なぜ個人用Wikiを持つことは有用なのか
本質的に重要なのは「自分用のWikiを持つこと」であって、具体的なWiki実装がhowmなのかPukiwikiなのかScrapboxなのかはそれほど重要ではなくて、ただ2017年時点で一番使いやすいWikiはScrapboxだというだけなのではないかという気がしてきた。というわけで「なぜ個人用Wikiを持つことは有用なのか」を考えていきたい
「メモを取ること自体が記録を取るという意味でそれなりに有益」
「構造化することで記憶が定着してすぐ使えるようになる」
つまり3つのレベルがある
レベル0: メモを取らない。思考を書かない。頭の中だけで考えていて時間が経つと消えてしまう。
Q: 1人slackはwikiに含まれますか?
A: 含まれません。
1人slackは「書いて考える」を実行しているだけ
その後の長期的な情報の構造化を考えていない
上記3レベルで言うならレベル1止まり
1人Wikiが必要という時は、情報の構造化に重みが置かれている レベル2の話をしている
slackとwikiの違いは、見返しと検索
Wikiのようなキーワードリンク機能が無いと情報が重複して不便
オフラインで使えた方がいい
howmを使っていた時には情報の構造化は意識してなかった
howmはなんでもgrep
僕も同じ。ただ、僕が当時今ほどに情報の構造化を意識してなかっただけであって、今使ったら構造化しまくるのではないかという可能性もある。あれはcome-fromリンクとか、色々面白い機能を持っていた。howmのcome-fromリンク 人間、まずはレベル1の「書いて考える」「思考をどんどん書き出す」からスタートして、それから「検索によって過去の思考を発掘できる」へと移行するのではないか
これは「明示的な検索」
リンクのついた文章がある程度溜まってからようやく「新しい文章を書いている時につながりのサジェストをする」というScrapboxの機能が有益になる
「自分が関与している情報の量」がある程度まで膨らまないとWikiの必要性を感じないのかもしれない 自分が書いたものの間で「予期せぬつながりの発見」を起こすようになってくると、ブログみたいなつながりを起こしにくい形で情報を保管することが嫌になってくる #予期せぬ発見 明示的保存がないのが大事説
中山 ところてん wikiは保存ボタンと、過剰な記法がネックでしたね。
綺麗に書けるから、綺麗に書かないといけない、という圧力がひどかった。
google docsやetherpadは保存と記法がないのが良かった。
Nishio Hirokazu
明示的保存とかそれに伴うページ遷移がないのは良い
中山 ところてん
情報の整理には使えるけど、思考の整理、プロセスのコンテキストの保存が出来ない
大久保 康平
これ結構本質的だと思うが、これを達成しているwikiってscrapbox以外にあるんだろうか?
レベル0: メモを取らない
レベル1: メモを取る
が、取ったメモを倉庫に入れないので無くなってしまう
レベル2: メモは倉庫に入ってて検索でヒットすれば見つかる
が、表記揺れとか検索するキーワードがわからないとかで見つけられない
レベル3: メモが今やってるメモ取りに関連して浮かび上がってくる
レベル1よりレベル2がマシ、レベル3がもっと良い