統一的なフォーマットで書く必要はない
メモは思索を含めて残しておきたい
Zettelkastenではカードの書き方としては統一的なフォーマットはないようで、決まりは数字+アルファベットで固有のIDをつけていたこと。
他のカードを参照する書き方はあった。
そのIDが参照を可能にし、カードどうしに文脈を与えながら、メモの連なりを書き残していた。
タイトル+本文というフォーマットすら必要ない。
フォーマットがないがためにカードの書き方は自由。自由にかけることが、自由に考えることにつながっていたのではないか。
フォーマットを固定することは一定の効果はありつつも、それに縛られることで同時に思考にも縛りをかけてしまいかねない。
あえて縛りをかける、というのが有効な場合もあるが、いつもそうであるのがいいとは限らない。
自由に書くことと自由に考えることが無関係でないのであれば、フォーマットによって自由を制限するよりも、統一的なフォーマットを手放しておくほうがいいのかもしれない。
参考として、/rashitamemo/2025/6/8#68457ad7000000000062dcf5の議論。かなり影響を受けている。