ハートストッパー(Netflixドラマ)
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素晴らしかったね、ドラマも。原作のほうが好みだけど、安心して見れた。ファーストシーズンもとてもいいけれど、セカンドシーズンのほうが好き。原作にない描きこみもあって登場人物に奥行きがある。
AR的感覚がおもしろい
クィアな表象も当然気になるがAR的な表現感覚も見逃せない。 雪が降ってる中、二人で遊ぶチャーリーとニック。途中まではリアルで雪が降ってるんだけど、二人で地面に寝転んでからの雪はアニメ画像がフィルタリングで追加されたような演出になってる。拡張現実なんだよね。
ほとんどのやりとりがSNS(インスタのメッセージ)で進むので、SNS画面ばっかりうつるドラマで、我々はそれをまたスマホで見ている、そんな世界にいるのだけれど、それでも退屈せずに見ることができてしまうのは、役者の演技がよいから。チャーリーのニックに会えたときの笑顔やばいでしょ。ニックもナイスキャスティング!
ネガティブな表象とポジティブな表象のバランスが「逆」
もちろん必然性があってそうしてるんだけど、この作品でも、ゲイいじめもあるし、「ガールフレンドなんていずれできるわよ」と親が子どもに言ってしまうシーンもある。
チャーリーはいじめが原因で摂食障害にもなっているし自傷行為もしている。 ただ、いじめやネガティブなシーンもあるのだが、先に「友達や家族から肯定されるシーン」をたっぷり描いて「アゲて」から「サゲて」いるので、ポジティブなメッセージも、現状に対するネガティブな批判もどちらも視聴者に伝わりやすくなっている。
この点も『怪物』と比べるとわかりやすい。怪物にも実はポジティブな表象や、セクシュアリティを否定しない周囲の大人は出てくるのだが、分量的にちょうどハートストッパーの真逆、という感じがする。
目についたネガティブなシーン
ハリー軍団によるチャーリーへのいじめ
ベンからハリーへの強制的なキス
ニックの母親がニックに「ガールフレンド」ならすぐできるよと話す
娘のセクシュアリティを認めないダーシーの母親
息子のセクシュアリティを認めないベンの両親
アウティングしようとするニックの兄
息子に無関心で、異性愛者だと無意識前提する父親
エルへのいじめ(作中ちらっと触れられる)
ファルーク先生の過去(カミングアウトできなかった)
エルがタオに突然キスしてしまう(直後にすぐ謝る)
レズビアンを公開したタラ&ダーシーへのインスタでのコメント(レズビアンなんてもったない)
現実はネガティブな要素でできているのにそれを無視してポジティブな要素だけで話をつくってしまうと、それは嘘くさいし、むしろ誤解を与えてしまう(そっか、もう差別とかないのね?みたいな)→ポリコレ 他方でネガティブ要素だけだとエンパワメントされないし、暗い話になってしまう。
同じ話を日本を舞台にして同じバランスで表現しても「リアルよりもファンタジー」に感じられてしまうかもしれない。
アサーション表現の巧みさ
ハートストッパー。全体的にLGBTQ+の描写も素晴らしいのはもちろんなのだけど、アサーションの表現が上手い。相手の話もきちんと聞くけれど、自分を堂々と主張する。ただし、相手の存在を否定しきるわけじゃない。「もう君には二度と会いたくない」までは全然言っていいことだし、それで相手が「傷つく」かもしれないが「傷つけてる」にはならないんだよね。 2ndシーズン第八話。チャーリーに謝るベン。
「俺は最低な人間だけど、君のことが好きだった」「両親は本当のぼくを決して受け入れないだろう」「I'm sorry for everything」「I just wanted something good」「You were something good」
だけれど、それを聞いたチャーリー。「最初にキスをしたときを覚えてる?」「尋ねすらしなかった」「僕が望んでることなのか考えることすらしなかったんだ」「でも従ってしまった。問題を抱えていたから」「君がすべてをコントロールしてるってわかってなかったんだ」「ようやく気づいたときにもこう思った」「ぼくなんてそんなもんだって」。「ほしいものをほしいときにとっていくし、そうじゃないときは無価値なもののように扱う」「今も何か幸せなことがあっても」「頭の中で声がするんだ。お前は無価値だって」「許してもらいたいんだろう、それで気が楽になりたいんだ」「間違いに気づけたのは結構だけれど」「ごめんなさいだけじゃ君がしたすべてのことを償えない」「君が今よりよい人間になってほしいって本当に思ってる。ほかの誰かをこれ以上傷つけないように」「だけどそうなってるところを目にしたいとも思わない」「もう二度と会いたくない」。ものすごくハッキリと相手を否定する。
このセリフでベンは傷ついてしまうだろうし、ベンは自分の家族にセクシュアリティを認めてもらえないという不幸な環境にある。でも、「傷つくだろうが知ったこっちゃない」「事情はあろうがそんなのこちらは関係ない」なんだよね。
謝ったからといって許さないといけないわけではない。
ベンの謝罪の言葉がやっぱり浅い。「ぜんぶ悪かった」と言っているけれど「何が」悪かったのかきちんと理解しているのか?
