2008年度まで
少し変だが、まあ普通の小~中学生だった
運動神経のなさ、後述する興味の矛先の気味悪さからよくからかわれていたが、きっかんの親が「相手がこちらを揶揄うことでしか楽しめないのだとしたら、お前は与える側でありすでに相手より上位にある」と言い放ったことが印象に残っている わりと #きっかん思想 にも きっかんの音MAD観 にも影響を与えており、音MADも「敬意を持って素材にする」というよりは「素材の方が自分よりも立場が上である」と認識している 使わせてもらう、使わなければ作れない、ということであるため
これはファンアート的な考え方とは一線を画する
メンタルが強い方ではなかったのに、コミュニケーションは小さいときから楽しんでいた
友達の家で遊んでばかりいるのに下校は一人で帰るなど、変なこだわりがあったようだ
勉強をするという意識がまるでなかったが、知的好奇心で面白いと思ったことは調べる方だった
各教科の成績にムラがあった
各学年での順位にもムラがあった
きっかんの親はいい意味で期待をしない人で、激しく怒られた記憶がほとんどない 「勉強しなくても怒らねえけど自分の選択肢を狭めているだけだからな」というスタンス
きっかんがそれを理解できたガキだったのがよかったのだろう
いっぽうで、当時からイラストやキャラクターにほとんど興味がなく、情報や構造や文字や数字に執着していた
アニメや漫画や物語に見向きもしなかった
毎週親に図書館に連れられていたが、読んでいた本は新書やブルーバックスなどだった
ゲームは数字がたくさん出てくるので好きだった
親がゲームをやる人だったため生まれた時からツインファミコンが家にあり、最初にやったゲームはスーパーマリオブラザーズだった ノートについていた科目シールを使って別の単語を作るなど、言葉遊び趣味の片鱗が見られる
きっかん集めた科目シール、漢字ばっかり見つかってひらがながないと思ったら、小学生時代の僕によってキメラが大量に生産されていました……………… https://scrapbox.io/files/67dd21b78adaff60c8a12966.png
替え歌も多く作成していた
「母音を合わせた方が(韻を踏んだ方が)上手い気がする」という感覚に自発的に気づいていたはず
また、自由帳を用いて多くのゲームを自作していた
方眼ノートを自由帳として使うことにして、6×6の表をたくさん作り、ダイス目で結果が左右される、というもの
ダイスを明確に乱数発生装置として利用していた
うち、それによって野球で遊べる「自由帳野球」が小学生時代の代表作となる。クラスメイトともそれで遊んでいた めちゃくちゃ成績が良くて僕より背が高くて近所に住んでいて距離感がバグっている女の子がいて好きになった
ある時の席替えで隣の席になり浮かれ散らかしていたが、あろうことか誰が好きなのか聞かれて詰んだ
正直に答えたら向こうも焦っていてウケた 周囲にはバレてたのに
全然好きな男子いたらしい
ハグしてきたり平手打ちしてきたり、家で遊んだときにバランスボールを投げてぶつけられた記憶がある
小学4年か5年の時に地方ローカルの『天才クイズ』に出演
同じ小学校の生徒6人でチームを組んで出場するクイズ番組
当時の林家こぶ平に会う
大舞台に対する緊張はあまりなかったが、1stラウンド(6チーム→2チーム)最後の高得点の問題を取られ2位タイになってしまい、サドンデスに負けて敗退
運動神経がなく、中学入学時は技術部(要するにパソコン部であり、オタクの入り口)に入るかどうか逡巡していた
親からの圧力などはなかったのだが、気合が足りず野球部を続行することに。
中学3年の夏、大会前最後のノックのバックホームで腕を螺旋骨折する。
腕の骨に腫瘍があったらしい。悪性だったらこの世にはいなかったのかも。
腕が折れているので受験勉強をサボりまくり、『スマブラX』の亜空の使者だけ異常に上手くなる。
志望校を落とした。
明確な『おもしろflash倉庫』世代だが、まだインターネットには執着していない頃