包括した情報を書けることが価値
Scrapboxに漠然と感じている価値を言語化したい
問い掛け: ちゃんとタグづけをしたEvernoteはScrapboxと同等の効果を持つか?
WikiやEvernoteがちゃんとなっている、という時の「ちゃんと」とはどういうものなのか。
たとえば、EvernoteをPDFやWebのクリッピングに使ってタグをつけていない場合は、ここでいう「ちゃんとタグ付け」には含まれないものと思う。そういう使い方でも、情報を溜めることと、検索で見つけることはできるが、「ちゃんと」が行われたときにはそれとは別の価値が得られる、それは何か。
上記塩澤先生のレポートは、「ちゃんと」によって得られる価値をEvernoteではなくScrapboxから得るようになったからEvernoteの使い方は限定的になった、というものだという理解
おそらく「ちゃんと」をやるコストが、EvernoteでやるよりScrapboxでやる方が楽なのだろう。
価値の案「包括した情報を書ける」
ユースケースの流れ
個別のページにタグfooを付ける
タグfooをクリックすると、タグfooのついているページ一覧が見える
そこにそれらのページに関する包括的な情報を書く(一段階抽象化された概念が言語化される) 書いた内容と照らし合わせて、書くべきことの抜け漏れなどに気付く
タグfooのついているページ一覧を眺めて、俯瞰した情報を書くことが大事。 検索とは違う。fooでの検索結果には、俯瞰情報を書くところがない。
視座や今後書くこととかを少しだけ書いてやることで、タグが付いたページを俯瞰して考えるフレームができる。 Scrapboxのタグfooのページには、検索結果と違って、上に空欄がある。
「これらを包括したことをここに書いていいんだよ」とアフォードしている。
それによって包括して考えるように促される。
タグfooが付いたページがある程度溜まってから、タグfooのページを見ると、空欄と「タグfooのついているページ一覧」が見える。このことによって「包括したことを書こう」という気持ちにさせる https://gyazo.com/0bdb0533d9a7f224617c0bdb2a450859
このコンセプトはKJ法の「なんとなく関係がありそうだと思ったフセンを集めよう」「次に、なぜこれらが一カ所に集められたのかを考えて、それを表札に付けよう」という流れに似ている 「タグfooをつけたページ」じゃなくて「なんとなく関連がありそうだと思ったページ」が下に並んでれば、空欄にタイトルを書く行為がKJ法の表札付けと対応する。タイトルに書いたことがタグとして各ページに追記されるとよい。 KJ法と違い、Scrapboxでは事前にタグを言語化しなければならない。
短期的には「なんとなく集めてから言語化」ができるKJ法が楽。
一方で、タグを雑につけて置くことで「今日fooって書いたこと、1か月前にfooって書いたこと、…」がまとまってくれるので、それを「なんとなく集める」の代わりに使うことはできる。集まったものを見てから、必要に応じてその一部により丁寧なタグを追加したりとかができる。
Facebookで議論(雑談)をしてから、事後的に、何についての議論だったか、まとめページにタイトルを付けるとすれば何か、を考えてこのページが作られた 「事後的に包括される」という点で似ている