暇と退屈の倫理学
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目次
序章 「好きなこと」とは何か?
第1章 暇と退屈の原理論―ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
第2章 暇と退屈の系譜学―人間はいつから退屈しているのか?
第3章 暇と退屈の経済史―なぜ“ひまじん”が尊敬されてきたのか?
第4章 暇と退屈の疎外論―贅沢とは何か?
第5章 暇と退屈の哲学―そもそも退屈とは何か?
第6章 暇と退屈の人間学―トカゲの世界をのぞくことは可能か?
第7章 暇と退屈の倫理学―決断することは人間の証しか?
結論
付録 傷と運命―『暇と退屈の倫理学』増補新版によせて
ボリュームは多いが、読みやすく面白くて一気に読了できた
ブックカタリストでも解説されていて、そちらも聴くと理解度が深まる
https://bookcatalyst.substack.com/p/bc039#details
暇と退屈は違う p119
暇
何もすることのない、する必要のない時間
客観的な条件
退屈
何かをしたいのにできないという感情や気分
主観的な状態
暇を楽しめるのが有閑階級だった
有閑階級は、暇であることを許された人々
読んでいて思ったのは、今の自分もかなり暇を楽しめられる状態にある気がしているkidooom.icon
Scrapboxの存在と、色々な本を読んだ結果が大きい
頭をおかしくするために本を読むの成果かと
ただ、退屈に感じる瞬間はゼロではない
仕事中にそう感じることもあるし、休みの日にふとそういった感情になることもある
暇を退屈と感じずに楽しむためには努力・スキルが必要
それが教養だったりすると思われる
何が面白くて面白くないっていう受容体
この受容体は生まれ持った遺伝子的な要素だけではなく、日々生きている時に自分が構成しているもの
情動は世界に対する反応ではなく、私たちが築いた、世界に関する構築物なのである
「なぜ人生はこんなにもつまらないのですか?」
楽で安定しきっているから。それは退屈しきっている状態。
エントロピー増大に逆らうために人は努力する
均質な世界には地獄をもたらして生命を宿らす
記号的な消費は終わりが見えず、退屈が生まれてしまう。浪費の方が満足しやすい
特に、差異的消費を避ける
資本主義は消費社会の方が都合がいい
浪費して満足してしまうと、そこで人々の動きが止まってしまうから
ファイト・クラブが描く消費社会
現代のような、時間に余裕のある生活ができるようになったのはありがたいこと
暇な時間を退屈として扱うのは勿体ないし、先祖の努力をないがしろにしている感覚が生まれる
自分が欲しいものを広告に決めてもらっていいのか
僕らはそれに抵抗できないようなビジネスに時間とお金を取られていないか
忘れるな、あなたの時間、かれらの儲け
現代人は、昔の人よりも読書しやすい環境にある有り難み、現代人は先祖から見たら全員フリーライダー
p33
人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られなければならない。
我々はバラの飾り方を学ぶ必要がある
押し付けられたバラを飾っただけでよいのか?(記号的消費)
p43
ウサギ狩りにいく人はウサギが欲しい訳では無い
今からウサギ狩りに行く人に、「どうぞウサギです」と渡しても喜ばないだろう。
「何より結果が大事!」「ん?結果よりプロセスですよ」の、後者のイメージに近い
決断は奴隷になることでもある p346
決断は苦しさから逃避させてくれる。従うことは心地良いのだ。だからこう言わねばならない。人は従いたがるのだ、と。
決断ではなく中断
テロリストになることも自分を満足させる決断の一つである
本物のテロリストであるよりも、偽物のマザー・テレサであるほうが疑いなく優れている
世界を楽しむことを学び続けること
p409
しかし、世界には思考を強いる物や出来事があふれている。楽しむことを学び、思考の強制を体験することで、人はそれを受け取ることができるようになる。<人間であること>を楽しむことで、<動物になること>を待ち構えることができるようになる。これが本書『暇と退屈の倫理学』の結論だ。