問題
たとえ
テトリスで表現すると、どんな状態?
問題の把握
問題の存在
問題の大きさ
問題の賞味期限
解く価値x期間
問題の問題
たとえばスクラムの障害リストなど…
その組織で文章で明らかにしてもよいと合意されたものばかりになる。本当の障害はとてもかけないもの、書こうとするとためらう。
問題が有ることは、悪いことか、よいことか
問題があることはいいこと
問題があることは悪いことだと考えがちだが、問題が明らかになることは素晴らしい。
・理想と現状にギャップがあることに気づいた
・解決によって良い状態になる
・目標が高い
まずは問題を見つけよう
問題の出現
不安定で分布が広がっている
https://gyazo.com/30d301393cb6e77c7eb1d7c06928f129
診断問題(diagnostic problems)
問題の原因の確定を学習者に求める問題である。典型例は、医学における患者の診断である。この問題に取り組む学習者は、病態生理学的な説明を作り上げる必要がある。
デザイン問題(disign problems)
一般的に、機能仕様に基づいて人工物(アーティファクト)を作るという問題である。
方略的パフォーマンス問題(strategic performance problems)
"状況的なアウェアネスを維持しながらリアルタイムの複雑なパフォーマンスを行う際の方略に適合するように、戦略を応用すること"を学習者に求める問題である。問題例は、投資ポートフォリオを運用することや、インタラクティブなコンピュータゲームをすることである。
意思決定問題(decision-making problems)
競合する数多くの選択肢から1つを選んだり決めたりする問題である。この種類の問題がよく使われるのは、経営管理、リーダーシップ教育、リスクの高い状況下で重大な決定をすることが認められる救急医療のシナリオである。
これらの問題の間には重要な違いがあるが、PBLの活動を設計して成功に導くための鍵となる共通の特徴がある。たとえば、問題とは一般に、良定義(well-structured)問題と不良定義(ill-structured)問題に分類される(Newill & Simin, 1972)。しかしながら、問題の構造化の度合いは連続的である。
アルゴリズムの問題のように非常によく構造化された良定義問題から、デザイン問題やジレンマ問題のようにほとんど構造化されていない不良定義問題まで、さまざまである(Jonassen, 2000)
良定義問題とは、目標、問題空間、問題解決への道筋、問題解決に必要な情報がわかりやすく明確に設定されている問題である。不良定義問題とは、それらがわかりやすく明確には設定されていない問題である。
問題は、その複雑さの観点からも特徴づけられる。複雑さというのは、問題を解決するために必要となる知識の広さ、関連する概念を理解したり応用したりすることの困難さのレベル、問題を探求するために必要となるスキルや知識のレベル、問題空間における変数間の関係性の中に見いだされる線形性の度合いを意味する(Jonassen & Hung, 2008)。
古典的には、不良定義問題というのは多次元であり、問題の直接的な解決策をもしくは簡単な解決策を提供しない。しかしながら、構造化された推論プロセスを行うことで、学生は、問題の複雑さを理解したり、適切な推論プロセスや学習内容に関する適切な談話を応用したりすることができるようになる。
出典
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直線的問題
循環的問題
過去得られたことがない、得たい状態に向けて進むプラスを起点とするP-DEタイプ
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問題とは、望まれた事柄と認識された事柄の間の相違である
問題と感受性
table:ライト、ついてますか
認識 欲求
この椅子は擦り切れてきた まっさらな椅子
子供たちがうるさすぎる 静かな子供たち
足が痛い 履き心地のよいモカシン靴
家の中が寒すぎる もっと暖かい家
家の中が暑すぎる もっと涼しい家
最初の三つは「問題を無視する」という昔ながらの、しかし効果的な方法を使えば多分解けるだろう。この方法は、要するにわれわれの感受性を低める、という以外の何物でもない。感受性をどこかまで下げれば、われわれはもはやものごとの現状と、われわれがそうであってほしいと思うところとの差を認識しなくなる。その上、家の中が寒いという問題も、温度調節器の目盛を上げるか、または近頃の「エネルギー危機に」に敬意を表してセーターを着込むかすれば、片づく見込みが大きい。
だが、いま温度調節器を見たら室温は25℃という、「正常」な人なら誰でも十分に暖かいはずの温度になっていた、としてみよう。それでもまだ問題だろうか? そのとおり。認識された温度が望まれた温度と等しくない限りは問題は存在するのだ。「客観的」な温度を知ることは何の役にも立たないーー実は自分は結局のところ十分温かかったのだ、と読者が自分を納得させないかぎりは……。その場合、暖かさの問題は幻の問題、つまり主として認識に起因する不快感だった、ということになる。
だが誤解しないでほしい。
幻の問題は本物の問題
なのだから。