企み人
たくらみんちゅ
この実験には作品そのもの、アニメという表現そのものについてのビジョンは無い
https://scrapbox.io/files/676616e0ef04e9f4767ee164.png
「どう企むか、仕掛けるか、そして世の中をざわつかせるか」が先行している
具体的に: 企画、製作、資金調達、販路、販促、流通
アニメの内容全体が、Chocolateという会社のサクセスストーリーにおけるマクガフィン
配信文化 ×マキシマリズム的デザイン×セルフオリエンタリズム → ブチあげ
けど、こうした実験をしたいと考えている人からすると、一次創作者、つまり製作ではなく制作を担っている人が「クリエイター」としてやや既得権益を持っていて、その頑迷さが作品の作られ方を硬直化させているようにも映るんだと思う。現場主義が招くある種の排他性
人によって見立ては色々
kazuyasano0306さんやQantaさんも、手を動かす人間がタレントとして称揚されることにほんのりと反感を抱いている側だと思っている だが、baku89.iconは、少なくとも近辺に限っては「作品の質感そのもの」が語られていない場面が多いと思っている。作品を取り巻く仕組みや環境をハックすること、うまく立ち回ること、場をつくること、エヴァンジェリストになること、プラットフォーマーになることといった、メタゲームに興じることのほうが重要で、「結果、何をつくるのか」は二の次
どういうドメイン?: テクノロジーアート、広告、Luup、選挙
経済的に報われていないだけで、Glispのようなものをやっているbaku89.iconも、ある意味でメタゲーマーしぐさではある 作品をつくること、手を動かすことが、少なくとも経済的には悪手。その人によって成し得るものは、能力に対し対数的にしかスケールしない。手を動かすひとを動かす能力は、指数関数的にスケールする
例外がプログラマー。一騎千当は珍しくないし、だからこそスーパーハッカーとして手を動かし続けることにメリットがあるんだと思う
やっぱり作品そのものの話をしたいなぁって思う