスター化」したことがある
その発言を落合陽一氏にQTされ、その飲みに参加していた某研究室出身の人にブロックされた
Paul Grahamが言うところの「意図的な穏健派」の存在が、言論の自由市場の調整機構というか、人力モンテカルロ法の精度を落とす方向に作用するのと同様に、「意図的な急進派」を演じるのも無為だなと流石に思うようにはなったけれど けどそれが位置取りではなく本心から出てくるモンスターである限り、それはとても大事な感情な気がする うんうん頷きながら聴いていた