パートタイムヴィーガン
ベジタリアンという呼び方は既に主流ではなくなり、 今や菜食主義にも様々な流派が存在する。ビーガン(動物性食品を一切摂取しない完全菜食主義者)、ペスクタリアン (動物の肉を食べないが、 魚介類を食べる菜食主義者)、ローフード(食材を加工せず生で食べることにより植物の酵素や栄養素を効果的に摂取する食事法)、ラクト・オボ・ベジタリアン (肉類と魚介類は食べないが、 乳製品と卵は食べる菜食主義者) など。 だから私も1つ、新しいカテゴリを作ってみた。 それが、 「プラクティカルなベジタリアン」である。 「プラクティカルなベジタリアン」は、選択が可能なときは極力、 野菜中心の食事をとり、選択が難しいときは実際に手に入る食材なら何でも食べ、 感謝しながら口にするのが流儀だ。 厳格なベジタリアンと比べると、だいぶやさしいかもしれない。 リセット Google流最高の自分を引き出す5つの方法 ゴービ・カライルp. 119ページ また、ヴィーガンはヴィーガニズム運動から少し距離をおくことも大事です。 ヴィーガンはあらゆる場面でヴィーガニズムを提唱しなければならないと思うことがよくあります。 可能な限りヴィーガニズムへの意識を高めることは重要ですが、 それをしないタイミングを知ることも大切なのです。 いつもきまじめなヴィーガンである必要はなく、時にはシンプルに社交の場を楽しむことも必要でしょう。 常にスイッチが入っている状態だと、他者とつながるときもあなた個人としてではなく、むしろ自分が常にそうあるべきだという提唱者としてつながろうとしてしまいますし、 それでは疲れ切ってしまいます。ヴィーガンとノンヴィーガンのためのコミュニケーションガイドブック メラニー・ジョイ 194ページ ヴィーガンになる理由はいろいろあるだろうけど、個人的な理由(体質や健康上の問題、宗教上の理由など)をのぞけば、①気候変動への影響を抑えたい。②工場畜産での動物の扱いを無くしたい。この2つが主な理由だろう。 他方、ヴィーガンになるのに最も大きな抵抗は「大好きな食べ物を諦める」ことだと思う。たとえば焼肉。たとえばパフェ。全部一生食べられなくなるとなったら抵抗したくなるのがそりゃ人情だろおう。
一部のごくごく少数の人間がストイックなヴィーガンになるよりも、大多数の人間が「くもりときどきヴィーガン」くらいになったほうが社会的、世界的なインパクトが高いのでは? 自分も今、ペスカタリアンチャレンジってやってるけど、一時的なチャレンジだと思うから楽しく取り組めてる。これが一生もう二度と何かを食べられないとか、食事を特定の方法しか選べないとするのはハードルが高すぎる。 ハードルが高いと取り組もうとか試してみようという気持ちすらなくなる。そして試したくない場合、人は「試さなくてもいい理由」を頑張って考えだそうとする。それも無理な場合は、している人、できている人を責める。しない自分を肯定するためにしている他者を否定する。 だったらまずは「食べたいときは肉やたまごを食べてもいいけれど、食べない日をまずは一定程度設けてみよう」とか「使う量をどんどん減らしてみよう!」「それだけで君もヴィーガンだ!」ってやったほうが効果は高い気がする。
おハーティさん.icon 私はヴィーガニストだけど、ベジタリアン食ではない。(※フレキシタリアンというらしい。) / 私はヴィーガニズムという思想や主義と自分の実践に一致がないことを後ろめたいとは思わないし、実践が伴っていかないことを理由に自称をやめることもしない。小さな些細な脱肉食の実践でもその積み重ねによって、自分を語る言葉も変わってくると思う。 / 例えば打倒家父長制なラディカルフェミニストが異性愛結婚していても、それはフェミニストでないわけではないし、そこからでも家父長制ぶっこわせって言うことには、『そうしたくてもできない悔しさ』という色がついていくものだと思う。 / 個人の努力で肉食を止めていくことを目指すのではなく、動物食に頼らない食事を求める一消費者としての声があがっていったらいいんじゃないかなと思っています。おハーティさん - Mastodon これはすごく実感もある。言葉が変わってくる。今まで自分にない発想が少しずつ芽生えているのを感じる。