「I just wanted something good」(何かって誰でもいいのかよ)というのも自分勝手な感じ。
チャーリーから許されないのだけれど、最後に看板から虹色の波がベンに押し寄せる演出。
「キスしちゃった?」などと恋愛をおしつけてはやしたててくる友人たちにアイザックがキレるシーン。
「黙っててくれないか」「君たちからしたら僕の人生なんて退屈だろうよ。ロマンチックなドラマなんてない」「彼に好意を返せなかった」「君たちは今日もこのまま楽しめばいい」「大丈夫だ。だけどもうこれ以上話したくはない」。
こうしたハッキリした自己主張=「相手を過度に否定もしないが、言いたいことはきちんと言う」があちこちにある。
父親に「もう気にしない」と言い切るニック。すまなかったと父親。それに対してニックは「言葉ではなく行動で示せばいい」「努力するんだね」とバッサリ。親と子が対等。
実は割と恋愛へのウェイトが高い
ハートストッパー、なんだかんだ言っても話が恋愛ばっかだし、みんなでダーシーにカンパして服を買ってあげるところとか「結構当たり前みたいにやってるけど、お金ない子おったらどないすんねん」みたいなところあったりして、なんていうか実はそのノリがすべて肯定できるわけではない。そんな中、ある意味恋愛でおめでたいだけのドラマに、きちんと作品内でツッコミを入れているキャラクターがアイザックであり、ベンであり(誰もが親が理解あるわけではない)、イモジンであり、ニックの父親であり、ニックの兄(このお兄さんはなんでこんなに最低な行動を延々するんだろうか?それはなぜ?考えてしまう)なんだよな。
ニックはチャーリーの、タラはダーシーのすべてを受け入れて、その力になりたいと思っている。
恋愛関係=全人格的な受け入れのように、ここだけ見てると見えてしまう。
弱みを出すこと、必要なときに支えることは肯定されている。
だが、現実にはいじめのトラウマや摂食障害、自傷行為などから過度にチャーリーがニックに甘えてしまっては/ダーシーがタラに甘えてしまっては、依存やそれを元にしたコントロールになってしまう。
恋愛のそういうネガティブな要素が今の所描かれてないので気になる。
チャーリーは問題を抱えており自己肯定感が低いので、そこで同意をとったとしてもコントロールしてるんじゃないかという気持ちになってくるというか.....。
トランスジェンダーの描写
エルについて特にほとんど説明がない。
「女子校に転校した」「元は男子高にいた」というだけで説明を終わらせていてそこがとてもいい。
タオとタオのお母さんが左利き。
ハートストッパー主演キット・コナーに強制アウティングさせてしまった件。悪意あるヘイターによる嫌がらせではなく、「バイセクシャル当事者じゃない俳優が演じるのはクィアベイティングじゃないか」という問題意識から出てきた正義感によるものであるのが怖い。
でも、究極、俳優のセクシャリティやジェンダーなんかわかんなくない?本人が自己開示してくれてればまだしも、してない場合「シスヘテ」だとは限らないし、揺れ動くかもしれないし。一見シスヘテに見える俳優だからと言って「当事者じゃない」と批判はできなくなる。かと言って、当事者に演じさせるべきだとは思うし。
ハートストッパーの大事なメッセージの一つが「人のセクシャリティを詮索しない」。それなのに女性と仲良く歩いてる→付き合ってる!→ってことは異性愛者じゃん!クィアベイティングじゃん!→「すみません、カムアウトしろってことですね。バイです。満足ですか?ドラマのメッセージ汲み取れなかった人もいるみたいですね」って……。でもそれ言うなら、ぼくらは誰かのセクシャリティなんか本人が明言でもしてない限り、決めつけることできないわけで。
ハートストッパーとエスニシティ
ニックがかわいすぎて、ネリーが最高すぎて、ほんわかと見てしまいがちなハートストッパーだが、実は結構引っかかりがある。ニックの父親のフランスルーツとか。父親はフランスで一人で生活してるフランス人なんだけど(だからニックはフランス語が堪能)子どもに対して全く興味関心がない。そのことを非難され「悪かった」というんだけど、ここなんかも「フランス人なのに家族はイギリスとかそら一人フランスにいたくもなるわなあ」と四国に嫁いできた自分は共感してしまった。そういう背景はきちんと描きながらも「本当に悪いと思うなら言葉じゃなく行動で示せよ」「努力するんだな」と息子にハッキリ言わせるところとか。一方的に理由のない悪人のように描くことはないけれども、でも、悪は悪なのできちんと正義が主張されるべきだ、がゆるがない。