ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
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この作品についてはたくさんの人がすでにあれこれ語っているだろうから、追加で自分が付け加えることも特にないんだろうけれど、観た感想を素直につづっていくと「十代の男の子に大人が全員で特攻やらせるって異常だなあ」ってだけ。
シンジはエヴァに乗るか乗らないかで逡巡するように見せてるけど、その逡巡が、エヴァに乗るということは「結構高い確率で死ぬ、もしくは大怪我をする」ということだし、「なぜ自分が乗らなければいけないのか」の理由もサッパリわからん(説明なされてない)ということを考えると、いや迷うの悩むの短すぎやろとしか思わない。この点機動戦士Zガンダムとまったく一緒で、なぜカミーユがZガンダムに乗るのかというと「まあよくわからんけど、どうやらこの子にしか運転できんらしい」「才能があるらしい」ということしかわからない。とにかく人型ロボットアニメはパイロットがロボットに乗り込むところからしか話始まらんのじゃ。いきなり綾波がシンジを殴ったりするところも「ああ、Zガンダムの遺伝子だなあ」と思った。総括! 乗れるのは自分しかいない(多分)。乗らないと人類が滅亡。乗らないとケガした綾波が戦わなくちゃいけなくてかなりの確率で死ぬ。他方で乗ると自分は死ぬか大怪我する。という状態で「自分の意志で乗りなさい」「自分で決めなさい」とミサトから言われるんだけど、エヴァに乗ったらミサトの作戦に従わなければいけないので、要するにまじでコマ。主体性など微塵もないところで「主体性を発揮しなさい」と言われているわけで、これ、何かって言ったら、もう間違いなく単なる特攻である。自分の意思で死にに行きなさい。自分の意思で上官の命令に従いなさいというわけ。モビルスーツどうしの戦いなら、まだパイロットの個性も出せるが、敵はピラミッドくっつけただけみたいなキャラだし、作戦通りに引き金ひくことしか求められてないのがエヴァ世界。 一応全人類を救うためってことになってるけど、なぜか(理由は一応あるようだが)襲われるのは東京ばっかりだし、エヴァに乗るのも、アスカ、カヲル、シンジ、レイ、マリと全員「日本人名」でしょ。世界を救う話に見せて、単なる国防ですよね、これ。ガンダムシリーズなら一応、ジオン公国にもティターンズにも戦う理由があって、それぞれの正義があって.....という見せ方がなされてるし、社会があるんだけど、エヴァでは「社会」は完全に抹消されてしまっていて、理由もわからず襲ってくる敵を、敵のことは一切考えることなく、ただただ破壊しろっていう。戦う理由について考えたり悩んだりすることは一切求められていない。
これらのことに対して作中でツッコミが入るかというと入らない。ただただ、それは受け入れるべきものとしてのみ表象される。シンジにエヴァに乗る理由を聞かれた綾波は答える。「絆だから」と。絆はその後、震災後の日本でさんざ称揚された価値観だった。社会が一切ないところで絆だけがことあげされる、ナショナリズムだと意識されることさえないほど自然化されたナショナリズム。そこでシンジくんは「自分の価値」について悩む。自分に価値があるのは自分がエヴァに乗れるからだけなんだと。エヴァに乗らなくても価値があると言って欲しい。シンジくんの願いははっきり言ってただそれだけなのだが、それがまったく叶わない。 人類を守る?こんな実感の湧かない大事なことを……なんでぼくなんだ。1:26:53
ほんまそれ。そしてその「なんで」は解決されないまま本作は次回作に「つづく」のだった。