効果的な質問
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型を教える
仕事の成果を左右する既にある因果関係を元に提供する
型を明らかにする過程で学ばせる
仕事の成果を左右する因果関係を作ることを通して学ぶ
二つの質問
ボールの動きを捉えるスポーツの練習をしているとしましょう。
この二つの質問はどのような違いを生むでしょうか。
「ボールを見ていますか?」
「ボールはどちらの方向に回転していますか?」
「ボールを見ていますか?」という質問
コーチが選手に「ボールを見ていますか」と聞くのは自然に思います。では反対に、選手がコーチに「ボールを見ていますか」と聞くとどのようにきこえるでしょう。プレイヤーの言葉にコーチは失礼さを感じるかもしれません。
相手の尊重を損う
「ボールの動きを捉えるスポーツの練習」ですからボールに視線を向けています。そこに「見ていますか?」と聞かれては、相手を「ボールを見ていない人」「見ていても気づかない人」「ボールの目利きができない人」のように捉えかねない表現になってしまいます。そのように解釈してしまうとプレイヤーは学ぶことよりも自己防衛的になってしまいます。
礼儀と学びを混同しかねない危うさがあるとプレイヤーはコーチに気遣いといった配慮をしなければなりません。防衛的反応を促す上下関係は、効果的な学習の障害になります。
情報量が少ない
また情報量も少ないです。「ボールの動きを捉えるスポーツの練習」で「ボールを見ていますか」と聞かれても、ボールをより的確に捉えるために役に立つ情報はありません。
対話の発展性が乏しい
コーチは選手に質問してもよいが、その問いを選手がコーチにしてはならない。すると選手はコーチから適切なフィードバックを得る共通言語をもてないことになります。「ボールを見ていますか」という言葉からは、選手はコーチからどのような問いかけを用いてアドバイスをもらえばいいのか分からず、対話の発展性が乏しいのです。
ボールはどちらの方向に回転していますか?という説明を求める質問
一方で「ボールはどちらの方向に回転していますか?」という質問を考えてみましょう。
コーチ「ボールはどちらの方向に回転していますか?」
選手「左に回転したように見えました。コーチはどちらに見えましたか?」
コーチ「私も左に回転していたように見えました。どのくらい回転していたように見えましたか? 1から10でいうと?」
選手「8くらいです」
コーチ「なるほど。ではその回転がボールの軌道にどのような影響を与えましたか?」
選手「そうですね。特にボールがバウンドしたときに軌道が大きく変わり、ステップを修正しなければなりませんでした」
実際に起きたことは何だったのかを観察し、相手にも観察したことを確認する相互的な観察です。礼儀を気にすることなく何が起きたのかにフォーカスしています。
また「回転」「回転の度合い」「ボールの軌道」といったある特徴を示す言葉が出てきました。これらは様々な効果があります。回転がその度合いによってボールにどのような軌道を与えるかという、そのスポーツの要素の因果関係を学ぶことになります。
また言葉の使い方を選手自身が学ぶことで、コーチや周りのチームと特定の要素について対話することができます。共通言語です。さらに本人が学ぶために有用なフィードバックを自ら工夫できるようになります。「回転」といったキーとなる言葉を知り、それを練習の中で意図的に用いる状態を自覚性といいます。さらに効果的に学ぶために意識的に工夫している状態を随意性といいます。自覚性と随意性を認識したとき、人の学習曲線は急なカーブを描くようになります。
観察可能性の高い説明を求める質問
この質問の特徴は観察できることです。第三者にも説明を求めることができます。
「ボールを見ていますか?」は問われた本人にしか答えられません。
「ボールはどちらの方向に回転していますか?」は場にいた全員が答えられるものです。
観察可能性の高い質問の特徴
相手との関係に不穏な影響を与えることがない(防衛的反応ではなく、開示的反応を引き出す)
