専門性は人生のマクガフィン
ヒッチコックが有名にした言葉
小説や映画などのフィクション作品におけるプロット・デバイスの一つであり、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる作劇上の概念のこと。作中人物にとって重要でありドラマもそれをキーアイテムとして進行するが、物語の成立を目的とするならそれ自体が何であるかは重要ではなく代替可能ですらあるものを指す。 マクガフィン - Wikipedia 多くの人にとって、その道を選ぶという選択は、その分野に元来興味があって、そして大好きだったからだけではない。その人の専門性は、人生という物語を前進させるマクガフィン、舞台装置に過ぎない
マクガフィンか否かはその人が才能を開花させるかどうかとはあまり関係が無い。マクガフィン的に捉えている人でも、そうした平熱さがゆえに、柔軟に高い能力を発揮できることも多々ある
スタートアップ界隈や起業家にとっては、そのサービスの中身は本質じゃない。どうそれで社会を変えていくか、自身、事業ともに成長させていくか、という物語におけるマクガフィンでしかない
意識高かりし頃、成田修造さん、ayataroさんの『rizmee』という音楽SNSの動画を手伝っていた
本人らは芯から音楽という文化に興味があるわけじゃないんだなと思った
専門知や「今具体的に何に取り組んでいるのか」をマクガフィンとして捉え、コミュニケーションや社会との関わりに本質があるとする態度はホワイトカラーとして組織に所属する上で適応的に働く
広告制作業で、その広告が消費者に植え付けるオブセッションに対して深く考えてしまうと、苦しくなる
「クライアントの課題解決」という抽象化は心の自己防衛に一役買う
「何をしているか」ではなく「どう協力しながらそれを成し遂げるか」という社会関係性に興味を向ける訓練は、普通科教育がその一端を担っている
クラス展示、クラス展示そのものにメチャクチャ興味がある人なんて別に居ない みんなで協力してそれを作り上げる一体感が好き
自分探しは成功しなくていい
しないほうがいい
「自分探しをする」という行為に具体的に打って出れることが、その人のある種の適正を既に示しているから
e.g. 意識の高いバックパック
「我」なんてスポンジのようにスカスカなほうが、柔軟に社会の需要を身体に染み込ませることができる
自分探し、アイデンティティの確立を促す価値観もまた、消費社会の帰結
世の中にある商品記号をうまく組み合わせて、log2(70億)の情報量を得るゲーム
DIY, Maker運動はそれに手を染めた時点で「商品」から逸脱したもの、その人だけのものを生み出す
が、それは「自分らしさ」市場とは利益相反