ヴィーガン(っぽい)生活、試しにやってるけどとてもいい。別に特に我慢はしてなくて、肉を食べたくなったら遠慮なく食べにいくし、外食でもヴィーガン対応店見つからなかったらフツーに王将入る程度だけど、それでも明らかに体が変わった。そもそも肉。あんまり食べたくなくなってしまった。他の食べ物で既にうますぎるんだもん……。
自分は魚が大好きなのでどうしてもこれは諦めきれず。したがっていわゆるペスカタリアンと言って「魚食べてもいい」ルールだし、最初は慣れないうちに栄養素、特にタンパク質の不足が怖かったので最近ではゆで卵を食べてはいるけれど、そういうのがなければ全然ヴィーガンでいいかもしれない。ヴィーガンってなんか「がまん」してるイメージあったけど、今は特に「やってる人が意識や階層高い」感じなので、美味しいもの、クオリティ高いものが多いし、そもそもやってるうちにすぐに味覚がリセットされ、軽く塩入れて煮ただけの豆がめちゃくちゃうまいって感じるようになる。
びっくりしたのは逆に肉や外食の濃い味がマジでどんどん食べられなくなってきたこと。たまに食事を用意できず、外食で店もなく(田舎なので)大阪王将とか入るんだけど、食べ終わった直後にすごく気持ち悪くなり、毎回⚪︎くようになってしまった。肉がこてりとしすぎるし、うま味調味料(自体が悪いわけではない)が多すぎて舌ににがみが残り気持ち悪いと感じるように。コリアンタウンでユッケも食べたけど前みたいにおいしいと感じられなくなってしまった。食べることにまーーーったく罪悪感ないので「ごめんなさい」みたいな気持ちが食べ物をまずくしてるわけでもなさそう。単純に味覚の変化です。
料理も大変かと思ったけど、むしろ調理がどんどんシンプルになるので、自炊やお弁当づくりが大変しやすくなったとも感じてる。一般的なご家庭の料理は結局のところ「豪華すぎる」んだと思う。なんだかんだいってもつくるの大変。ヴィーガン的スタイルなら「豆に塩と砂糖ぶっこんで刻んだにんにくと煮たやつ」とか「クミンオイルと少量の塩で軽く火を通したカリフラワー」とか「塩でつけただけのザワークラウト」とか「グリーンピースゆでてつぶしたやつ」とかになるので、めちゃくちゃ料理が楽。タッパーにつめて好きなときに好きな分量をよそえばいいのでまったく大変じゃない。すっげえ楽。
しかも、今までより健康的な食生活だからだろう。気づいたら5kgほど痩せていた(タンパク質不足による筋力低下かもしれないから怖くなって最近はがんばってたまごを食べるようにしてる。でなきゃ豆)。食べたあとも急に眠くなったりしないし(いつの間にかごはんは玄米になっていた)疲れも感じにくい。今のところいいことしかない。肉を買わないので食費も明らかに下がった。その分、いい魚を買って、小麦粉つけて焼いたりして、シェフかよって生活してる。栄養も足りてるせいかドカ食いとかも減ったんだと思う。
デメリットとしては誰かと食事するときにこちらに制限会わさせなくちゃいけないとか、我慢できずに肉を食べてしまったときの罪悪感などがあるんだろうけど、ハナからパートタイムヴィーガン上等!なんなら他者のヴィーガン実践の敷居をあげてしまったり、ヴィーガンできない人ややらない人を攻撃しているような本職ヴィーガン(一部だと思いますけど)なんかよりもよっぽどパートタイムのほうが地球環境にも社会改革にも貢献してんだろくらいの傲慢な意識でやっているので、なーんもストレスがない。まだしばらくはこの生活を続けてみます。
あ、ヴィーガン食のコツは塩加減。とにかく味をシンプルにしたほうが絶対においしい。「物足りないかも」と思ってあれこれ調味料を入れれば入れるほど絶対にまずくなる。ただただ塩。それも「ひとつまみ」とか少量にすると、野菜って信じられないくらいそれ自体うまみの結晶なので「甘い!」「うまい!」となるし、他の食べ物の味もよりおいしく感じるようになるのでおすすめです。
あと「ヴィーガン」って言うとみんな気負うけど、土井善晴先生は大好きなんでしょ。土井先生の「一汁一菜」「適当味噌汁」とかでいいって言われると福音に感じるけど、あれ、ほとんどヴィーガンやで。一汁一菜でそんな肉やたまご使わないでしょ。魚介の出汁も避けたいとか言うなら少し難易度上がるかもしれないけれど、それすらなんとでもなるしなあ。