役立つ情報である
因果的説明
対話の発展性が高い
自覚性と随意性を促す
自己批判を抑制する(現地現物に関心を向ける)
話し手の状況に対する理解の正確さを聞き手が評価できる
分析を抑制する
観察と分析を分けよ。分析は事実の解釈であり、観察の質に左右される。観察が不十分なまま分析すると、想像の割合が増え、間違った推論を導く。
観察を容易にする工夫ができる(人間の五感をブーストするのと同等な方法を行う)
ボールにしるしを加えて、回転を見やすくする
ビデオで撮影して、自身を含めて確認する
すぐにみれるようにiPadで
より詳細に観れるようにハイスピード対応カメラで
経緯、なぜここにきたのか
境界制御の構造体を導き出す
「ボール」「ボールの回転」「軌道」
仮説.境界制御の構造体と、優れたゴールデンマンダラは似た構造になるか
優れた観察対象はパタンである
参考 パタンは価値感を提案する(意識を目覚めさせる)
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参考
第5章 効果的な質問
「ボールを見ていますか?」これに対してどう答えるだろうか? 多分、自分を守ろうとして弁解するだろう。そして、おそらく嘘をつくだろう。学校で先生にちゃんと聞いているかと聞かれたときのように。
「なぜボールを見ていないのですか?」さらに自己防衛する。あるいは、人によっては少し分析しようとする。「見ていますよ」「分かりません」「グリップのことを考えていたからです」、あるいはもっと正直に「あなたのせいで気が散って、ナーバスになるんです」
以上はあまり効果的な質問ではないが、次のように言った場合の効果はどうだろう。
「ボールが飛んでくるとき、どちらのほうに回転していますか?」
「次のボールはネットのどれくらい上を越えるでしょうか?」
「次のボールは、バウンドした後、回転が速くなるでしょうか、遅くなるでしょうか? いつも同じでしょうか?」
「ボールの回転方向が分かるのは、ボールが相手からどれくらい離れたときですか?」
こういう種類の質問をすると、プレーヤーはいやおうなしにボールに注視するようになる。そうしなければ質問に答えることができない。
質問が求めている正確な答えを出すには、プレーヤーは普通よりも高い次元にまで集中を高めて、普通より質の高いインプットを得なければならなくなる。
説明が求められているのであり、良し悪しを判定せよと言われているのではない。したがって、プレーヤーが自己批判に陥ったり、自尊心に打撃を受けたりする恐れはない。
コーチにフィードバックが返されるという利点がある。そのため、コーチはプレーヤーの答えの正確さ、さらには集中の質も確かめることができる。
説明的な答えを求める、「答えが限定されていない」質問は意識を目覚めさせるが、「答えが限定されている」質問は断定的すぎて正確さに欠ける。「イエス」か「ノー」で答えると、それ以上深く探求しようとする道が閉ざされてしまう。コーチングのプロセスにおいて「意識」と「責任感」を目覚めさせるには、答えが限定されていない質問のほうがはるかに効果的である。
「意識」と「責任感」を喚起するのにもっとも効果がある質問は、数字で表現させたり、事実を求める言葉、つまり「何が」「いつ」「だれが」「どれくらい」「いくつ」などの疑問視を使うものである。「なぜ」には批判的な含みがあり、相手が自己防衛的になることが多いので、避けたほうがいい。
また、「なぜ」と「どういう風に」は、それだけで使うと分析的に考えてしまう原因になり、非生産的になることがある。分析すること(思考)と意識すること(観察)は、異なる知的活動なので、両方を同時に用いて十分な効果を得ることは実質的に不可能なのだ。事実を正確に報告することを求める場合には、それらの意味を分析させることは一時的に停止したほうがいい。どうしてもそういう質問をする必要があれば、「なぜ」の代わりに「……の理由はなんでしたか?」に、「どういう風に」の代わりに「どんな段階を経て……?」という表現にすると、より具体的で事実に即した答えを引き出せる。
出典