21世紀の子どもたちに、アマチュア無線を伝えたい。時間を超越せよ
21世紀の子どもたちに、アマチュア無線を伝えたい。時間を超越せよ
思いを共有できる人たち全員で、「電波文化祭⚡️」を開催し続けたい。
具体的なミッションは、年2回開催し「100回」を目指す。どうすればいいのか。
いわば、50年を超越する伝言ゲームだ。2073年の春、叶うならば参加したい。
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21世紀の子どもたちに、アマチュア無線を伝えたい・・・
アマチュア無線には「創造」へと続くコミュニケーションにがあるから
わたし ⇄ なかま ⇄ みんな
わたし(私自身)
なかま(自分の半径3m以内)
みんな(無線の内からも外へ)
日々の無線活動の中から、無線がもっと面白くなることを『発見』すること
誰かがやってくれるのを待つのではなく、必要なものは自分で『開発』せよ
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「21世紀に生きる君たちへ」司馬遼太郎
私は、人という文字を見るとき、 しばしば感動する。
ななめの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
そのことでも分かるように、 人間は、 社会をつくって生きている。
社会とは、支え合う仕組みということである。
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自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
このため、助け合う、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
助け合うという気持ちや行動のもとは、いたわりという感情である。
他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。
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「やさしさ」
「おもいやり」
「いたわり」
「他人の痛みを感じること」
みな似たような言葉である。
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これらの言葉は、もともと一つの根から出ている。
根といっても、本能ではない。
だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならない。
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その訓練とは、簡単なことだ。例えば、友達がころぶ。
ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、そのつど自分でつくりあげていきさえすればよい。(中略)
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君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲良しで暮らせる時代になるにちがいない。
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