2020/11/11-2020/11/17
#採掘場
逆神義論的な
疑問形らしきもの
たまたまyoutubeで勝間和代チャンネルを見ていた。
勝間和代の、お金を貯めたい人は「ものぐさコスト」を減らしましょう
時間はお金で買ってもいいが、「めんどくさい」気持ちを避けるためにお金を使ってはいけない。
いやしかし、精神エネルギーや、アテンションや認知コストや意思の力というのも、ある程度有限なのでしてね……
「果物は、皮を剥かずに食べられるものは高い」「外食は高い」
皮を剥かない果物は高い、の因果関係とは
競争率?
痛みやすい、育てにくい、とか?
なんだか効果的だからこそ多用されるし、多用されるから陳腐にもなる
『ハイキュー!』の台詞メモ
逆・裏・対偶
日本教の神義論
ドラえもんの台詞メモ
「だめだ!! なんど計算しても時間がたりない。」
「やれば。」
「ああ!!ぼくはどうすればいいのだ」
「なやんでるひまに一つでもやりなよ。」
「このくりまんじゅう、食べるとうまいけどなくなるだろ。 食べないとなくならないけど、うまくないだろ」
「なぜだ!!なぜおかしは食べるとなくなるのだ!!」
「いたがるってことは、だいじなことなんだ。危険をしらせる信号なんだ。たとえば火の熱さにへいだったらやけどする。ひどい病気にかかってもしぬまで気がつかない。心のいたみだってそうだぞ。しかられても笑われてもへいきなら、どんな悪いことでも……。」
「競争本能?」
「他人より少しでもすぐれた者になろうという心だよ。みんなが競い合えばそれにつれて社会も発展していく。ただし、ひとつまちがえると……、自分の利益のためには 他人をおしのけてもという……、弱いものをふみつけにして強い者だけが栄える、弱肉強食の世界になる。わしの目ざした天国とはほど遠いものだ。」
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https://note.com/nokiba/n/na860b4106770
アメリカ人的な魅力をいっぱいにたたえた先生は、教えてくれた。後にこの種の「魅力」には、留学中、おおいに警戒するクセがつくことになったが
フロイトの「リビドー」とは日本では「性欲」とか「衝動」と訳されることが多いが、要するに意味がよくわからないのだ。
ネズミのレバー倒しで何もかも説明しにかかる行動科学や、不合理的信念によって「不適切」行為を説明する認知科学や、脳内の神経伝達部室の「不適切な」関係で「精神病」をとらえる認知神経科学(脳科学)では、けっきょくよく「わかられてはいない」ような気が、いまではする。
統合失調症の人と話をしていると、「性欲」はよくわからないが「力動」はとてもよくわかる。
「見えない力」とは、とても複雑な事情によって感じ取られている「プレッシャー」のようなものなのかもしれない。
たとえば「社会」には、「いい年をした女性は結婚するか、働くかして、子どもを育てるべきだ」という「考え」がある。かもしれない。
「感じられる」というのは、「考え」の発信源が、少なくとも「社会」つまり「自分の外」にあるのだが、
「自分の考え」の発信源は「自分の中」にあって、「社会の考え」の発信源は「自分の外」にあると、
そんなのは当たり前だとわたしたちは思うのだが、「自分のうち」にあるというその「発信源」が「内側だ」という確信は、どうして得られるのだろう?
https://diamond.jp/articles/-/253976?page=2
過去問に注をつけていく。もちろん学び始めは何も知らないから、問題文どころか解答例を読んでも、そこに出てくる用語すら、分からないでしょう。でも、例えば文献学者や歴史学者が解読しなきゃならないテキストに比べれば、ものの数ではない。テキストや他の資料を参照しながら、まずは不明な言葉や用語に注をつける。それから、なぜこの答えになるのか分からないところにも、解説を書き加える。当然何度も読み返しながら、です。
自分の方がよい問題を作れるレベルにまでなったら、簡単に合格できますよね。
なんでこうなるか、種明かし的なことを少し説明すると、知的営為の半分は、(複数の)テキストを読んで別のテキストを生み出すことからできているからです。そして人文系と仮に呼んでいる方法は、テキスト(書かれたもの)をどう扱うかのスキルとその成果の蓄積です。ペーパーテストも、作る人のことまで考えればよくわかりますが、その一部でしかないんです。
テキスト操作
https://togetter.com/li/1510652
「キリンも好きだけど、象の方が好きだな」「ライオンを嫌うのはよくない」テクストを読むことは特殊技能で、訓練が必要という図
人間は書いてあることを書いてあるとおりに読むようにはできていない。
1
じゃあ、キリンは嫌いってことですか?
