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2506日誌
📉今日の体重は72kgです。400g減。休日に減ったのでナイスですね。
倉下さんのZettelkastenに対する考察を読む。
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ようはタイトルのつけ方が問題なのだ。文脈を固定するようなタイトルのつけ方は、派生的な議論を阻害してしまう、ということはある。そういうタイトルをつけることを避けていた、というならば納得できる。
/rashitamemo/2025/6/8#68457f69000000000062dd16
一つ、ポイントを上げるとしたら「一つのことを書く」をそこまで意識しなくてもいいという点はある。でもって、それはごく当然で、テーゼをまとめていくならば、そこに補佐的な話題が混じることも十分にありえる。
/rashitamemo/2025/6/9#684623c6000000000092b69d
今までは、形式的統一というのを強く考えすぎていたように思う。
倉下さんの思索を読んで同じことを思っていた。そして、Zettelkastenはそのヒントになると思ってる。
タイトルあってもなくてもいいし、
1つの話題に限っても限らなくてもいいし、
文脈に依存しても依存しなくてもいい。
固定的にならないようにしていたかもしれないけど、すべてのメモにおいてそれを意識しているわけでもなさそう。
ただなんでもいい、というわけではなくて、今まであまり考慮できてなかった要素としては、文脈を作り、肥えさせていくという方向のメモ。
それはZettelkastenの見返すことが組み込まれていることや
番号によって続きを紡いでいけるところや
深めること、分岐させること
他のメモを参照することによって。
この辺はもうちょいZettelkastenをヒントにしていき、本質的な部分を明らかにして自分の環境に適応できればと思い中。
あまり形式にとらわれず柔軟に。それでいてこれまでもより考えたいことについて深めて広げていけるような書き方ができれば。
Zettelkastenでは番号を用いるけど、Cosenseではページタイトルによって個別IDを与えるのは引き続き。その中でどうページ同士を連ね、文脈を作るか。
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なんにせよ、タイトルそのものは重要ではない、というのはたしか。言い換えれば、タイトルをつけたらそれで仕事が完了だと思っているならば、ルーマンの目指していたものとは違う。そうして書いたものを関係付ける、位置づける、そこからまた考えるということが重要。
ルーマンがどのようにメモを書き溜めていったのかはわからんけど、どのメモ同士の間にもメモを入れ込むことができるような番号の振り方をしていた。
1.1
1.1a統一的なフォーマットで書く必要はない。
1.1a1タイトル+本文というフォーマットすら必要ない。
1.1b同じ理由で、統一的なコンセプトで書く必要はない。
1.1cとはいえ何も考えずにメモを書いていってしまってはいけない。かつての死蔵したメモたちから学ばねば。ただ書き連ねるだけでは、後から読み返されることのないメモが増えていく一方だということを。
1.1dそこで、メモ群では文脈を作り、個々のメモは脱文脈的に書く。
1.1d1ここで気になったのは、書いてからバラすか、バラしてから書くか。バラすメリットはあるのか。
🏋️‍♂️プリズナートレーニング
プルアップSTEP2:80回(25 25 30)
感想:ラストで30回はがんばった。相変わらずなかなか回数は伸びひんけど、間隔だいぶ空いてるから仕方ない面もあるかなぁ。けっこう毎回筋肉痛になるまでがんばるから、その間思うように次できない、っていうのがあるね。