メモは思索を含めて残しておきたい
メモは考えたこと含めてまるっと残しておきたい気がありつつ、でもそこから気づいたこととか理解したことをまとめておきたい気もしつつ。
両方を残しておくのに、メモ群では文脈を形成し、個々のメモは脱文脈的にという考え方は有効そう。
これまでは個々のメモだけを個別のページに切り出してた。というか、個々のメモを作り出そうという気持ちが強かった。それはそれで良いとは思うけど、脱文脈に寄りすぎてたように感じる。
個々のメモを書こう、作り出していこうという気持ちが強めにあって、そのメモが出てきたのは何を考えていたときなのか、という部分が基本的に抜け落ちていた。個別のページを、そのページへと至った思索からをも切り離して作っていた。
どこかには記述として残っている場合もあれば、いきなり書いている場合もあり。というか、いきなり書こうとしてた面もあった。頭の中だけで考えたり。
思考を枠にはめ込もうとしすぎてたのかもしれない。書き方を限定すると、それが効果的な部分もあるけど、一方で自由に考えられないことも出てくる。
自由に書けない≒自由に考えられない、とするならば。
ただこの考え方もいろんなメモを書くときの考えや方法のうちの一つ。それに縛られる必要はない。
もう一つ言えるのが、上記のカード一つとってもみてもわかるが、他の文献的なカード群とは違い、これらは「ルーマンwiki」ではぜんぜんない、ということ。まさに、思考の著述が積み重ねられている。
なので、アイデアや着想をメモしたものもログとして扱うというよりかは、アイデアや着想に至った思索をログとして扱う。
なんか違うな。というか思索の足跡はそもそもログやんというやよね。
こんな風にデイリーページに考えたことを書き、それに手を加えていく、というのも書いていく流れとしては自然。
もちろん他にもいくらでもあるでしょう。