柄谷行人の交換様式
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資本=ネーション=ステート、という三位一体が近代国家の本質
https://gyazo.com/6b5a37049e69032f30bb865da796237c
「ネーション」
家庭のような無償の関係の交換モデル
これが交換経済と異なる点は、市場という第三項が挟まっていない点です。市場による需要と供給の価格調整を受けずに、おばゃんから飴ちゃんもらったからポケットに入ってるガムを渡すといったものです。これは一人称二人称の関係における交換であって、市場という三人称を介していません。(p125)
「ステート」
「資本」
政府内部あるいは不特定多数の人たちが対価で交換する市場のような関係
Aを高次化したもの
開放的な方法で、不特定多数の人々を対象つつ、「家族のように何か手伝いを必要とすれば、見返りを求めずに助ける」という交換モデル
「Xは自由・平等・友愛を補完するものかもしれませんが、だからといって自由・平等・愛の重要性を否定するわけではなく、新しい可能性であると言っているわけです。」
「私は柄谷さんに、「イーサリアムやビットコインのよう世界中の不特定多数の人々が組織化し、そのプラットフォーム上で交換が行われる暗号通貨などのような新しい分散型交換モデルは、交換モデルXの出現と捉えてよいのか」と尋ねました。これについて柄谷さんは、地域や自分が考えている通貨発行のシステムなどを交えて答えてくださいました。つまり、こうした分散型の方向に進むことは決して悪いことではないけれど、相互信頼がない知らない人同士の交換システムの場合、基本的なシステムについてどのように信頼を得ていくかが重要な問題の一つになるというのです。交換システムに参加する人たちがお互いに顔見知りで、少なくとも誰かの推薦で参加するのであれば、先ほど述べた「家族」という考え方を拡大すればいいのですが、知らない人との交換では「どのようにして信頼を担保するか」を解決しなければならないのです。市場であれば、これは間題になりません。「交換が自由である」ということだけで、対等性も等価性も必要ないからです。私が問題にしているのは、知識の交換のようなケースです。私が知識を誰かとシェアしたからといって、私の知識が失われるわけではありません。これは事実上、独占性のない無償の交換モデルですが、この場合、「私の知識をシェアした人が、その知識を用いて私の望まないことを行わない」という信頼関係が必要です。その信頼関係をどのようにして構築するか。それはまだ完全には解決していない問題です.だからこそ、「この問題を先に解決してからでないとこの道を歩み続けることはできない」と柄谷さんは言うのです.」
「ここで述べた内容も、広い意味ではデジタルに関わるものです。私は柄谷さんの交換モデルXは、デジタルを使えば実現できるのではないかと考えています。RadicalxChangeなどのアイデアは、おそらくイーサリアムのようなブロックチェーンコミュニティで最初に使われることになるでしょう。デジタル上で交換モデルXが実現することがわかれば、それを現実の政治面に応用することができるかもしれません。それが実現すれば、資源をめぐる争いもなくなる可能性があります。その先には、「公共の利益」というものを核として、資本主義に縛られない新しい民主主義が誕生するかもしれません。デジタル空間とは、そのような「未来のあらゆる可能性を考えるための実験場所」ではないかと私は思っています。」
[座談会]無料は世界をよくするのか from: ゲンロン12 「狩猟社会の平等制」は、弱者を切り捨てた上での平等性に帰着してしまう。 AとCはコミュニティの大きさによる揺らぎなのであって、同じではないか。Dは国家によらない再分配(Bとは別のやり方)ではないか飯田泰之.icon
つまりA(=C)とB (=D)の対立、「贈与=交換」⇄「暴力=権力」
贈与って、じつは交換が「失敗」したときに遡行的に見出せるものではないか。つまり贈与という概念自体は虚構であって、ぼくたちは常に交換しかしていないのではないか東浩紀.icon
「純粋贈与」はその虚構性を示している、とも言える。 なぜこれが可能なのかと言うと、「信用貨幣(≒貨幣)」は実体がなく、無からいくらでも作り出せるから井上智洋.icon。 私は柄谷行人さんの思想に強い影響を受けています。たとえば、「トランスクリティーク - カントとマルクス」は、カントの視点からマルクスを、マルクスの視点からカントを見たものですが、私に大きな影響を与えた作品です。彼は多くの考えを持っていて、とくに「トランスクリティーク」に続いて刊行された「世界史の構造」などに出てくる「交換様式D」という概念は、間違いなく私に大きな影響を与えています。