好きな動物はなんですか?
ライオンが肉食獣だからって、嫌うのはよくないと思います
いいえ、ウサギの方がかわいいです
ボケ編
わかります。私もキリンよりもゾウが好きです
キリンが好きな人もいるんで、嫌いとか言わないでください。
キリンも好きです
じゃあゾウが好きなのは嘘だったんですね。
松本引越センターでござるな(?)
引っ越し屋さんのステマですよね?
「お醤油ある?」→醤油がほしいんやな
「ぶぶ漬けでも」→帰ってほしいんやな
「キリンさんが好きです。でも象さんのほうがもっと好きです」→キリンのマークの引っ越し屋さんより象の方を推したいんやな
書いてあるとおりに読む
https://note.com/rashita/n/n563a2b075934
新しいことにチャレンジしようとするとき、「どうせうまくいかない」と感じることがあるかもしれません。不安が強まって、心が落ち着かない感じです。
そういうときは、どういう状況ならうまくいったと言え、どういう状況ならうまくいかなかったと言えるのかをノートに書いておくと良いでしょう。
だいたいの場合、「どうせうまくいかない」と感じているときは、その対象は曖昧模糊としています。というか、曖昧模糊としているから不安なのです。
結果について思いを巡らせ、文章に書いていると、その心が少し落ち着いてきます。うまくいったと言える状況について書くと、あまりにも自分が高望みしていることに気がつくかもしれません。うまくいかなかったと言える状況について書くと、どうしたらそれを避けられるのかについての手だてを思いつくかもしれません。
これは、今から情報ベースツールを選択する若い人にこそ知っておいて欲しいものです。目先の楽しさに惑わされてはいけません。
⇒えてしてそういうアドバイスが、若い人には1番受け取られず、時代が繰り返したりするよなあ。
https://diamond.jp/articles/-/253976?display=b
あと、そもそもの話、僕は「インターネットの知の巨人」って呼称、完全な蔑称だと思っています。
⇒気を付けないと。。。
https://diamond.jp/articles/-/253977?display=b
読書猿 古典とは、単に古い書物を言うのでも時代を超えた真理を蔵している書物のことを言うのでもありません。
古典とは、歴史を経て多くの注釈書が書かれてきた書物のことです。
知の営みは、いわば生態系をなす生物のように互いに依存し合い、結び合っています。いわば「知識の森」ですね。
古典は、この「知識の森」の生態系の起源の一つです。つまり、古典が書かれた当時の時代背景を知らない人には、解説や注釈が必要だったわけですから、その古典一冊を読むより、「森の見取り図やガイドブック」を先に読めばいいんです。教科書があるほど成熟した分野なら、最新の教科書を読めばいい。
「あなたのために書かれた一冊は存在しない」ことを、まずは知ることが大事です。
でも、一冊の形では存在しなくとも、あなたの問題に答える答える書物は、いたるところに断片として散らばってる。それらを探し出し、結びつける仕事はあなたがやる必要がある。
ところで、このインタビュー2ページ分というのは、文字の量がちょうどいいな。
読書猿さんが大部を書く人だからって、一記事の長さも大きくしなきゃなんないわけではない。
https://diamond.jp/articles/-/253975?display=b
ブログを始めて、読者からの反応が返ってくるようになってから、だいぶ鍛えられましたね。アホなことを書くとボコボコにされるので、「ちょっとは調べなきゃいけないな」っていうような感じで、独学により力を入れるようになりました。
されるのか、ボコボコ。
https://fika.cinra.net/article/202010-wakabayashimasayasu
―若林さんは、やってみて楽しかったことやストレス発散になったことをメモ帳にランキングづけしているそうですね。
―「好きなこと」「やりたいこと」を書き出すようになったら、自分が好きなものに対して敏感になったということですね。
若林:そうなんです。「好きだな」と思うものを書き出して並べてみると、「年相応であるべき」とか、「これを好きと言っておけば間違いないだろう」みたいなことから自由になれたというか。例えば僕の年齢で「ゴルフが好き」と言っても誰も何も言わないと思うんですけど、夜中に一人で「3ポイントシュート」を打ってるなんて言うと「何それ」って捕まっちゃう(笑)。でも、それが本当に「好き」ならやりたいなと、メモをすることで思えたんです。
すごく興味を持って話を聞いていますよね。そんなふうに「他者」への興味が湧いてきたのは、最近のことですか?
