市川沙央の植松聖死刑囚への応答
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市川沙央の植松聖への応答。こういう意地悪させるとほんと右に出るものがいないんだよな....。死刑囚に向かって「達者に暮らしてください」って。しかもそれを「ざまあ!」ではなく本当に言ってますよね、この人は。生産性がないから障害者はダメだと言うなら、今まさに税金で生かしてもらってる植松こそ生産性ゼロなわけで。同情に対して「同情」で返す市川のアイロニーよ。 『ハンチバック』を読む植松。その手記を読む市川。その市川の投稿を植松は読めるんだろうか。ここには憎しみもあるかもしれないが、対話がある。対話や理解をせず暴力に走った植松に対し、対話を続けるという形で暴力を否定する、対立する。 永井均の「トランスヘイト論文擁護」問題でトランスヘイター的なジェンダーの捉え方の追認にしかなっていないからとジェンダーをテーマにした哲学論文がリジェクトされる事件があった。批判や否定はされるべきだが「批判される前に事前に消し去る」のが安易に肯定されるべきではないという考えだってあるはずだ。無益であることや有害であることのみを理由に消されてきたのが障害者でもあるのだから。 もちろんそんな障害者を「無益だ」「有害だ」という理屈で消し去ってもいいといった考えは強く否定されるべきだ。しかし言論や言論での対話の回路を閉ざしてしまったとき、人は暴力に走る。表現の自由とその表現の有害性の問題についてはバランスが難しいし、適用基準を恣意的にしていけば、滑り坂を滑ってくことにもなりかねない。 Irreversible Damage翻訳本の出版停止問題では「既に発表され内容も読めるし批判も十分ある著書の翻訳を出す」ことが拒否されていたが、永井均の「トランスヘイト論文擁護」問題では、誰もまだ読めていない内容の「論文」を出すことが拒否されていた。ここまでがたったの2週間、3週間。私は当然トランスジェンダーに対する差別はあらゆる意味で反対だし、論文や書籍が出た場合、その内容を激しく批判、否定することはあると思うが、その出版や発表からリジェクトすることについては一定の疑問も持っている。