ランダム性を得たい
他人以外からランダム性を摂取するとなると...
twitter断ちしようとしているけどつい癖で開いてしまう
ガチャのような感じで興味をひかれる情報が出てきたり出てこなかったりするのが面白いし、discordサーバーなどと違っておすすめタブではいろんなアカウントや発言が見られるから楽しい twitterでそういう使い方はしないので世界観はわかりませんが、SNS中毒的な中毒性がやばそうってのは外から見ててもわかる感じがしますwsta.icon
twitter断ちを今日はためしましたkana.icon
ランダム性を脳は必要としているが、自分の意志としてはそれを面倒くさがる傾向があるような気がする
たとえばnetflixで出てくる「あなたへのおすすめ」を何も考えず選択をせず問答無用で一番前から順に見ていくだけでもだいぶ(レコメンドなので好みそうなものが出てくるとはいえ)ランダム性がある けど人は「気が乗らないなあ」とスルーしがち
twitterは動作としてもハードルが低い上に自然と目に入ってくるUI、そして一個一個が短いので、適当に見ることができる
番組は長い (30分〜2時間)
もちろん、番組を5分見て面白くなかったらやめて、というのもありなのだけど、自分でクリックをして開く、という点でちょっとまだハードルがある...のかな
なぜkana.iconはnetflixでランダムに番組を見ないのだろうか
YouTubeショートやインスタなどもまさにそういう傾向が進んだ結果なのだと思いますsta.icon
同じルートだと一般的にランダム性を得るのは難しいので、たとえば行ったことのない駅などに出向く必要があって面倒くさい(=ハードルが高い)
得やすい人と得にくい人がいる
既有知識と新知識を結びつけることがトクイな人(すでにそのスキルがある人)であれば、得やすい
井戸端ではinajob.iconさんも最近上げてましたねsta.icon
ページは思い出せないが、植物や生物の名前知ってると日常の解像度が上がって楽しいみたいな話
+1kana.icon
たのしいと思う
友達にこういう人がいるのでうらやましいなと思う
二つありそうsta.icon
1 知識を持っていること
2 結びつけること
1があっても2が弱いと楽しみにくい(sta.iconはこのタイプかしら)
わたしは完全にこれですねkana.icon
staさんはそうでもない気がする
こねてあそぶのがトクイだし
近い概念を結びつけたりして造語や概念をあたらしく作っている
正解がなくて好き勝手できているところが強く見えるだけかもしれませんsta.icon
kana.iconさんでたとえると、映画の感想を無限に書いたり「あ、これ前見たあの映画のあれと似てる」みたいな結びつけをしたり、といった行為みたいなものかしら
人以上にかけてる時間があるから結びつけが進む(常人が知識の10%、僕が1%しか結び付けられないとしても、10倍知識があれば同じ水準になるし、100倍知識があれば常人の10倍結びつけるマンになる)、というのはありそうsta.icon
あーたしかにkana.icon
それでいうと私もおっしゃるとおり映画であれば多少はわかるもんなあ
1があって2がない人は、それこそただただコンテンツを消費するだけになりそう
一つのものごとから得られる楽しみの量が少ないから、楽しみを得たくて積極的な人はいろいろなことに手をつけたりやることをころころ変えたり、ひたすらコンテンツを見ては次、見ては次、としがちかも
主観的にはこれはこれで楽しい
自分のものにできているわけではないから残るものはない
その場かぎりの楽しさ
消極的な人はそれもできないから苦しんでいそう
ありそうsta.icon
僕みたいにASDみがあると同じことを延々繰り返して潰せるのでまだマシなのですが
1があまりなくても2が強い人は人生楽しそう
+1kana.icon
わりと、大学に行ったりしていないけど感心するようなことを言うような人はこれかも
恋は光の宿木さんとかもこれかしら、「聡い」感じsta.icon 学校ではバカあつかいでも社会に出たらうまくいくことが多い
erniogi.iconも2をもっているけど、その妹は1はないけど2をもっているから「仕事ができる」し、世界の解像度も高く見える
図書館で適当な本を選ぶ?
