読書や芸術鑑賞で知識を深める事を本当に楽しんでいるのか分からなくなってきました
質問
はじめまして。
「問題解決大全」「アイデア大全」じっくり読ませていただいております。
さて本題ですが、読書や芸術鑑賞で知識を深める事を本当に楽しんでいるのか分からなくなってきました。
私は月に6〜7冊ほど(新書・専門書・小説等ジャンル問わない)読書をしたり、休日には近所の美術館(広い範囲でのミュージアム含む)に行ったりします。
そして「へえ、そうなんだ」とその場では感心したりはするのですが、そこで得た知識はメモにまとめてもすぐに忘れてしまうし、「面白かった!再読しよう(もう一回行こう)」という気持ちには滅多になりません。
逆に、隙間時間で見れるようなYoゲーム動画やまとめブログなどのインスタントなコンテンツは、メモしなくても記憶に残るし何度も見てしまいます。
かけてる時間もお金も「読書芸術鑑賞 > ゲームやブログ」なのに楽しんでる量は逆な気がするし、有意義なのかどうかも怪しい気がしてきます。
さらには、(聞かれてもいないのに)芸術鑑賞や読書をする理由を理論武装する事もあります。(芸術も読書も娯楽でただ楽しいからやっている、みたいに)
※教養を持ってる事が必ずしも偉い事だと私は考えません。
かといって義務感で読書してるわけでもなく、読書や芸術鑑賞自体が(部分的にしんどい事はあるが)ストレスになる事はありません。
客観的に見て、これはどのような状態なのでしょうか?
解答
大変言いにくいことですが、おそらく知識は深まっていないと思います。
新しい体験や知識は、既に知っていることに結びつけられないと、理解することはおろか記憶することすら難しいのです。
ゲーム動画やまとめブログが記憶に残るのは、あなたの関心と経験が編み上げてきた長期記憶ネットワークに引っかかるところが多いからでしょう。
これに対して読書や芸術鑑賞について記憶に残らないのは、あなたの長期記憶にその刺激を受け止めるものが少ないからです。
新知識と既有知識が結びつくことは、それ自体楽しい経験です。より多くの結びつきができれば、ワクワクする上に忘れにくくなります。
それだけなく、同じものを見ても、受け取るものがそれだけ多くなります。
例えば絵画についていくらか知識がある人は、同じ絵を見ても汲み取れる情報量が多く、また長期記憶にもそれら情報を結び付ける知識を多く持っています。
例えば次の絵ですが
http://art.pro.tok2.com/BibleOld/IApocrypha/03Tobias/verr.jpg
詳しくない人が見れば単なる二人連れが歩いていだけのこの絵も、持物(アトリビュート)について知識がある人が見れば、ぶら下げている魚から片方がトビトの息子トビアスであり、もう片方は天使ラファエルであることが分かります。
このことに気付かぬ人にとっては魚などたまたま持っていたに過ぎないさして重要でないものとして処理されてしまい、おそらくは何を持っていたのか記憶に残りません。
さて、持物(アトリビュート)というものを知らない人でも、「ちょっと待て、なんで魚持ってんの?」という疑問を持ち、その疑問を追いかけることができると、多分同じところに至ります。
そして自分の絵の見方ががらりと変わっていることに気付くでしょう。
こうして得られた体験と知識は多分一生モノです。