葦原中国
葦原中国 - Wikipedia
豊葦原中国
(とよあしはらのなかつくに)もしくは、
中津国
(
中つ国
)とも言う。日本書紀には、
豊葦原千五百秋瑞穂国
(とよあしはらのちいおあきのみずほのくに)という記載がある。~須佐之男命の子孫または息子である
大国主神
(
オホナムチ
)が、
少名毘古那神
と協力して天下を経営し、禁厭(まじない)、医薬などの道を教え、葦原中国の国作りを完成させたといわれる。その後
天照大御神
の使者達に国土を
天孫
邇邇芸命
に譲渡することを要請され、息子の
事代主神
と
建御名方神
の了承・降伏を受け、宮殿の建築と引き換えに大国主神は
杵築
(きづき)の地に隠退、後に
出雲大社
の祭神となっている。また『日本書紀』には服従しない神々を殺戮し、最終的に事代主神と
大物主神
が帰順したとされる。
豊葦原水穂国
豊葦原中国、略して「豊国」
卑弥呼の宗女・
台与
の国も「トヨ国」「
豊
」の可能性、やはり筑豊が豊葦原中国、香春町の
中津原
?
筑前守でもあった
豊臣秀吉
は豊国大明神、
豊国
は豊葦原中国が由来