競いあう無線ではなく、支えあう無線を
hr.icon
2021年12月 10年ぶりに JN1GGZ.icon JN1GGZ を再開局した時、今度は閉局しないことを自分と約束した。
「競いあう無線ではなく、支え合う無線をしよう」
JN1GGZ.icon JN1GGZ は、R16FRの活動に一点集中する。
「ひとりでは実現が困難な計画を、協力して実現させること」
伝搬実験だけではなく光通信トランシーバー開発までも。
競いあう無線ではなく、支えあう無線を
タワーなど必要なかった。無線機すら必要はなかった。
憎しみあうことを困難にし、楽しくなることを容易にするもの。
ひとりでは、こんなに楽しいことはできなかった。
ひとりでもできることなら、する必要はなかった。
ひとりでできないことを諦めなくていい。
みんなが自分の個性を発揮でき、多様性を認めながらも、一体感を保ち続けられる無線をしたい。
JN1GGZ.icon JN1GGZ にはそれができなかった。憎む人を許すことができなかった。
21世紀を担う人たちは、私にできなかったことを達成してほしい。
私ができることなら全力で応援したい。
hr.icon
敵とライバルという話(叩き台をJI1BXM.iconが書いてみます。)
「争う」の言葉は何か物騒な響きがありますが、「競う」というと何か相互成長をも感じさせる響きがあります。
ここでは、「争う」相手は「敵」、「競う」相手は「ライバル」として、争うと競うの違いを考えてみます。
正反合で顕れたとおり、ひとつの利益には必ず対立する利益が存在するはずです。 いま、自分の利益を左側矢印で表し、他人の対立する利益を右側矢印で表してみます。
もし、「合」を求めないのであれば、自分の利益を拡大するためには対立する利益を抑え込まなければなりません。
ここで、対立する利益を持つ他人で、自分の利益に直接手を突っ込んできて、この利益を押さえ込もうとするのを「敵」と観ることができます。
ビジネスでいうと、敵対会社が自分の仕入元を子会社化して、その部品納入を止めてしまうようななら、この会社がまさに「敵」にあたるでしょう。
また、対立する利益を持つ他人が努力によりその利益伸ばそうとした結果、自分の利益が抑えこまれてしまうのが「ライバル」と観ることができます。
確かに、自分が何も努力しなければ、自分の利益が減少してしまうのは両者とも同じです。
しかし、ライバルならば自分は成長があります。敵ならばその敵を排除する必要がでてきます。
争う無線をやってしまうと、その結果、後に自分は争った相手方に攻撃(反撃)されるかもしれません。
対して、助け合う無線が「ライバル」を相手にしていることまで含めれば、それは成長を伴うことになるかもしれません。
たとえば、次の事例は上のような図式に沿っているのかもしれません。
パワー競争を「争う無線」
(これがいいかどうかはさておき)MCを使った低了解度下でのQSOを「助け合う無線」
勿論、MCのような目に見える(耳に聞こえる?)ものに限らず、「Low Powerでもこんなことすれば飛んだよ〜。」という情報を提供するだけでも助け合う無線の鍵になるかもしれません。
後にさらに特殊な環境での工夫話をしてもらえるかもしれませんですし・・・。
ただ、ビジネスで「損して得獲れ!」と無理な値下げをしても、何もいい事はないんですよね〜。経験的に。^^;
上の例では、特定の局を呼び出す場合が強く頭に浮びます。
ここで視点を代えて、CQを出す局とこれを呼ぶ局との対立構造という構図を想定してみると、また違った風景が見えてきますよね。
hr.icon