読んでいない本について堂々と語る方法
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moriteppei.icon 「本を読まずに堂々と語る方法」について読んで語ったわけだが、むしろ現代は、webという「本」を休みなく読まされる、読まなくても堂々とそれについて語り続けさせられる世界になってる。 Dainによる評
罠は随所に仕掛けられており、いわゆる「トラップストリート」のように作用する。「トラップストリート」とは、直訳すると「罠の道路」。たとえば、無断コピーした地図を販売している人がいるとしよう。「無断コピーするな」と咎めても、「いいえ、コピーではなく自分で描きました」と言い逃れするかもしれない。ところが、あらかじめ地図の中に架空の道路を描いておけば、コピーした人は言い逃れできない。本書をまともに読まずに語ることはできる。斜めに読み流して、その「方法」だけを語ればいいから。だが、その「方法」こそが罠なのだ。それに気づかずに誉めてしまうと、『読んでいない本について堂々と語る方法』を、ろくに読んでいないのに堂々と語ってしまうことがバレてしまう。> Dain. わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1437-1443). Kindle 版. じつは、ここにも罠がある。ある箇所で『薔薇の名前』のラストを明かすのだが、それちがう!既読ならすぐ気づくぐらい大きな誤りなのにと思いきや、後でぬけぬけと誤りを認める。つまり、「作品の援用にあたり、自分の主観的事実を述べたにすぎない」と、本書の仕掛けを実演してみせる。これで、本書を最後まで読まない人をあぶりだすことができる。 Dain. わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる(Japanese Edition) (Kindle の位置No.1465-1468). Kindle 版. オレ、薔薇の名前、つい最近読みましたけど、そんなエンディングだったっけ、って気づかなかったよ。読んでもすぐ忘れるから。
本書をハウツー本のフリをした「読書論」だと思い込んだら、これまた罠にかかったことになる。読み手の独創性を守るため、書物から一定の距離を置くことが必要だと主張するためには、それを可能たらしめている理由──書物の役割こそが、もう一つの柱なのだから。本書は、ハウツー本のフリをした「読書論」であり、「読書論」のフリをした「書物の害悪論」でもあるのだ。 Dain. わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる(Japanese Edition) (Kindle の位置No.1489-1493). Kindle 版. そして、著者は『薔薇の名前』をざっと流し読みしただけだというが、ウソだ。上述のトラップや「読めない本」をヴァーチャルな本だと見抜くところなんて、まさに精読・再読している証拠だろう。つまり、その本を「読まなくてもいい」証明として扱うためには、俎上にある本を熟読玩味する必要があるんだ。「読まなくても堂々と語れる」内容こそが、ちゃんと読んでいないと話せないのだ。「読まなくても語れる」ために精読したという、なんという自己矛盾。 Dain. わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (Japanese Edition) (Kindle の位置No.1507-1511). Kindle 版. 結局のところ、「読むために、読まない」ことを目指すと、どうしても「読まないために、読む」ことになる。本書をマジメに読もうとすればするほど、この自己矛盾の堂々めぐりに陥る。あ、あれ?あまりに拘泥して「書物のディテールに迷い込んで自分を見失う」ことこそ、本書で戒めていることじゃなかったっけ? Dain. わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる(Japanese Edition) (Kindle の位置No.1518-1521). Kindle 版.