社会移動
social mobility
転職ができ、また転職して給与が下がらないなら、エリートである
定義
ある社会的地位から他の社会的地位へ変化すること
出典 百科事典マイペディア
序列と階級
社会移動とは,個人の社会的地位の移動をいう。社会的地位には,何らかの基準によって序列づけられた人々のなかでの個人の位置を示すものであれば,すべてのものが含まれる。たとえば,職業,学歴,所得,資産,勢力,威信,人気,家柄等々において,高低,大小,多寡などの基準によって人々が序列づけられるならば,それらは個人の社会的地位を構成する要素である。このようにして序列づけられた人々の総体を,階層構造と呼ぶことができよう。
出典 世界大百科事典 第2版
社会的地位の序列を移動には、水平移動と垂直移動がある。
水平移動
同一水準にある社会的位置の移動
職業の世襲(農家、医師など)
垂直移動
人の地位の移動
社会的地位の序列を移動する時間的な見方には世代間移動と世代内移動がある。
世代間移動
親の地位から本人の現在の地位への移動
世代内移動
本人の最初に就いた地位から現在の地位への移動
法による社会移動、または序列の廃止
アメリカ
独立宣言 君主制の廃止
合衆国憲法 貴族を廃止
憲法修正第13条 米国における公共奴隷の廃止
憲法修正第14条 米国におけるアフリカ系アメリカ人に市民権付与
憲法修正第15条 人種や奴隷歴を理由とした参政権の公的排除を廃止
憲法修正第19条 米国における女性参政権の明記
1964年の公民権法 米国における公共空間での人種隔離を廃止と、投票権の拡大
社会移動のない社会
前近代社会では社会移動が乏しかった。
身分制度
カースト制度
社会移動が固定化されると、不満が起きる
参考
社会階層と社会移動全国調査
「現代日本における世代間移動と世代内移動:1995-2005」
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社会移動と誠実、策略
組織の成員にとって社会移動が魅力になる場合、策略が手段になる。
観察ポイント
社会的階級や序列を重視している
肩書きや立場を重要視する
誠実率直な発現が憚れる
率直な発現よりも、序列の尊重を求められる
パブリックな場では、人によって評価の分かれる表現を避ける
パブリックな場よりプライベートな環境での発言量が多い
slackでgeneralよりDMでの発言が多い
情報を分断させたがる
情報の公開範囲や流通経路を制御したがる
slackのチャンネルが多い
メーリングリストの数が多い
人によって発言内容を変える
発言の一貫性が乏しい
階級マインドvs役割マインドvs先端支援マインド(パワートゥーザエッジ)
事実と手続き文化vs生成的適応文化
p218.3
十六世紀以前には、不誠実さは欠点でもなければ美徳でもなかった、とトリリングは語っている。「アキレスや、ベオウルフの誠実さについて論じることはできない。彼らは誠実でも不誠実でもないのだ」。それは無意味なことであった。しかし十六世紀の間に、誠実さは賞賛されるようになった。なぜだろうか? 答えは社会経済にある。この時代には、イギリスやフランスで社会移動が増大し、より多くの人々が、自分の持って生まれた階級を変更することは可能であること、あるいは想像しうることだと気付いた。策略が階級上昇のための重要な道具と化した。感情とは裏腹のことを公言する演技の技術が、新しい好機をつかむための有用な道具となった。社会移動が都市生活の現実となるにつれて、策略も、策略は道具であるという人々の理解も、同じように普及した。
p219.1★ +70
こうして、誠実さとは多様な観衆の前で演技する能力が遮断されていること、あるいは演技するために必要な精神的冷静さが欠如していることだとみなされるようになった。誠実で「正直な魂」は「単純な人、世慣れていない人、少し愚かな人」のことを示すものと化したのである。表層演技はますます有用な道具として理解されていき、誠実さは「愚かなもの」だと考えられるようになった。社会移動が都市生活の実態となるにつれて、策略の手口も当たり前となり、美徳としての誠実さへの関心も下降していった*2。現代の観衆は、十九世紀の観衆と比較すると、文学的なテーマとしての不誠実さには退屈してしまった。このような不誠実さは一般化しすぎ、あまりにも意外ではなくなってしまった。「偽善的な悪漢や自覚的な詐欺師は周辺的な存在となり、道徳的生活に関する現代的な空想にとっては、なじみのないものとさえなったのである。人が、お人好しの他者を欺くために偽りの自分を提示しようとする、というシチュエーションは、私たちの関心を引くことも、真実味を得ることもできない。私たちが最も良く理解し、最も積極的に注意を向ける欺きとは、自分自身に対して行われる欺きなのである」。関心は内面へと移動している。今、私たちを魅了しているのは、いかに私たちが自分をだますのか、ということである。
出典
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