五十狭狭の小汀
N33.8408724,E130.6859148,Z16 〒807-0056+福岡県遠賀郡水巻町伊左座
【通説比定】
島根県
【新比定地】
遠賀郡水巻町伊左座
国譲り - 編纂1300年を迎えた【古事記の神話】
『古事記』では、タケミカヅチとアメノトリフネが「伊耶佐の小浜」に降り立った、と記されています。この「伊耶佐の小浜」は、『日本書紀』では「五十狭狭の小汀」「五十田狭狭の小汀」とも表記され、~
=伊耶佐の小濱, 五十田狭の小汀,
「伊左座」は稲作文化発祥地「立屋敷遺跡」の近くだから、「五十田狭」の字の意味が合うような気がする。更に、国譲りの時に大国主の宮殿を立てたから「立屋敷」という地名もあるのかも。
通説の島根の比定地の地名は杵築、この「きつき」も水巻の近くの鞍手に「木月」がある。というより、葦原中国がどこにあるか考えれば島根はありえない。なぜ、島根に国譲りを迫り、宮崎県に降臨するか説明不可。日向も宮崎という思い込み。
この地は福永説でもイザナギのオノコロ島に当てられてる地域、やはり古代重要。ヤマトタケルの伝承もあり。ミマキイリヒコ、ミマキヒメと関係があるか。
#タケミカヅチ