権利は人間ゆえ持っていて、権原は市民ゆえ持っている
人間が始めから持っている
許可なくやってよいこと
対象を人間とみなさないとき、虐殺は起こるとローティ どこから「人間」になるだろうか?
教育基本法第一条教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた(...) 子ども(それが何歳未満かは一旦脇に置き)は、人格の完成者ではない前提
生まれたときからもっているとされる right と、社会の形成者であればもっている何かは別と捉えられる
動物や植物やAIにも、(我々人間が作れば) right = 正しさはあるかもしれんですね。 条件を満たすと、自分以外の持ち物に対して請求できる資格 公的医療保険や公的年金など
個人が政府に奉仕したことの対価ではない
自分で労働を加えた誰のものでもないものは取得できる。その生産と分配は別だとノージック。権原理論。 ただし不平等な富となる時がある。相続や贈与の過度な連なりがあるとき。
子孫への相続や友人への贈与は他人への気遣い(ケア)を表現する行為なのに、元の所有者から受け継がれて、もはや誰からのケアなのかわからなくなる ここにケアに関する原理を第三の原理として付け加えたキテイ 各人のケアのニーズにしたがって、そして、各人からはケアできる能力にしたがって。
自立しているように一見映る人も、お母さんの子どもだったではないか。
多くの人が子育てや介護、あるいは後輩の面倒を見るという形で、誰かの世話をするではないか。
依存を免れている人など存在しないが、ケア提供者の気まぐれで「世話をやめる」といつ言われるかわからない状態は「支配」に等しい。
「世話をやめないよ」と約束があったとしても、「世話を打ち切られるかもしれない」という状況が支配的
「支配」まではいかなくともワンダウンで常にいるのは辛かろう 1on1によるケアの試みは、むしろ人称性に頼っている側面がある 規模の小さな企業の人事制度は、非人称にしづらい
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権利と権原を考え始めたきっかけ
@jibunhack: 「Right」は「権利」ではなく「権理」であり「通義」って話を聞いてから、ずっと頭の中でぐるぐる回り続けている。 ハトterang.icon: 人として正しい(right)こと、それはつまり権利でありみたいな感じですか? 「義」や「善(goods)」との交錯を考え出したら、僕もぐるぐるし出しました😆
そうみたいですね。つまり「個人の利益のために与えられているもの」というより「社会正義の一部として個人に与えられているもの」みたいなイメージなのかと思いました。確かにこの分岐はかなり大きいなと。
ハトterang.icon: 放っておくと戦争状態になるので的なホッブズ社会契約論前提があるのかもしれませんねえ。書いてらした「『権理』であり『通義』って話」は、どちらでお聞きになったんですか? はい、ご無沙汰しております✨リプ欄に最近お邪魔しておりませんで!覚えててくださってありがとうございますヽ( ´∇`)ノ
その後ネット記事を見て「なるほど」となったという流れでした。
戸塚ヨットスクールって最近どこかで目に入った覚えがあるけ誰だっけ?