道具の身体化
このページでは道具の身体化に関する考察と、認知科学での解説を紹介する。
道具の身体化
人間は、様々な道具を自由に使いこなし、今日のような文明社会を築いてきた。Gibson(1979)は、棍棒、はさみ、ナイフといった道具は、それを使わないとき、外部環境の一部であるが、「それを使うとき、いわば手の延長であり、手の付属品であって、もはや環境の一部ではない」と述べ、デカルト的「主体」「客体」の絶対的二元論があてはまらない例としている。私たちは、たくさんの道具を使って生活している。道具の中には、箸やはさみのように、初めは使うのに苦労するが、繰り返し練習することで、身体の一部のように自由に使えるようになる道具がある。
脳損傷による道具の誤った使い方
神経心理学の研究では、左脳頭頂葉付近に損傷のある患者では、誤った対象に道具を適応したいり、状況に応じた適切な道具の使い分けができなくなったりすること(歯ブラシで髪をとかすなど)が知られている。
内部モデル
運動の制御や学習に関する最近*の神経科学では、内部モデルinternal model)という概念が重要になりつつある。内部モデルとは、筋骨格系や操作対象物の入出力特性を模倣できる中枢神経機構のことである。道具をうまく使うためには、道具にある動きをさせたいときに、どのような操作をする必要があるか、道具に対してどのような操作を行えば、道具はどのように動くかということを理解する必要がある。このような道具の入力と出力の対応関係が脳内に表現されていれば、実際に道具を操作する前に、適切な操作をあらかじめ決めることができる。手や足などの筋骨格系も、脳にとっては道具と同じ操作対象物である。脳がどのような運動指令を出せば手や足はどう動くか、手や足を使ってある動きをしたいときに、どのような運動指令ほ出せばよいかがあらかじめわかっていれば、運動結果を見て修正するよりも、早く正確な運動制御ができる。
注:*2001年に出版
内部モデルの二種類
順モデル
道具や操作対象物に対してどのような操作をすれば、どのような結果が変えられるかを表現する内部モデルを順モデル(foward model)という。
順モデルの3つの利点
操作の結果を外界のフィードバックを通さずに予測できる。
道具によっては、ある操作を行ってから、その結果を知るまでに時間がかかる。人間が身体を動かす場合でも、身体がどのように動いたかを視覚で確認するには数百ミリ秒かかると言われている。ボールをなげるような素早い動作では、自分の手足がどのように動いたかを見ながら、途中で修正を行うことは不可能に近い。順モデルが予測した結果を利用すれば、時間遅れのある外界のフィードバックに頼らず、早く修正をかけることができる。
自分自身の行為が引き起こす知覚的な変化を予測できる。
はさみで紙を切るとき、使い慣れたはさみであれば、紙を見ただけで、切ったときにどれくらいの抵抗を手に受けるか予測できる。しかし、以外に紙が硬かったり柔らかかったりしたときには、予測した抵抗とは異なる抵抗を手に受ける。もっと力を入れるべきか抜くべきか、ほんの少し切っただけで判断できる。
実際に操作しなくても結果が予測できるので、イメージトレーニングやメンタルトレーニングが可能になる。
逆モデル
ある動作を行いたいときに、道具や対象物に対してどのような操作を行えばよいかを表現する内部モデルを逆モデル(inverse model)という。
自動車をある程度加速したいと思ったときに、アクセルペダルをどれくらいの力で踏めばよいか。加速度からペダルを踏む力への対応関係が分かっていれば、必要十分な力で制御できる。自動車はアクセルを踏むことで加速するというのが、物理的な因果関係(入力-出力関係)であるが、自動車の加速システムに対応する逆モデルは、この因果関係を逆転して表現している。正確な逆モデルが存在すれば、はじめから正解を知って試験に望むようなものである。予期しない出来事が生じない限り、結果を見ながら修正する必要はない。
時間遅れのある外界のフィードバックに頼らず、速く正確なフィードフォホード制御ができる。
逆モデルの学習はフィードバック誤差学習スキーマ(feedback error-learning schema)モデルが提唱されている。
(Kawato and Gomi, 1992)
また内部モデルは小脳に存在している可能性が高いと言われている。
出典
論文
Gibson(1979) , 生態学的視覚論, サイエンス社, 1985
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道具の使用に応じて、脳のはたらき自体も変化する。入来らの実験はこれをみごとな形で示している( 86)。この実験では、サルに熊手のような道具を使用してエサを取らせる訓練を行う。すると、熊手を持っている時には、熊手の届く範囲(ただし熊手がなければ届かない)に何かの刺激があると、頭頂葉のある領域が賦活した。
こうした反応は道具が使用できるようになった時だけに見られる。つまり道具によって拡張された身体を反映するように、脳のはたらきも変わるのである。世界が認知のリソースとなるのは、身体や各種の道具を用いて世界にはたらきかけるからなのだと言えよう。
論文
入来篤史(2000). ニホンザル道具使用の脳内機構──シンボル操作の起源に挑む
出典