分業と協業
自分の仕事が顧客にどのように役立っているのか分からない。
自分の仕事と結果のトレーサビリティはないも当然。このExcelの表はいったい誰にどう役立っているのか?
私は会社にどのように貢献しているのか?
となりの同僚は会社にどのように貢献しているのか?
貢献が分からないのに、どうやって私は同僚を、同僚は私を助けようというのか。
製品を作ってから顧客に使ってもらうまでに存在する様々な仕事のうち、自分はごく一部しか請け負っていない。スキルも知識も一部分しか担っていない。自分の仕事以外のことに関心がある領域はごく僅かである。それでも成立するのが分業である。
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分業は全体性を損なわせる
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だからとても小さな製造業者を例にとろう。でも例にとる製造業者は、分業が非常にしばしば認識されてきた業者、ピン製造業者だ。この業界(分業のおかげで確固たる産業となっている)に馴染みのない作業員や、そこで使われている機械(その発明にもたぶん分業が貢献したことだろう)の使い方に馴染みのない作業員は、最高の生産性を発揮したとしても、一日にほとんどピン一本すら作れないだろうし、どうがんばっても20本は絶対に無理だ。でもこの産業がいま実行されているやりかただと、この仕事全体が一つの業種であるばかりか、それがたくさんの作業に枝分かれしていて、その大きな枝もまた、一つの別個の業種になっている。一人が針金を引き出して、別の人がそれをまっすぎにして、三人目がそれを切り、四人目が先をとがらせ、五人目がてっぺんを研磨して針の頭がつくようにする。その頭を作るには、ちがった操作が三種類必要だ。その頭をつけるのも、独自の作業だし、ピンを磨くのも別の作業だ。そしてそれを紙に挿すことでさえ、別個の仕事となっている。というわけで、ピンを作るという大事な仕事は、こんなふうにおよそ18個の別個の作業に分けられ、一部の製造工場ではそのそれぞれを別の人が行っている。中には同じ人がそのうち二つか3つをやることもあるけれど。この種の工場で小さめのやつを見たことがあるけれど、そこで働いているのはたった10人で、だからそのうち何人かは二つか三つの別個の作業を担当していた。でも、かれらはとても貧しかったけれど、そして必要な機械に無差別に習熟していたけれど、かれらは頑張れば一日12ポンドくらいのピンを作れる。一ポンドには中くらいの大きさのピンが、4000本以上含まれる。つまりこの10人は、一日4万8千本以上のピンを毎日作ることができるわけだ。でもかれら全員が個別に独立して働いて、だれもこの商売でことさら訓練を受けていなければ、だれ一人として一日20本以上は作れないだろうし、一本も作れない人もいるだろう。これはまちがいなく、各種の作業の適切な分業と組み合わせの結果として達成できているもののの240分の1や、4800分の1ですらない。
分業の結果として、同じ数の人々がこなせるようになる仕事量が大幅に増えたのは、三種類のちがった条件が効いている。まずは、個別の作業者それぞれにおける技能の増大、第二にある種の仕事から別の種類の仕事に移る時に通常無駄になる時間の節約、そして最後に、労働を支援して補い、一人が多人数の仕事をこなせるようにする、いろんな機械の発明だ。
まず、作業者の技能増大はまちがいなく、その人物のこなせる仕事量を増大させる。そして分業は、各人の仕事をたった一つの単純な作業に還元してしまい、その作業だけが人生で唯一の仕事にするので、その作業者の能力をまちがいなく大幅に高める。普通の鍛冶屋で、金槌の扱いには慣れていても釘を作ったことのない者がいるとする。それが何かの拍子に釘を作ることになったら、一日200か300本以上の釘は作れないだろうし、できた釘も劣悪なものとなるのは確実だろう。釘を作るのは慣れているけれど、でも唯一の仕事、あるいは主要な仕事が釘を作ることではない鍛冶屋なら、思いっきり専念したところで一日800本から1,000本しか作れないだろう。でも私は、釘を作る以外に何の仕事をしたこともない20歳以下の若者たちで、一日2,000から3,000本を上回る釘を作れる連中を知っている。とはいえ釘を作るというのは、そうそう単純な作業ってわけじゃない。同じ人物がふいごを吹いて、必要に応じて火を掻いたり焚きつけたりして、鉄を熱し、釘のあらゆる部分を作る。釘の頭を作るときにも、道具を換える必要がある。ピンや金属ボタンの製造がさらに分割される各種の作業は、それぞれずっと簡単なもので、一生涯それをやることだけに専念してきた人々の技能は、ずっと高いことが多い。こうした製造業の作業の一部が実施される速度ときたら、見たことのない人なら人間の手には習得不可能だとしか思えないレベルに達している。