結局自分が選ぶので、やはり知っているものや読みたいと思うものを選びがちだろう
活字中毒や読書好きはこれで延々と楽しめそうsta.icon
とかくランダム性を得るのは難しい
結局のところ、友達との会話で得るのが一番ラクなようにも思える ちなみに僕は友達の会話で得る、はあまりラクではないsta.icon
スクボは良い
口頭の会話はあまり好きじゃない
リアルタイムにもたらされる非言語情報がノイジー。寂しさが紛らわされるってのはわかります(頻繁に恋しくなる)けど……
だからぼっちを謳ってる奴でも人の多い場所に出かけたりする
自分も非言語情報を演出しないといけないのがだるい(ずっと真顔でノーリアクションでいいか、とかはできないし……)
なるほど、盲点でしたkana.icon
わりと空気をすうように非言語情報を入れこんでいる
日常的な話にあまり興味がないのかもしれない
話にもよる。芸能人、政治、家事や子供はどうでもいい
しかし今年はVTuber見てゴシップもハマりまくっているし、一人暮らししてるから生活面はちょっと興味ある、「肉の冷凍保存」みたいなことにも興味が向く
嗜好は変わるということかsta.icon
+kana.icon
ここまでこねてみて、学生時代と比較して大人になると時間の流れが早かったり退屈に感じたり孤独を感じやすくなるのはやはりランダム性の多寡のちがいにある気がする
学生は何もしてなくてもランダム性を得やすいのでは
年に一回クラスがかわるので、知らない人と出会うし、友達がいなくてもラジオのように会話が耳に入ってくる
逆に大人になると意識して転職をしたり異動したり、プライベートで積極的にコミュニティにかかわったりしないと固定化しがちである
カフェに行って耳をそばだてるとかもそういう意味では悪くないかもしれない 雑多すぎるし人が多すぎて会話を聞くのもたいへんとかそういう話はある
授業は好き嫌い関係なく受けざるを得ないので、自分一人だと触れないような情報は手に入る
大人になると、独学するにしても自分の興味関心のあることしかやらないだろうし、仕事は基本的にワンパターンか、あるいは高度に専門家しているためそれ以外に関わりにくく、結局のところ最終的にはワンパターンになる。知っていることを活かして何かをやるという感じに年次があがるたびになっていきがちである
体育は嫌でもやらざるを得ないけど、運動嫌いだったら運動しない、となりがち(まあkana.iconのことですが。。)
家族と暮らす人が多いので、家族仲が悪くなければ家族内での会話がある
一人暮らしをすると会話チャンスが減る
そもそも、人生経験が比較的少ない状態なので、新しいものコトを見る機会がだまっていても多い
あると思いました!sta.icon*2
大企業病的でうざいはずの大企業にいたがる(たぶん5人に4人は不満を溜めているが実際いなくなるのは20人に1人もいない)のも、なんだかんだ人やイベントや情報が多くてランダム性があるからなんだろうなぁと最近思いますsta.icon
それなりにガバナンスも利いているし、学校みたいなところがある
高校や大学が微妙なものだと知っていて、抗える人(中退するとか)が少ないのと同じ
そう考えると、「"快適に" ランダム性を享受できる」が大事だったりするのかも
年取ってくるといろんな意味でランダム性を受けづらくなりそうですねsta.icon
感性やプライドが固まる
処理能力が低下する
世の中や社会や人間の真理、本質がわかってくる
いろんな趣味や体験をして人生全般に飽きてくる
特にsta.iconみたいな独り者ガチ勢は、他の人が仕事に必死こいたり育児や人付き合いしたりしてる間もひとりであれこれできるので体験の厚みが違う
そんななかでてっとりばやくランダム性を得られる方法が育児なのかもしれないkana.icon
幼児の予想外の発言があったり
イベントごともある
新しい知り合いも増える
幼児のために普段は一人ではやらないようなアクティビティを行う
たしかにsta.icon
ランダム性を得る手段とそこからの逃避について
いざというときに逃げられるかどうか、はよく考えるsta.icon
育児と聞いて、育児はいざというとき逃げられない(やってもいいけど犯罪になる&生物を放棄することになるので常人はメンタルも病みそう)のが怖いなと思いました
依存性との向き合い方も人それぞれありそうだなぁとも思ったsta.icon
twitter断ちでいうと、kana.iconさん含めてTwitterやSNSにハマってる人は多い 一方で僕みたいにあえて手を出さない人もいる