「1980-90年代のHCI論文を読む会」をやっている話
https://gyazo.com/df03dc70ceb49bac67333b66c68e2fbd
3行まとめ
CHI勉強会みたいな形式で、「1980-90年代のHCI論文を読む会」をやっています。 HCIの研究で30年後の未来にどんな影響を与えたいかを考えるために、「30年前のHCIの研究が今にどう影響を与えたか」を知りたい
個人的な仮の答え:HCIの研究は、道の先を偵察したり他の道を探索する斥候のような役割を持つ
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わたしは誰
ニューヨークにあるColumbia大学の学部生です。CSと哲学を勉強しています。
見習いHCI研究者です。
物理的な制約に基づく従来のものとは異なる設計を探究・実験することに関心があります。
たとえば、バーチャルな時間の体験
https://gyazo.com/cf385a4b98ed7f0ea8f1b4c68e8b367ahttps://gyazo.com/274f1076c73c9d2c85560cbcc5057698
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事の発端
2023/8/17にblu3mo.iconが軽率な思いつきをツイート
https://gyazo.com/4184545c2941384117edc7d679170a63
ツイートを見た数人から興味あると連絡を頂けた
このツイートをした直後に、2021年度のHCIアドベントカレンダーで書かれたこちらの記事を発見
数十年前に書かれたインパクトの大きいHCI研究を紹介するというコンセプト
趣旨がとても近い
まずはテストラン回を開催
興味あると連絡頂いた人々をDiscordサーバーに集めた
https://gyazo.com/dcb4bb2e1c72846954855b94ec408e95
タイムゾーンが跨がると日程調整がめんどくさい
それぞれの参加者が1980s~90sのCHIやUIST論文を2本選んで発表するという形式(1本につき3~5分)
各論文紹介の構成案:論文自体の紹介(1~2分)、その後の系譜マップ(1~2分)、その系譜の最新論文あるいはプロダクト紹介(1分)
聞く側は、Scrapboxに感想や質問をワイワイ書き込んで議論
https://gyazo.com/f5ff1613eabf4820b463b32b479f57behttps://gyazo.com/4492d5fa2958eb2ea34f7bf37bf9df7bhttps://gyazo.com/cc33a777a10a43567282b281d80f077ehttps://gyazo.com/8f3fa9f92f99cbe343809b9f31c615ec
その後も形式を変えつつ継続しています
https://gyazo.com/59766abaf3ab27265b6da3e9f0d919da https://gyazo.com/348b2846bd4bf270a9b9368b8c028af7
なぜ1980-90年代のHCI論文を読むのか
1. 歴史を知るのは面白い
最近の研究やプロダクトが、どんな系譜・巨人の肩の上に立っているのかが見える
30年前の論文を読むと、20年前の論文がどんなcontextで生まれたのかを理解できる
2. 「30年前のHCIの研究が今にどう影響を与えたか」を知った上で、「今のHCIの研究で30年後にどう影響を与えたいか」を考えたい
見習いHCI研究者として、見習いなりに「なぜ自分はHCIの研究をするのか」について色々考えている
HCIは学際的かつ曖昧で広い分野なので、やりたいことをHCIの研究に落とし込んで"contribution"を産むことで「研究者の世界で認められる価値」は作り出せてしまいそう
ただ、「研究者の世界で認められる価値」それ自体は内面化するには曖昧かつ不安定すぎる
i.e. 学会で他の研究者に評価されること自体を生きがいにするのは違いそう
純粋数学とか哲学であればそれもありかもしれないが、HCIはそれをするには応用が近すぎると思っている
なので、自分なりの目的を立てた上で、「なぜ自分は趣味開発でも事業でもアートでもなく"HCIの研究"という枠組みとコミュニティを使って目的を達成しようとしているのか」という問いに答えられるようになりたい
社会実装の面倒さからの逃げではないのか、机上の空論をこねくり回すだけにならないか、などの批判的な問いに向き合っていきたい
この問いを考える上で、30年前に行われた「HCIの研究」がどう今に影響を与えたのかを知ることは
HCIの研究の長期的な意義は何?
30年前の具体的な実装の解説が今の役にたつことはあまりない
当時と今ではコンピューターの処理性能も通信インフラも違いすぎる
投稿されてから数年間はノウハウが役に立ったのかもしれないが、10年以上のスパンで役にたつことはあまりなさそう
「こういう技術の使い方がある」という可能性の提示に長期的な意義を感じた
技術を社会実装する人々を「本隊」とするなら、これらの30年前のHCI研究は道の先を偵察したり他の道を探索する「斥候」のような役割を持っていたのだと思う
「こんな道がある」と発見したり
「こっちの道は良さそう」「こっちは良くなさそう」みたいなことを本隊に知らせて軌道修正したり
「こっちに進めばこんな良いものがある」と人々をワクワクさせて、本隊が走るスピードを早くしたり
人々をinspireする、SFのような役割
https://gyazo.com/8aabf1893b225e39428ee7ebbc6159ba
多くの場合、University Researchで生まれたテクノロジーが10~30年後のCorporate ResearchやCommercial Productsに繋がっている
Graphical Objectの操作、マウス、ウィンドウ、テキストの編集、ハイパーテキストが挙げられている
もちろん直接はCommercial Productに繋がらなかったものがほとんどだと思うが、それも含めての探索
根拠を元にした包括的な説明というよりは、一部の面に注目した感想の記述になってしまった
ただ、「自分が30年前の研究にこんな意義を感じて、自分もそのような役割を果たしたいと思った」ということが大事だと思う
他の人が30年前のHCI研究をレビューして、どんな感想を抱くのか知りたい
まとめ
CHI勉強会みたいな形式で、「1980-90年代のHCI論文を読む会」をやっています。 HCIの研究で30年後の未来にどんな影響を与えたいかを考えるために、「30年前のHCIの研究が今にどう影響を与えたか」を知りたい
個人的な仮の答え:HCIの研究は、道の先を偵察したり他の道を探索する斥候のような役割を持つ