消化、消費
(コンテンツの)消費/消化のこと
同じような意味で使われがちなように体感的には思うけど、kana.icon的には違いがある
消費、というとただ使いつぶして後にのこるものがない感じ
消化、というと自分のものにしている感じ
自分でものを作らないで消費だけしている人、はとかく非難されがちだけど(非難といっても、それは消費だけすることに対してというより、創ったことがないから工数の見積が甘いことや、そこから出てくる他人の労力を軽んじる態度が主に非難されていると思いますがそれはそれとして)、「消化」しているのであれば、見る専でもそんな薄っぺらい感じは受けないのではないかと思う 絵を描いたり物語を創ったりしなくても、生活は創作だから 消費しかしない人は、あるものを消費しても特にそこから自分の考えや思想や生活がかわったりしない(リビルドされることがない)
もちろん、消費しかしない人も「ある思想に染まる」ことはあると思う
ナチスのデザインを見てカッコイイ! と思ってネオナチになるとか
消費しかしない人は、自分で考えるフェーズをはさんでいないところが違う気がする
自分で噛んで、分解して、をしていない
素直ではあるが、これは「受け売り」になりがち
受け売りが悪いわけではないが、それ以上に深まっていかないという意味で程度が低い状態である
たとえば「テレビでこう言ってたよ」というのは受け売りで、「テレビでこう言ってたけど実際どうなんだろう?と思って調べたり、「テレビでこう言ってたから実際やってみたんだけど、たしかによかったよ!」であれば、深まっている
情報量の問題
「テレビでこう言ってたよ」だとそのテレビをすでに見た人は面白くない、というか知っている情報に対してリアクションするだけになる
もちろん仲良くするために「意味のない会話」をするのは別にいいので構わないが、それはお互いが「仲良くなるために意味のない会話をしている」という認識がある場合に限るし、そのときはテレビで見た「情報」の話をするよりは知人のゴシップであるとか悩みや愚痴のほうが効果的だろう
「テレビでこう言ってたから実際やってみたんだけど、たしかによかったよ!」であればちょっと情報量が増えているので、その番組をすでに見た人もちょっと面白い
「実際やってみる人いるんだww」でも「この人がよかったというなら自分もやってみようかな」でも思うところがある
危険思想に染まりがちでもある
ナチスかっこいいとか
子供だと、まだ自分で考えるための知識量がたりなかったり、考えるという行動がまだ体得できていないのでこの状態になりがち
中学生とか
もちろん、彼らはそれをわかっていても逆張りとしてその態度を選択しているという場合もある(大人が眉をひそめるようなことを言いたい) あまり試行錯誤をする習慣がないままきた人は大人でもこの状態になりがち
極端なミソジニー発言をする人やアンチ、店員に悪い態度をする人など
実際は思考の深さと幅が少ない、ということだろう
外から見ると違いがわかりにくいsta.icon
消化している人もアウトプットはしていない
もしかしたら怪物のように消化しまくっている人も案外至るところにいるのかもしれない
そんな気がしますkana.icon
アウトプットしていないとはいってもそういう人たちはそれこそtwitterにいたり、ないしは発信などはせずリアルで自分の生活を充実させたりしているのかも
自分の意見を語れる≒消化できている、と言えるのかもしれないsta.icon
消費erは「テレビが~」「芸能人のあの人が~」と主語が自分以外の誰か何かになるイメージ