人生検討2023春
20220401
以下の検討、3行で振り返ると
春休みの自由が終わって大学の日常に戻るのにちょっと抵抗があった
でも多分これは隣の芝が青く見えているだけだった
それはそれとして、人生をこうやってマクロに定期的に考えるのは大事
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思っていること
今、「大学で課題に追われつつ、あまった自由時間でしたい体験や進めたいプロジェクトをやる」みたいな生き方をしている
が、これで良いのかという不安?と疑問が最近沸いている
なぜそう思い始めた?
別に楽しくない訳ではない
授業もたいていおもろいし、それ以外の時間でも色々なことができている
とはいえ困ることやストレスはあって、それが解決する希望を「他の人生の世界線」に見出している気がする
自分の生き方に対する今までの納得が外的要因で崩れ始めている?
今までも、「他の世界線ではなく今の人生を選ぶ」ことに対する自分の納得はある程度構築してきた
ただ、GPT-4などを見ていて、そのあたりの納得感の前提が色々壊れ始めている
他の生き方が色々具体的に見えてきたのもありそう
大学の、自由時間の少ない状態が不満?
これはあるかも
下で検討する
何を考えるべきか
現状の生き方で何を今困っているか
他の生き方
現状の生き方
traditionalな大学教育が人生の時間の使い方として最適解なのかは結構怪しい
もちろん人と会ったりNYに住んだり研究できたり色々副次メリットもあるけど
Computer Scienceはそれ自体に意義をとても感じられるし楽しいけど、SWE Prep的な授業はなんでやってるんだろう、みたいな気持ちになってくる
SWEが10年後ない or 大幅に変わっている前提
おもろい人がこっちで見つかりづらい問題
まあでもこれは自分がColumbia/NYCでもっと頑張るべきという話な気はする
自分の掘り出し力の問題
+ それこそインターネットがある世界に住んでいるので、別に日本の人々とも問題なく知り合える
多分群馬〜東京とNYC〜東京の距離はあまり変わりない
こっちももっと積極的にやりたいな
シンプルに日本が恋しい問題
それはまあしゃーない
自由時間がここまで恒常的に少ない生活が初めて?
それは嘘だわ
高校は8-18時くらいまで基本的に学校だった
他の生き方
休学説
traditionalな大学教育に時間を割くのがこの時期の時間の使い方として最適解なのかは結構怪しい
そうなった時、2023-24の間は一旦休学して人生をどの方向にも振れるような自由を持った方が良い、という主張ができそう
max1年の縛りが厳しいな〜という気持ち
会社?
仕事?
うーん、
研究?
それこそ一年どっかのラボで長期インターンみたいなの、めっちゃ頑張ったらポジション見つからないかな