kazuyasano0306
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さのかずや
わかりみの一覧baku89.icon
/lookdev、あるいは大学の講義やウェビナー資料を必ずwebに放出するのはそうした気持ちがある 美大こそ最大のペイウォール(Kota Iguchiさん)
その答えが Coloso. にあるのかはさておき
単著を読んだことで印象が変わった
近い種類のルサンチマンを持っているが、その発露の仕方が違う
ただその結果放たれるある種の香ばしさに関して共通点を感じる 「力んでしまう」への不安
脱力したり平熱でいられないことを、カルチャー的によりイケてる人に腐されそう(実際はどうでも良いと思われてる)、なら先回りして嫌いになってやろう、という魂胆がbaku89.iconにはうっすらある
「映像作家」と肩書を狭めることの覚悟について
「本当に意識高い人はイシューが具体的」
何にでもなれる可能性をとどめ置く為に、自分の活動領域をボカすよりも、今この瞬間興味を持っていることに自分の印象が狭まっても良い
映像しか作ってないんだ〜と思われることに抵抗がない
なぜなら作品を観てもらえばそうじゃないことはわかってもらえるから
肩書に願望やステートメントとしての機能を込めるか、現状の自分の活動領域を過不足なく説明するものにするか
後者で良いのは
一芸に秀でてない人の最後の砦としての「多岐にわたる活動」
(baku89.iconのプロフィールも若干その気配がある)
自分が信頼している人は、「デザイナー」ではなく「グラフィックデザイナー」と明記しがち
Tezzo Suzukiさんとか
ある年齢のうちに、何かを為すことへのオブセッション
出産、病気、介護、あるいは転職、当たり前のようにキャリアが中断することはあり得る
その人にとって本当に重要な仕事や制作というのは片手で数えるほどしかない
baku89.iconにとってのEYEとFlyのような作品を、一生に一つも作れない人が大半(ウエメセ)
と思うと、あまり焦らなくても良いなと思えるようになった
「誰かよりも先に」の時点で辛くなる
自分が思いついてやらなかったら、誰も特には手をつけてなかったような辺境をちちくり倒すのは、時間に追われない
Glispはそういうところがある。エンドユーザーにとってのプログラム可能性、オブジェクト指向性は、4年経っても誰も掘ってない 「で、結局何がしたいの」
その背後にある抽象的なモチベーションに共感する気持ちと、で、結局何をしたいのか? が読み取れない感じは両立する
一次創作に関与することへの悶々とした気持ち
「作ること」が優遇されすぎているという意識はQantaさんと通ずる
圧倒的に「作る」よりも「仕切る」スキルを高めたほうが(経済的に)生きやすい社会であることは否定しようが無い
作る能力はスケールしない 仕切る能力はスケールする
インテリが作ることを選ばなくなった
高畑勲、宮崎駿、押井守などの時代
昨今のインテリの作り手は「仕切り」ながら作る、「作る」ことに全ベットしない
e,g. アクセンチュアに勤めながらSF小説を書く
けどTed Changも山形浩生も本業はコンサルなんよね
野村総合研究所で開発コンサルタントとして勤務する傍ら評論活動を行っている。
知らんかった!!kazuyasano0306.icon
baku89.iconは常々キュレーションすること、編集することに影響を受けてきたし、尊敬を感じている
そうした担い手としてのさの氏