せっせと構築した自分用のScrapboxは情報が欠落したWikipediaのようなものかもしれないが、構築する行為自体に価値がある
https://gyazo.com/1294ba434d7979b7eaa433ecb6acc9b8
創造の座、オムナス
kidooom.iconのScrapboxはWikipediaや書籍の引用が多いが、書いたことで覚え、Scrapboxからフラッシュバックすることもできる
車輪の再発明は、完成した車輪自体はどうでもいいかもしれないが、再発明のプロセスの方に価値を感じている
「何より結果が大事!」「ん?結果よりプロセスですよ」
Scrapboxを構築したプロセスに意味を感じる
Scrapboxにある程度ページが蓄積されていたら、何でもリンクがつくようになって記憶も強化される
自分で書いたページにリンクするからこそ効果が補強されている
他人がどう思うかは気にするな
Scrapboxの使い方に関しても、人それぞれ
優劣ではなく、ただの個性の違い
個性の掛け合わせ、ページの掛け合わせはほぼ無限であり、自然に全く同じ2つのScrapboxプロジェクトが出来上がることはない
「何のために構築してるの?馬鹿らしくない?意味なくない?」と言われても気にしない(別に言われたことないけど)
みんながバカにしているものにチャンスが埋もれているんじゃないか
自分だけが続けられる習慣は強み
/nishio/なぜ個人用Wikiを持つことは有用なのか
>「メモを取ること自体が記録を取るという意味でそれなりに有益」
>「構造化することで記憶が定着してすぐ使えるようになる」
つまり3つのレベルがある
レベル0: メモを取らない。思考を書かない。頭の中だけで考えていて時間が経つと消えてしまう。
レベル1: 思考を書き出す。書いて考える。
レベル2: 書き出したものを構造化する。
既に構築されているwikipediaを眺めるだけの状態がレベル0
自分のScrapboxに書き出して考えるとレベル1に変化する
/suto3/ScrapboxはWikipediaではない
/hitorigakusai/scrapboxは要は個人用のwikipediaか
ぐぐったら出てくるのは他人の言葉。そういう言葉に簡単にアクセスできると、自分が知った気になってしまう。scrapboxで検索したら自分の言葉で、それまでに書いたことだけがでてくる。そこは知った気になってしまっていないかについて、フィードバックが得られるのがいい。
自分が既にScrapboxに書いたかどうか、は一つの発見になる
書いた内容をすっかり忘れていたのであれば、忘れてから復習するのチャンスになる
書いてない内容であれば、未来の自分のメモのためにScrapboxにページを植える