正義
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ジョン・ロールズは、「善と正義の区別」を前提に、異なる「善(善き生き方)」を目指す個人が社会でどう共生できるか、そのためのルール=「正義」を考えた。ロールズの正義論も、「俺たちの正義論」も、全てこの前提で議論してる訳だ。そして、ヘイトスピーチは、この意味での「正義」に反すると言っている。 さて井上によれば、リベラリズムにおいて「どのように生きるべきか」という生き方の問題は個人の「自己決定」に任せれ、さまざまな「礼節」が共存するための最低限のルール=「正義」が設定される。具体的には「生命・安全・自己決定への自由・教育を受ける権利・人格の尊厳・平等な尊敬と配慮への権利」などだ。だから、国家は「礼節」=「文化」に対して中立の立場にあるわけではない。国家はあらゆる「礼節」=「文化」を最低限のルール=「正義」で制約するのだ。(p51) 正義をめぐっては功利主義、リバタリアニズム、平等主義的権利論など、様々な「正義の諸構想(conceptions of justice)」が対立競合していますが、それらに対する共通の制約原理となる「正義概念(the concept of justice)」が存在します。それは自己と他者の「普遍化不可能な差別」の禁止の要請であり、これは「自己の他者に対する行動や要求が、もし自分が他者だとしても――その他者も同様な自己吟味を行うなら――拒絶できない理由によって正当化可能か否かを吟味せよ」という反転可能性(reversibility)要請を含意します。