4年前だったら出来ていないかもしれないですね。自分のことで精一杯だったし、ナルシストで自意識過剰、しかも生意気にも「生きづらい」なんて思っていたので。それこそ鏡を見て髪形を何度も直しているような感じで、自分のことばっかり見ていましたから(笑)。
いまは、車好きの人が「ここのデザインどうなってるんだろう?」っていろいろ覗き込んでいるような感じかな。フワちゃんとか、俺がいままで見たことない車の形をしてるからすげえ気になる(笑)。「このタイヤ、どうなってんの?」みたいな。
いっときは「リモートの可能性」が謳われてましたけど、「やっぱりお客さんが入ってて、近距離で絡むのがいいよね」という、逆にそっちの価値を再確認したような感じになってきていて。「新自由主義」というのは本当にしぶとくて、普通に戻っていく感じが強いですね。
―自分の欠落と向き合うことを、「あとがき」には「ボンネットを開けて欠落の構造を自分なりに理解する」と書いています。そこで「諦念と感謝」が生まれ、「外に目を向けられ他人への興味が急激に湧いてきた」とも。─般的に「諦め」とはネガティブな感覚とされていますが、諦めることで見える世界もあるのではないかと思います。
自分の状態がいいときには点数なんてつけないので、読み返してみると2点ばっかり書いてある(笑)。で、日にちがポーンと空いて、また1点、みたいな。でも、そうやって「客観的な視点」を持っておくと、メモを眺めながら、「そんなもんだな、体調もあるし」と思える。
例えば「スペック」を身につけるためには「このときに、ここにたどり着いていないと」みたいな考え方があると、いまの自分と比較したときに自己肯定できなくなってしまう。それを、僕自身もずっと繰り返してきたのですが、これからは「いま、この瞬間を楽しもう」と思うようになりました。それで夜中に一人、3ポイントシュートを打ってるのかもしれないですね(笑)。
テレビの収録一本に対する気持ちも変わりました。親父が寝たきりになったとき、最後に残ったのがテレビだったんですよ。本のページをめくると息が上がってしまう、歯磨きもできない状態になっても、テレビはスイッチを押せば見れますからね。それで笑っている親父の姿を見ていて、やっぱりテレビってすごいなあと。
―ところで最近、noteでの執筆活動を始めたのはどんな経緯だったのですか?
若林:自分は言葉を発するとき、テレビでは非常に言葉を整えて話すことがあって。頭がよくない割に言いたいことはあるので、少しでもダメージを食らわないように喋ってしまうんです。まあ、単純に叩かれることに怯えてるわけですが。
若林:芸能人や有名人がSNSで叩かれたり悩んだりしていると、よく「応援してくれるサイレントマジョリティーのことを想像しましょう」なんて言われるじゃないですか。でも、そんなの想像できないですよね、サイレントなわけだから(笑)。
―確かにそうですね。
若林:僕はライブやラジオをやっていたりするので、応援してくれる人がいることはわかっていたんですけど、noteのコメント欄を見ると、その人たちが「生活」をしているんだなということが、手に取るようにわかったんです。普段の生活をしている人が、ラジオを聴いてくれたりテレビを見てくれたりしているんだなと思うと非常に励みになります。「サイレントが可視化された」ということだと思うんですけど、本当にやってよかったなと思います。
―若林さんにとって文章を書くことは、どんな位置づけなのでしょうか。
若林:時間制限がないのが文章の世界なんですよね。バラエティーはテンポが速いし、長く話す人はやりにくい。マスに向けているものではあるので、わかりやすくなければいけないし、明快でなきゃいけない。もしかしたら「正論じゃなきゃいけない」みたいなプレッシャーも感じているのかな。
おじさんが「おじさん」であることに自信が持ちにくくなっていることが、僕は気になっているんです。むしろ、どんどん「おじさん」って言われていこうじゃないかと。それは僕らがそもそも「おじさん」だからなんですけど、若い子に人気のスニーカーを履いて、『鬼滅の刃』を読むってことは絶対やらないぞという(笑)。
―若い子に寄せていくのではなく、むしろ「おじさん」を貫き通すと。
若林:要するにカルビが食べられなくなったり、胃カメラが怖かったりした話を「正直に話していく」ということなんです。もちろん、「おじさん」がこれまで行なってきた悪しき風習もあったと思うんですよ。