ゴンブリッチの〈として見る〉説
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エルンスト・ゴンブリッチ(Ernst H. Gombrich, 1909–2001)
ウィーン生まれでイギリスで活躍した美術史家。ユダヤ系だったため1936年にロンドンに移り、ウォーバーグ研究所に勤めた。著作は、以下で挙げる『芸術と幻影(Art and Illusion)』のほか、初学者向けに書かれた美術史の入門書『美術の物語(The Story of Art)』など多数ある。美術史学の科学化を志向し、同時代の心理学や科学哲学の知見を積極的に取り入れており、逆にそうした他分野への影響も非常に大きい。 1. 前提
文献情報
E. H. Gombrich, Art and Illusion: A Study in the Psychology of Pictorial Representation (New York: Pantheon Books, 1960).
【邦訳】『芸術と幻影』瀬戸慶久訳、岩崎美術社、1979年
タイトルの"art"は「芸術」というより「美術」と訳したほうが自然(造形芸術の話しかしていないので)。
"illusion"のほうはぴったりの訳語が難しいが、基本的には、二次元のものが三次元のものに見えてしまうという知覚上の「錯覚」の意味で使っている。美術の領域では「イリュージョン」とカタカナ表記されることも多い。
描写の哲学では踏み台扱いだが、この本自体は論点も図版も豊富な超名著なので、一読をおすすめする。
邦訳は微妙かつ入手困難。ちゃんと読むなら英語のほうがよい。
描写の哲学における位置づけ
ゴンブリッチは美術に関連する著作を数多く書いているが、描写の哲学の文脈で引かれるのは、ほぼ『芸術と幻影』にかぎられる。
『芸術と幻影』の序論では、描写(画像が何か具体物を描くこと)の本性についての議論が部分的に展開されている。
ゴンブリッチ自身は、そこまで「理論」として書いているわけではない。むしろ「ゴンブリッチの〈として見る〉説」と呼ばれるものは、そのわずかな箇所の記述をもとにして批判者たちが再構成したものだと考えたほうがよい。
あとで紹介するウォルハイムや次回紹介するグッドマンは、いずれも『芸術と幻影』の議論と論点を少なからず引き継いでいる。その意味で『芸術と幻影』は分析美学における描写の哲学の起源だと言える。
2. として見ること(seeing-as)
ゴンブリッチの問題関心
序論でのゴンブリッチの関心は、具体物が描かれている絵を見るときのわれわれの知覚はどのような状態なのか、その独特さをどのように説明すればいいのか、という点にある。
知覚に注目することで描写の独特の働きを説明しようとしているという点で、ゴンブリッチのアプローチは知覚説である。
この独特の状態を、ゴンブリッチはある種の「イリュージョン(錯覚)」として説明できると考えている。ゴンブリッチによれば、これはかなり不思議な知覚の働きであり、しばしば「魔法」という言い方もされる。
ゴンブリッチの問題関心を示す「イリュージョン」の例
多義図形の知覚との類比による説明
ゴンブリッチの主張:
ウサギ=アヒル図のような多義図形では、見方の切り替え(ウサギとして見るか、アヒルとして見るか)によって知覚の中身(ウサギかアヒルか)に大幅な変化が起きる。また、このとき両方の知覚は両立できず、片方しか見ることができない(ウサギが見えているときはアヒルは見えない)。
平面でしかないはずの絵が三次元のものに変わる不思議な現象(=イリュージョン)のメカニズムも、これと同様である。つまり、二次元の表面として見るか、三次元の具体物として見るか、という見方の切り替えが起きている。この両者もまた同時に知覚することはできず、片方しか見ることができない。
そういうわけで、画像経験の特殊性は、〈画像を二次元の表面として見ることと、三次元の内容として見ることの切り替え〉として特徴づけられる。
3. 〈として見る〉説の難点
ぱっと見でわかる難点:
多義図形は、2つの描写内容のあいだの切り替えの例として出されている。
ゴンブリッチは、その話をそのまま画像の表面と描写内容のあいだにスライドさせているが、多義図形における描写内容間の関係と画像一般における表面と内容間の関係はまったく別物である。
そもそも多義図形にも表面のレベルがあるので、表面と内容のあいだで切り替えがあるのだとすれば、3項関係にならないとおかしい。
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