ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破
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ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序に比べると、圧倒的におもしろいし、冒頭からテンション上がる。アスカ、マリなど新キャラ(特に女性)がバンバン登場するのだがそれがよい。動きのある女性陣のおかげで、シンジや綾波といったジトーっとしたキャラクターの個性もわかりやすくなっていて、エンターテイメント性が急増した。なぜかゲンドウも口数増えてるし。まあ、前回は「準備編」みたいなものだから仕方なかったのかもしれないが。 ロボット(おそらくエヴァはロボットではないのだろうが、広義のロボット)のアクションも派手でわかりやすいし、庵野秀明の一番いい作家性が出てる感じがした。エヴァが走って「陸上」したり。電線をハードルに見立てて飛び越えるところとか。こういうところは大好き。華麗な体の動きで華やかに戦うアスカ、片っ端から武器を使いまくるマリなど戦い方にも個性がみられるのもいい。 それはさておき、「破」についてまず一番に言いたいのは「加持リョウジ、お前はなんでいるんだ?」である。この男、何もしてなくない? なぜここにいるのかもわからない。それなのに赤木リツコへのセクハラ、葛城ミサトへのセクハラ(そんなんじゃ男にモテないぞ?)、碇シンジに望まないキス&同性愛のネタ化、ところかまわずタバコを吸う......とポリコレ違反のオンパレード。その他に何をしているのかというと農作業と「聞いてもいないのにあれこれ登場人物の事情を教える」くらいのもので、マジで何のキャラ?という感じである。この後、何かしらの役割は持たされるのだろうが(単に出てきただけだったら笑う)、いきなり現れて「誰?」という感じ。 会話というか登場人物の心理のぶっとび具合もついていけない。ミッション成功して、三人で使徒を殲滅できたのに、一人でできなかったと悩み、突然シンジの布団に入っていく式波・アスカ・ラングレー。今まで何も感情を表さなかったのに突然なぜかシンジに好意を持ちはじめ、「碇くんといるとぽかぽかする」「ぽかぽか」「ぽかぽか」と、東京物語の原節子の「いいえ」くらい「ぽかぽか」を連発する綾波レイ。いろいろトラウマだったり、設定から、そうした言動が出てきているのだろうと推測はするが、観ていての単純な心理描写としては「ふぁ???」の連発である。このシリーズ、相互の心理描写と社会だけスッパリ捨象されていて、個人の実存、トラウマと世界の謎だけが考察対象として提示されていく様が、まさにセカイ系の元祖という感じ。また、マリがいきなり空中から飛んできておっぱいむにゅしてきたり、匂いを嗅いできたり、アスカの裸が見えたりと、ラッキースケベが大変多い。 さて話の内容だが、アスカが暴走してしまい、それをシンジが自分の手で殺さなければいけなくなる。が、シンジはこれを拒否する。序ではほとんど主体性を剥奪されていて動かなかったシンジがここでは自分の意思で「アスカを殺すくらいなら自分が殺されていい!」と意思表示するところがよかった。「殺さないと殺される」はまさしく前世紀に日本が置かれてた「侵略しないと侵略される」と同構造だからこそ、それでも、やらなきゃやられるとしてもやらないんだというシンジの主体的決定が描かれていることを肯定的に受け取った(アスカの「死亡シーン」のBGMに今日の日はさようならが流される演出に一気にドン引きはしたが。こういう異化効果狙った演出ってあざとすぎて鼻じらむ。強度はあるんだろうけど、観ている人たちにトラウマを刻み込もうとする安易な感じには辟易。こういうので感動はできないです。) ところが、自ら手を下さなかったシンジに対し、碇ゲンドウは「逃げるのか」「大人になれ」と言う。そして、最後はこれまた使徒に取り込まれた綾波を救うため、シンジは自分から「エヴァに乗らせてください!」と言い、「愛するべきものを守るため」にエヴァに乗り覚醒する。と、ここでまたシンジの行動がある種のナショナルヒストリーに回収されてしまう。「侵略はダメだが守るためには立ち上がる」という微妙な倫理の提示とも読めるけど、それはまるっきり自衛隊のロジックとも重なってきてしまうのだ。 「愛するものを手にかけるくらいなら戦わないが、愛するものを救うためなら戦うのだ」というのがシンジの倫理ということになるのだが、さてここまで観てきて思うのは、じゃあ最初っから、綾波のときにそうなったように、アスカの時にその時点でシンジが覚醒して圧倒的なパワーでアスカを救えなかったの?ってことだ。でもなぜ綾波の時にシンジが覚醒できたのかというと、結局、アスカの「死」があったからで、要するにアスカはシンジの成長のために悲惨な「死」を遂げる冷蔵庫の女だってことになるんだよなあ......。愛するものをこの手にかけてしまうというのは、機動戦士ガンダムからの伝統、いわゆるララァ死に(シンジは直接手をかけてはいないが)。このパターンでカタルシス感じろと言われてもなあ。 いろいろモニョモニョしてきたところで、なんやようわからん怪しげなセリフを科学者である赤木リツコが喋り(お前ほんとに科学者なんか)、最後はまたカヲルが出てきて次回へと続く。って、毎回カヲルに作品を〆させておる。パターン一緒じゃ。