第二に、ある作業から別の作業に切り替えるときに通常失われる時間をなくすことで得られるメリットは、一見して想像するよりもずっと大きい。ある作業から、場所もちがうし道具もぜんぜんちがうような別の作業にすばやく切り替えるのは不可能だ。田舎の織物師で小さな畑を耕している人物は、織機から畑に移動し、畑から織機に戻るのに、かなりの時間を無駄にしなければならない。その二種類の仕事が同じ屋根の下で実行できるなら、もちろん時間のロスはずっと少ないだろう。その場合ですら、ロスはかなりのものになる。一つの仕事から別の仕事に切り替えるとき、人は普通は手を休める。新しい作業についても、すぐには集中できないし専念もできない。いわば身が入らなくて、しばらくはきちんと仕事をするようりもあれこれ雑事をやる。手を休める習慣と、気乗りしない中途半端な作業の習慣は、生涯のほぼ毎日にわたり、作業や道具を30分ごとに換えて、20通りもの作業をこなさなくてはならない田舎の労働者すべてが自然に、というか必然的に身につける作業態度であり、おかげでそういう人はほぼ間違いなく怠惰で怠け者で、とても緊急性の高いときにすら、精力的に身を入れてはたらくことができなくなっている。だからその人の技能という点でのハンデとはまったく関係なく、この一転だけでもその人がこなせる作業量は確実に大きく下がってしまう。
最後の第三番目に、適切な機械を使えばどれほど労働の手助けとなって手間が省けるかは、だれでも知っているだろう。だからここでは、労働を助けて手間を省く各種の機械は、もともと分業のおかげで生まれたようだ、と指摘するにとどめる。どんな目的の場合でも、人はあれこれ様々なことに関心が分散しているときよりも、その一つのことにだけ専念しているほうが、それを達成するためのもっと簡単で優れた手段を発見しがちだ。でも分業の結果として、それぞれの人の関心はすべて、何か一つのとても単純な目的に集中することとなる。だから、それぞれの労働分野に雇用されている誰かしらが、やがてその仕事をこなすもっと簡単で優れた手段を、その作業の正確として改善が可能なところでは見つけることが当然期待できる。労働がきわめて細分化されている製造業で使われている機械の相当部分は、もともとふつうの労働者の発明で、かれらはみんなごく単純な作業に雇われていたために、自然にその作業をこなすもっと簡単で優れた方法に頭が向いたのだった。こうした製造所をたくさん訪ねた人であれば、とてもきれいな機械をしょっちゅう見せられるだろう。そういう機械は、そうした作業員が自分の個別の作業部分を補助し高速化するために発明したものだったりする。最初の蒸気機関では、ピストンの上下に応じてボイラーとシリンダーとの間の管路を開けたり閉めたりするために、少年がずっと貼り付けられていた。こうした少年の一人は、仲間と遊ぶのが大好きだったので、機械の別の部分と、管路を開くバルブのハンドルとをひもで結ぶことで、バルブはこちらの手を借りなくても勝手に開いては閉じて、自分は遊び仲間のところに好き勝手に出かけられることに気がついた。この機械の発明以来最大の改良は、こういうふうにして、自分の手間を惜しんだ少年によって発見されたのだった。
©1999-2019 山形浩生
分業のデメリット
分業が進む。すると人は一本の釘の全体を作れなくなってしまい、釘の頭や先の一部分しか作れなくなる。製品の全体性に関わる質を分業は奪う。
分割されたのは労働ではなく人間だった。生命の小破片と屑片とに粉砕されたのだ。だから、人間のうちに残された知性の小片のすべてをもってしても、一本のピン、一本の釘の頭をつくることで消耗してしまう。
統合のデメリット